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20230815 松本市 #風景誤読
▼1日目の松本あるき
▼2日目の松本あるき
北深志3丁目、開智3丁目、沢村1丁目
9時ごろに北深志を出発して、松本市立中央図書館を漠然と目指し西に向かう。
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廃屋?すぐ近くに「不法投棄禁止」の立て看板がある
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北深志をあるきはじめて徒歩2、3分ほどで、もうそこには「ホタルのいる」ような水辺がある。
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橋を渡らずにそのまま南下する。
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ちいさな橋をわたって、大門沢川沿いにさらに南下する。あるけばあるくほど、水の流れは違う表情を見せる。
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看板にあった「首貸せ地蔵」と「大日堂」をみにいく。ちいさな道祖神が草陰に隠れていて、あぁ、そういえば浅間温泉にも道祖神がそっけなく置かれていたな、と思う。
松本市中央図書館(蟻ヶ崎2丁目)
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開館時間ぴったりに図書館に着いた。まず、北深志について、いままでの散歩に関係しそうな郷土資料を片っ端から探していく。
とはいえ、やみくもに探しても時間がかかるだけなので、一昨日歩いたときにアタリをつけておいたワードをいくつか頭の片隅に置いて探していく。例えば「安原地区街づくり研究会」「安原地区歴史研究会」。もちろんこれを直接検索機にかければ早いが、それだとダイレクトに100%一致するものだけがヒットして終わってしまうので、敢えて背表紙をひたすら追いかけるアナログな方法で地道に探していく。こちらの意図しているもの(探している情報)とはすこしズレた、意外なものも招き入れたいからだ。全体を把握するような広い視野をとることと同時に、あらかじめアタリをつけたワードを常に意識しておくこと、このバランス感覚が面白い資料を探すうえで役にたつ場合が多い。
安原地区についての基本情報
とりあえず『安原地区の歴史探訪』(平成21年、安原地区歴史研究会)が簡単に見つかった。安原地区の歴史を概要的に把握するうえでこれ以上詳しい文献は無さそうだった。まず、基本的な情報を整理しておきたい。
私やぴよまるさん、あおなくんが歩いた北深志のメインストリートは松本市道1095号線(下図の赤線部分)。信州大学北部で国道143号から分かれて、ナワテ通りに至るまでの、片側一車線の南北の街道である。この通り沿いに絞って安原地区を眺めてみると、北から「萩町」「安原町」「新町」と、おおきく三つの町域でわけることができる。
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この三つの町名はかなり古く、とくに安原町は戦国時代(1582年)、萩町と新町もそれぞれ江戸時代(西萩町1617年、新町1633年、東萩町1642年)に造営された。住居表示が行われたことで行政地名としては姿を消したが、いまもバス停の名前や辻標にその名が残されている。このうち萩町と新町は侍町で、安原町は町人町だった。
明治45年の大火と安原地区の菓子店「梅月」「徳若」
1912年(明治45年)に松本北部で大規模な火事があり、新町と安原町が類焼した。この火事の影響で、新町に江戸時代から続いている家は一戸も無いという。一昨日梅月菓子舗の店主に話を聞いた際、創業は明治45年と話していたが、『松本の本 創刊号』14~15頁の栗谷さと子さんのレポートではつぎのように書かれている。
新町(旧町名。現在の住所には入っていないが、地元の人はよく使う)には元々武家屋敷が並んでいたが、明治の大火で焼け野原となり、土地が切り売りされ、庶民が家や店を構えるようになった。梅月さんもそのうちの一軒で、昔のままの間口で建っている。
現在新町に残っている建物のなかで、もっとも古い建物のひとつが梅月であることがわかった。では、店主が話していた安原町の徳若というお菓子屋さんは?松本で一番古い、と言っていたが、火災の影響は受けなかったのだろうか。
黒岩功著『松本いまむかし』(1980年、郷土出版社)の50頁には、徳若のふるい写真が3枚載っている。
1枚目、明治40年ごろの写真ではおそらく建物は木造で瓦屋根、暖簾が出て、二階にかなり立派な看板が設置されている。徳若は十字路の角に立っているので、建物の二つの側面が通りに面していて、その両方に入り口がある。2箇所の入り口付近に、それぞれ5人くらいずつ菓子職人やその弟子と思しきひとたちが立っている。どうやら記念写真のようだ。角には、見たことのない角柱型の郵便ポストが立っている(たぶん黒ポスト)。
