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【創作】4年生とその親

 若い頃、公民館で勤務していたときの話です。
 夏休みの青少年対象事業として「親子ふれあい料理教室」を企画し、学校と町内会に参加者募集のチラシを配布しました。企画したとは言っても、例年実施して定番化している事業なので、日付と講師名、イラストなどを少し変更した程度で作成したチラシでした。参加対象者が「小学四年生から六年生の児童とその親」というのも例年どおりとしました。
 館長には口頭で企画の説明をしましたが、文書による稟議はあげませんでした。

 事業の受付初日、朝一番で問い合わせの電話が入りました。
「四年生の孫を預かっている。孫と一緒に事業に参加できないだろうか。孫が参加を希望している」
との内容でした。募集要項では「児童とその親」であり、祖父母は対象としていないのでお断りしようと思いましたが、念のため館長に確認したところ、館長が受話器を取りました。
「是非、参加してください。子どもを想い、育む方を当館では親御さんと考えています」
淀みなく答えた後、受話器が戻され、私は事業の受付を始めました。

 受付を終え受話器を置いた後、館長が
「少し話をしても良いかな」
とチラシを見ながら、話かけてきました。
「対象者のところは、『親』よりも『保護者』の方が幅広くて良かったかも知れないね。けど、まぁ、どんな書き方をしていたとしても、公教育を行う立場としては、学びたい人はなるべく受け入れるべきと僕は考えているのです。
 君に確認することなく受講を許可してしまい、申し訳ないです。これからは気をつけます。もし、他の参加者から「親じゃない人が参加」みたいな苦情があった場合は、館長が勝手に許可したと伝えてください」
 穏やかな口調で伝えられ、私は恥ずかしくて俯くことしかできませんでした。
 公民館職員として数年間勤務していましたが、「公教育」とか「受講者の気持ち」というものに真剣に向き合っていなかったのではないか。着任したばかりの館長が穏やかな性格なことに甘え、軽んじていたのではないか。そんなことを考えると、館長に謝りたい気持ちも生じましたが、何だか言葉にならない。
「わかりました。ありがとうございます」
絞りだすように、そう伝えるのが精一杯でした。
「まぁ、僕は教育とか生涯学習について、正式に学びをしていない素人だから、よく判らないというのが本音なのですが、憲法の建てつけが好きで、時々考えるのです。第25条の「生存権」の次にある、第26条が「教育を受ける権利」ですよね。命の次に大事なことは「学び」という、先人の考えが素敵だと考えているのです。少しでもその機会を広げられないかと思うこともあります」
 そんなこと考えたこともなかった。憲法を知識として学んだことはもちろんあったけれど、実生活に落とし込むまで考えを深めたことはなかった。
「今のことは、僕なりの考えなので、正しいかどうかも曖昧ですし、君に押し付けるものではないので、これからも君らしく仕事をしてください」
 館長が着任してから3ケ月を経過していましたが、普段は私が仕事の相談をしても「あなたが良いと思うのなら、そのように進めてください」と、ほぼ丸投げされていたので、このように考えを示すのは珍しいことでした。館長について「定年も近いし、面倒なことは嫌なのかな」と、時々考えていましたが、大事なことが見えていませんでした。

 その後、事業を行う際には、館長の考えをお聞きし、自分なりの違和感や気づきを深堀りしながら実施するように心がけました。それまでの「こなしていく」だけの事業とは違い、自分の視点、館長の視点を掛け合わせながら企画を考えることは、手間はかかるもののやりがいがある仕事となりました。
「あなたが良いと思うのなら、そのように進めてください」
という館長の言葉は、ずっと変わることがありませんでしたが、それは決して丸投げではなく、私の成長を促すための、私の良さを活かすための館長からのエールであることに気づくことができました。そして「任せた」はずの事業で、トラブルが生じた際には、その種を拾い上げ、率先して解決に向けて行動する背中を見せていただきました。

 『学びたい人はなるべく受け入れるべき』
生涯学習の業務から離れた今も館長の言葉を思いだします。それは公教育だけではなく、行政全般に言えるのではないかと考えています。誰のことも排除しないのは当たり前で、壁を感じさせないようにしなければならない。理想は遠く、実践は難しいのですが
「あなたが良いと思うのなら、そのように進めてください」
この言葉を糧に、館長の背中を胸に、未来に向けて歩みを進めています。


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福島太郎@kindle作家
サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。