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花の都パリ・芸術の都パリ、本屋さんとカフェと、インフラ整備からつながる話
『パリの本屋さん/鹿島茂/293』を図書館で借りた。
長いメモになってしまった。
筆者は専門家
筆者はフランス文学や歴史を専門、パリ関係、1900年を研究という。1979年に最初にパリを訪れたという。パリの今・昔の体験、歴史、街並み、建築物、文人や画家とカフェ、アートについて、美術館や本屋のめぐりなどのお話の全部に興味もって読んだ。本書にはパリについて教えてくれる書籍の紹介もあった。
本書は、著者が1998年以降、様々な媒体で書いてきたパリの街についてのエッセイ(講演録も含む)を精選、集成したものである。
ナポレオン3世とレトロモダン
現在のパリはナポレオン3世なしには語れないのだなと街づくりを理解した。ヒト・カネ・モノがぐるぐると回るように整備された上下水道、道路と公園・緑地帯がパリの景観。広場から放射状に道路が広がっていく、木を植え緑豊かにし、ジメジメと暗い町並みは風通しよくし明るくした。日光が降りそそぐ清潔な街へとつくりかえた。ジメジメはナポレオン3世が嫌いなのだとか。
ナポレオン3世(1808-1873)
※ナポレオン・ボナパルトの甥っ子
建築物はブルジョア文化を感じさせるアール・ヌーヴォー、アール・デコ、モダン。ボン・マルシェのガラス天井は現代のカテドラル、大聖堂を思わせるらしい。本の口絵とネット検索しながらのパリの街を探索した。
1920-30年代の建築物が今では歴史的な価値を持つという、それはレトロモダン。古いものは壊されがち、だけどフランスではゆっくり修復しながら時代が近代の建築物も受け入れていく。日本にも残っている和洋折衷レトロモダンな建築物もある。それらになんともいえない懐かしさを感じるけれど、その時代に私はいない。体験のない懐かしさは生まれの年代とか国籍も関係ないようだ。
集団の夢の記憶を考える
1867年のパリ万国博覧会 (第2回) は日本が初めて出展参加した国際博覧会。1855年の第1回の開催時、メイン外に設けられた日本庭園のお茶屋がウケたそうで、メインだった競争原理の学習の場としての万博は民衆にウケなかったと。
日露戦争(1904-1905)
第一次世界大戦(1914-1918)
人々は仲好しかもしれないのに、いつの世も争いが起こる。戦争は美化できない。
今では象徴的エッフェル塔、オルセー駅舎(オルセー美術館)。集団のための建築は100年後に資本主義が見る集団の夢の記憶ではないかという言葉が脳のどこかに響いた。そういうのを「未生の記憶」=説明不能な懐かしさかもしれないという。
繁栄と衰退、改革、戦争、ブルジョア文化、民衆の文芸。どれもからんで歴史は現代へつながる。
エッセイに映画のおすすめとしてジャン・コクトー監督『オルフェ』の冒頭に戦後のカフェ(キャバレーだったかな?)の過熱ぶりがよく描写されているとあった。どういう過熱か観てみようか?
私のイメージは何かからのすりこみかも…
フランスというとどうも『ベルサイユのばら/池田理代子』の印象が強い。オスカルとアンドレの愛?友情?ベルサイユ宮殿とフランス革命からむ物語から華やかさ、気高さ、気品とか。
漫画やアニメその他からなんとなくヨーロッパの華やかさとは別に不気味な怖さを感じていた。歴史を遡ると何処も混沌こんがらがっている。日本も相当な不気味さがある。
物語はおもしろいと思うのに暗記(テスト)のための歴史や地理はおもしろくなかった子ども時代。今でも勉強が足りぬ、井の中の曖昧な蛙のままだ。
筆者はいう、もしパリに行くのなら高校の美術の教科書程度の知識はあった方がより楽しめると。まったくそうだ、パリに行かなくっても。
日本語の文章は主語なしでずっといける
日本語は曖昧が通じる。
フランス語では「ジュ(=私)」という言葉を言わないと、すべて表現できないようになっている。あれが「私」を強烈に意識する人間にさせているんじゃないかと。日本語って、「私」を言わなくても通じるでしょう。「これ食べる?」「食べる」って。
フランス文化はカフェでできているらしい。
パリは旅で訪れても住んでも楽しい街らしい。
花の都パリ・芸術の都パリ、魅了されるのだろう。
ナポレオンのお言葉を調べてみた
ポレオン・ボナパルト(1769-1821)
※ナポレオン3世の叔父さん
Impossible n’est pas français.
不可能という言葉はフランス語にはないという縁起のいいフランス語
Le temps est le grand art de l'homme
時代とは人間の偉大な芸術である
遡って知ろうとすると相関図と出来事と時代が頭の中で混乱する。
やはり1900年あたりを知るとわかりよいと思った。おしまい。