2枚目、大正時代の撮影だが、やはり明治45年の火事の影響を受けて建て直したのだろう、レンガ?コンクリ?建築になっていて、2階は看板が無いかわりにバルコニーのような箇所が追加されている。元の写真の状態が悪くてわかりづらいが、1枚目との大きな違いとして入り口が1箇所だけになっている。子供が自転車を持っている。また、郵便ポストが円柱型のものに変わっている。
3枚目は発行当時(1980年ごろ)に撮影されたもので、これはあおなくんが偶然撮影していた次の写真とほぼ同じだった。
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郵便ポストは撤去され、現在は辻標が設置されている。梅月の店主のはなしでは10年ほど前に店を畳んだということだったが、建物は平成29年に松本市近代遺産に登録され、そのまま残っている。
旭町の信州大学キャンパスあたりに松本歩兵第五十連隊の兵舎があったころ(1907〜1945年ごろ)、御用商人だった徳若菓子店は兵営内の「酒保」という場所で特別に営業が許可されていた。
営業は概ね週に二〜三日間で午後六時頃から八時頃までと定められ、商品は万寿堂さんが餡ドーナツ主体、徳若さんは大福餅、饅頭類を主に販売し、日曜日の午後には他の業者が入り、主に「うどん」「しるこ」「焼芋」などが売られました。
梅月店主が「正月などの祝賀行事ではうちのお菓子が振舞われた」と話していたが、他の店舗にも営業機会があったらしい。明治時代の大火事などありつつも、梅月がそこからあらたに生まれ、駐屯兵相手に商売するなど地域に密着し、徳若も二度の建て替えを経ながら老舗として太く営業し続けていた。
北部銀座:スズラン灯、安原町公民館、柳菓子舗
同書を捲っていてとりわけ目をひいたのは、12頁のコラム「北部銀座」の項だった。
「北部銀座」といえば、一昨日米屋商店のおかみさんから聞いた話のなかに出てきたことばだ。
「確かに、大成堂さんも古いね。昔はね、このあたりはぜーんぶ、お店だったんだから。北部銀座って呼ばれていたくらい。そこの角には呉服屋があったし、金物屋さんもあった。店の前の通りももっと狭かったんだよ」
この証言を裏付ける情報がいくつか書いてある。地方都市が東京銀座の華やかさにあやかって、「〇〇銀座」と名をつけて商店街を形成する時代があった。安原町もその流れを敏感に察知し、「北部銀座」と名をつけて町造りを開始した。
戦後の安原町関連年表
昭和20(1945)年 終戦
昭和23(1948)年 「北部銀座」命名
昭和24(1949)年 安原町市民館(のちの公民館)を建設
昭和29(1954)年 通りにスズラン灯を設置
昭和30(1955)年 安原町商栄会を結成
昭和31(1956)年度〜 全町大売り出しの開催(中心市街の組合と共催)
昭和38(1963)年 会員数60人超える
こうして年表にしてみると終戦後の20年間、かなりのスピードで繁栄していったことがわかる。昭和40年代は松本中心市街地だけではなく、岡田や浅間からも買い物客が集まった。同頁には昭和30年代のチラシが載っており、「暮のお買物は何でも揃う横のデパート安原商店街へ」と宣伝文句が書かれている。この安原町で「何でも揃う」とは、にわかに信じがたい。
*
街灯は、ぴよまるさんから写真がおくられてきて以来、私にとって北深志という町の風景イメージの中核を占めるものになっていた。車もひともほとんど通らない、あまりにも寂しい夜中の北深志に、煌々と灯るおおきな街灯。まったく豪華とは言えないが、この街の静けさにはすこし明るすぎるようにも感じられていた。
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かつては、こんなよくあるランタンではなくスズラン灯が設置されていたという。もともとは北部銀座の栄光を託すシンボル的なものだったのかもしれない。
『写真アルバム松本・塩尻・東筑・木曽の昭和』(2020年、いき出版)120頁に、昭和32年の安原町商店街の写真がある。スズラン灯が設置されて3年ほど経った時期に撮られた写真である。この写真をみると、街路のずっと奥まで何人も買い物客らしきひとがいて、ぞろぞろ歩いている様子に驚く。
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松本の商店街にも、昭和になるとスズラン灯が登場する。本町や上土では5連のスズラン灯だったが、戦時下に一時撤去された。戦後に復活すると、周辺の商店街にも広まった。
もとは3連丸型のスズラン灯が、どこかのタイミングで2連のよくあるランタン型に変わったようだ。瀟洒な街灯のしたでひとびとがショッピングを楽しんでいる「昭和32年の風景」が、だれもいない静かな街路を等間隔に並んだランタンが照らしつづけている「現在の風景」に重なって、北深志のイメージがすこしだけ揺れ広がる。ぴよまるさんの言っていた北深志の寂しさに、奥行きが生まれていく。
