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生活のYOGA#2 虫を逃がす努力


虫を逃がす努力をする

飯田市に移住して来月で1年経ちます。私の住んでいる地域は山間部なので、年中なにかしらの虫が家の中にいます。
今は冬なので虫の種類と数は少ないものの、カメムシやてんとう虫が暖かさを求めて家の中にいることが多いです。

ムカデ、蜘蛛、てんとう虫、カメムシ、カマドウマ、蚊、ハエ、羽アリ(黒い方)、その他名前がわからない虫、こっちに来て初めて見た虫など、虫が苦手な私は出来ればご対面したくない。家で見かけると憂鬱になります。

でも、殺さない。逃がす努力をします。本当は近づきたくないし、触りたくないけど頑張って逃します。ティッシュでふわっと持つ、ほうきで軽く払う、コップに入れて紙で蓋をして外に逃がす、木酢やハーブで虫除けを作るとかそんなことをしています。

逃がすときに虫に「家にいても食べ物ないし外に行きましょ!」「逃したいだけだから」など話しかけて近づけば、敵意がないことが伝わるのか意外とすんなり捕まってくれて逃しやすいです。変な人と思われても良いですが、結構有効なんですよ。この呼びかけは自分を落ち着かせるためでもありますが。

それを繰り返していると、段々と慣れてきて強い拒否感から「好きじゃないけど」くらいの感覚になってきました。素手で触れるようになった虫もいるし。好きも嫌いも習慣。

自分がされて嫌なことはしない

殺虫剤を使ったり、潰してしまう方が舞い戻ってくることはないし、手間で考えればそちらのが楽です。
でも、ヨガにはアヒンサーという教えがあるので私は逃がす努力をします。

アヒンサーは非暴力という意味で、自分や周りに苦痛を与えないという教えになります。殴ったり蹴ったり暴言を吐くことだけが暴力ではありません。

アヒンサーの教えからみると暴力に当たる行為はたくさんあります。
とはいえ、私達は何かの犠牲の上に生きているので完全に苦痛を与えずに生きていくのは無理です。

でも、だからいいじゃん、しょうがないよねというわけではありません。
アヒンサーはめちゃくちゃ奥が深い教えなので、ここで全てを説明することは出来ませんが、自分がされて嫌なことをしないということもアヒンサーを守ることになります。

今日のテーマで言えば、私が虫が苦手とか不快に思ったという理由で見つけ次第殺したとします。でも、もしその虫が自分だったら、相手の身勝手な理由で理不尽に命を奪われたということになる。
自分がそんな理由で危害を加えられるとしたら、嫌です。

害虫と呼ばれている虫も、人が勝手にそう呼んでいるだけで虫そのものにも役割と意味があって生きているし。仮に彼らが攻撃してきたとしても、増えたり刺されると厄介な虫であっても、殺さずに済む方法を考えて対処します。

昔、クラスでアヒンサーの話をした時に、ある人から質問がありました。

「自分は普段は虫を殺したりしない。でも、マイルールがあって、家族に危害が及びそうな時は殺しても良いことにしています。これは良いですか?」

確か、この方の家の庭に蜂の巣があって子供が危ないからという理由だったと思います。
私はその時に「NOです。自分がしたことは返ってきます。(因果応報。作用と反作用。ヨガでそういう法則があることを教えられる)、もしあなたが傷ついたり苦しい思いをしても一切不満に思わないならそうすれば良いんじゃないですか」というような回答をしました。

彼女は思った答えじゃなかったようで不服そうな顔をしていましたけど。
(この生徒さんにはこれくらいはっきり言わないと伝わらない人なので、このような言い方をしましたけど、この方が傷ついてもいいとは思っていないし、実際に虫を殺して良いとも思っていません。)

思いやりの心を育む教え

何かに危害を加える行為自体が残酷だと思ってしまいますが、ある聖者の本を読んでハッとさせられたことがあります。
残酷なのは行為よりも動機である。

例えば、虫を踏み潰したという行為よりも、不快なので踏み潰して殺してもいいという動機の方が残酷であるということ。

刃物で体を傷つけるというのも、カッとなって切りつけたという動機と、病を治すために体を切ったというのでは、同じ行為でも前者はとても残酷でひどく感じるけど、後者はそうは思わないですよね。

アヒンサーの教えを実践し、相手に対して自分と同じように接する努力をします。この教えを通じて「自分のためなら傷つけてもいい」という心が改められ、慈悲の心を育むことが出来ます。

ただ、単に傷つけない行動を選ぶだけでなく、どうしてそうすべきなのか?理解することはもっと大事です。じゃないと三日坊主ですぐ忘れてしまうと思います。

そのために他に知っておく教えがあります。
・私たちは自分がしたことは良くも悪くもどちらでなくても、必ずいつか返ってくるという法則のもと生きている(カルマの法則)
・森羅万象の本質は同じ。虫も私自身も本質は同じ。
・人間も含めて生き物はみな幸せになりたいと思っている、生まれながら傷つけられたくないという知恵が備わっている

相手というのは人間に限らず動植物も含みます。人のことは傷つけていけないのに、虫は構わないということではありません。

心の気まぐれに左右されるのは勘弁

アヒンサーはいつどこでも何に対しても守る努力をします

話が逸れてしまうので虫に限った話をすると、私の場合は助けようと思って触ったら潰してしまったということも多々あるし、畑で殺さないように気をつけていても、クワで耕していてみみずを切断してしまうこともあります。

殺してしまった時は心底申し訳ない気持ちでいっぱいで、謝って反省してまた守る。それの繰り返しです。

自分が怪我をしたり、嫌な思いをしても、いつか何かを傷つけた行いの結果が返ってきていると認めて受け入れます。だから、虫に何かされてもそのように受け取ります。痛い、痒いは嫌だけど起きたことは仕方ない。

「いつでもどこでも何に対しても守る」これがポイントです。そうしないと心は変わらない。なぜなら、心は本当に気まぐれだからです。

自分の気分次第で、ある時は優しくて、ある時は攻撃的である。心に余裕があるときは助けて、余裕がないときは助けない。そのように自分の気分で心の気まぐれで振り回される虫は可哀想。

虫でそうなら、家族や友人や会社の人、見知らぬ人にも同じことをしているはずです。とっさの反応がいつもの心と行動の癖だからです。
そういう理由もあって、上記に出てきた生徒さんの質問のマイルールはヨガでは誤った行為になります。

虫のことではないですが、アヒンサーについてYouTubeで話しています。

よかったらこちらも確認してみてください。

TaraYoga オンラインヨガクラス・飯田市


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