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他責思考と、ぐりぐりさんの言葉。

思いのほか、ぽつぽつと、有料の記事を買ってくださる方がいらっしゃいます。個別に御礼を申し上げるのもままならぬので、この場で恐縮ではありますが、本当にありがとうございます。

雇われの身でしか働いたことがない上に、オーダーを受けた仕事でもなく、自分が勝手に書いているものに、お金まで出してくださる方がいらっしゃることには、正直、驚きです。

買ってくれた人にとって、お金分の価値はあっただろうか。つまらなかったら、申し訳ない。そんな思いです。

職業として文章を書く人にとっては、自分の作品に対価が発生することは(それが面白かどうかともかく)当たり前で、というか、当たり前のことに、譲れない部分になってゆくのだろうけど。

それでもときどきは、自分の書いたものに、「これではお金は取れない!」と思ったりもするのだろうか。

ちょっと失敗しちゃったとき、それを読む人の顔が思い浮かんだりするのだろうか。

まあ、人のことはいいや。

やはり上述のとおり、人にやれと言われたことでないことに関してお金が発生した、という事態が、自分自身に一番の衝撃を与えています。

今はまだ、筆舌しがたいところではありますね。ううむ。

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いま、「他責思考」という言葉が流行っていますね。

私自身、子供の頃から、理不尽な目に遭ってブー垂れていると、周りの人たちに「そんなんでは大人になってから、社会に出てやっていけないぞ。」と叱られ続けてきました。

てか、めちゃくちゃ言われました。

それでも、子供時代の私は、不貞腐れた態度を隠しませんでした。子供ながらに、「自分は悪くない」という遺憾の意を示していたのです。

そもそもみんな、理不尽な目に遭うのは嫌なはずなのに、どうして相手の横着を糾すでなく、自分の方が我慢しているのか、またはしなければいけないのかと、不思議で仕方がなかったのです。

確かに「社会に出てやっていけない」とまでは言わないけれど、社会に出てから、本当にやりにくかったのは事実です。

しかし一度として、理不尽を甘受しようとは思いませんでした(さすがに組織勤めの身として、させられたことがないとまでは言わない。)。

周りがどう思おうと、「知りません。」「私のせいちゃいます。」「私はそんなことお願いしてません。」
で通してます。

だって、私が悪いわけではないので。
そのことで自分を責める理由がないので。

私の態度は、それはそれで問題があろうかとしても、どうしてみんな、自分さえ耐えれば、と抱え込むのでしょう。自分が変われば済むと思うのでしょう。

どう考えたってお前が反省・改悛すべきって奴がいて、唾棄すればみんなが気持ちよく生きられるような昭和の陋習が残っているのに。

「耐えてる方が楽だから。」と言うのなら、それは無意味な我慢だと教えてあげたい。

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「変わるのは自分ではなく、世の中の方だ。」
これが私の基本理念です。

でなければ、例えば、弱い人は弱い人のまま切り捨てられ、時代錯誤な慣行や理不尽が、いつまでも罷りとおり続けます。

それでいいのであれば、つまり「世の中や大多数の方が正しい、悪いのはお前自身だ。」という歪んだ自己責任論を是とするのであれば、政治や行政なんて要りません。

私が今の仕事を続けている理由は、自責の強要を求める世の中を、どうにかしたいと思っているからです。

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他方、それでもやっぱり真面目で善良な人、つまり頑張って自分を変えようと努力する人はたくさんいます。本当に立派だと思います。

ただ、人間の個体差は大きいです。加えて私は、人間というものについて根本的に、「その人は、そういうふうに出来ているんだ。」というふうに考えています。

立ち振舞を装うことは多少できても、人間個人が真面目に頑張ったところで、変えようと思って変えられる部分は、本当に少ない。

人の頸動脈を絞めたら、落ちます。人間の身体は「そういうふうにできています。」そこに根性や努力の介入する余地がないのと、一緒です。

「その人は、そういうふうにできている。」
そんな当たり前が共通のものとして理解されないうちは、いま流行りの多様性の実現なんてありえないでしょう。

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はてさて、去年のラプラシアンの旧童貞会オフ会の頃は、私自身、ちょっと大袈裟ですけど、日本の歴史にちょっと残るくらいの仕事を無事終えた時期で、肩で風切って歩いてました(気分は。)。
なぜか話のなりゆきで、身分まで明かして。
アホかな?

でも、当日いらした資金ぐりぐりさんに、自分たちの仕事ぶりに関して、叱咤されたんですね。

ニュースバリュー云々抜きにしたら、自分たちが期待されていることって、そういうことなんだな、という意味の言葉で。

書かないけど、もちろん覚えてる。

少し話を戻すと、ぐりぐりさんがああいう言葉を発しないといけないようなことの背景に、ぐりぐりさんに責任があっただろうか?ぐりぐりさんが変わらないといけなかったのだろうか?

「世の中そういうものだから、甘受しなはれ。」と言うのが正義なのか?

そんなバカは話はないと思う。だから、変わるべきは、人ではなくて、世の中の方。ルールを守らないことを許容する世の中なら、それを許さない方向に変える。

繰り返しですが、これが私の信念です。

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無論、今は所属が違うので、直にぐりぐりさんのような方の立場に対してどうこうは出来ないのですが、何かどこかに残した爪痕が、なにげに多くの人を救っていた、みたいなこともあったりする世界です。

だからこそ、私を叱咤してくださったぐりぐりさんのためにも、頑張らないといけない。noteには、私の素性を知っている人は1人2人くらいしかいないはずですが、ニュース等で報じられている自分の同輩たちの仕事にも、ちょっとだけ目を向けてあげてほしい。

「彼らのおかげで、少しは、救われた人もいるんじゃないか。」、「ちょっとは、良い世の中になったと感じる人もいるかもな。」って思っていただけたら。

…仕事も同僚も、好きではないのですけどね。

そんな感じです。

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