*
さきほどの年表のなかに「安原町市民館(のちの公民館)を建設」という一文があった。これは、あの安原町公民館のことだと思う。隣の家の壁面に「絶対に壊す事はしてはいけません」「絶対に守っていくべき建物です」等と大量の抗議文が書き連ねられていた、あの公民館である。
しかし、資料では昭和24年に建設されたとあり、隣家の壁面にあった「公民館は昭和25年に建てしっかり作って有ります」という書き込みとは情報が食い違う。
また、米屋商店の隣にあり、10年以上前に閉めたという柳菓子舗についても先述した昭和30年代のチラシのなかに名前があった。店名のとなりに「特撰大福餅・三色餅」と書いてある。一度食べてみたかった。
レファレンス:書肆秋櫻舎について
資料のコピーをするために複写申請を行う。資料の名前とページ数を汚い文字で羅列して司書さんに渡す。「何か研究されているんですか?」と尋ねられたので「いえ、友人が住んでいる安原地区について少し気になって調べているだけでして。実は松本の人間ですらないんです」と色々調べている内容を喋ってみる。外部の人間が、研究者でもないのに郷土資料をあれこれ漁っていることを不思議に思いながらも、ものすごく丁寧に、いくつかの資料を紹介してくださる。
面白かったのは『信州松本絵葉書集成』(2009年、秋櫻舎)。松本に関係する絵葉書を約1200枚あつめてカラーで掲載した圧巻の一冊なのだが、これを大橋通り沿いの古書店・書肆秋櫻舎が発行しているのだ。前回店の前まで行ったはいいものの、空いていなくて泣く泣く引き返した記憶がある。『松本の本 創刊号』によれば、書肆秋櫻舎は古書店でありながら松本に関する書物の「小さな出版屋」でもあるという。
やがて、本当に自分の欲しい本を作りたくなる。ちょうど縄手通りの改修計画があり、昔の様子を残す本を企画し、編集・制作を手がけて『縄手繁盛記』を2001年に刊行した。各店の協力で昔の写真を数多く入れ、通りの成り立ちから現代までの歴史を追った。その後、当時の松本市立博物館館長窪田雅之氏の監修で、松本の絵葉書や、古地図の本も手がけ、民芸館創立者の丸山太郎の著作の復刻等、出版を続けていく。
なんだか、この強烈な魂はよく知っている。『松本の本』を編集・出版している想雲堂の渡辺さんは、秋櫻舎さんの意志を継いでいるのだろうか。(古)書店が出版も手がけるというのはかつては当たり前のことだったが、ここ松本では(古)書店が郷土の歴史をまとめて書物を出版する文化がずっと引き継がれているのか。
その後も司書さんにいくつか質問をして、書籍をすすめてもらった。熱中していたらかなり時間が押していたので、丁寧にお礼を言って外に出た。
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旧開智小学校からレンタサイクルに乗って、信州大学附属病院のポートに向かう。
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安原地区公民館(旭2丁目)
図書館の次は公民館でリサーチを行う。とりあえず、図書コーナーを物色する。なぜか『安原地区の歴史探訪』はない。
何冊か気になる本があったので、必要な箇所だけコピーをとってもらうために職員さんに声をかける。
「何を調べてるの?」
「安原地区の歴史について調べていまして」
「地元の方?なにか研究されているの?」
「いえ。仙台から来まして。友人がこのあたりに住んでいるのですが、一緒にこのあたりを歩いているうちに面白くなってきてしまって、どういうふうに風景が変遷してきたかとかを調べているんです」
「へー!すごいじゃん!」
「(照)。ところで、安原町にある安原町公民館っていまは使われていないんですか?」
「どうだろう。ちょっと待ってね。(他の職員に声をかける)ねぇ、安原の公民館っていまどうなってるんだっけ?」
「あぁ、いまは使われてないです」
「そうですか」
「でも、なんか中に貴重な古いものがたくさんあるって聞いたよ。鉄道関係のものとか」
「へえ〜。あのあたりを歩いていて、安原町公民館の隣家の壁面にたくさん抗議文みたいなものが貼ってあって、なんだろうって気になっていたんです。あんまり聞かない方が良いのかもしれないですけど」
「たぶん、建て替えの話があったからかも・・・。色々事情があって、あんまり詳しく言えないんだけど」
「なるほど。ありがとうございます」
『松本歳時記』『松本看板学講座』という2冊の資料について「これってまだ配布されてますか」と聞いてみると、わざわざどこかに問い合わせてくれて、中央公民館に行けばまだ在庫があるかもしれない、と教えてくれた。しかし、どこの馬の骨とも知れない、ここの住民でもない私になんて丁寧に色々対応してくれるのだろう。思えば、松本に来てから仙台にいるときよりもひととコミュニケーションをとっているが、すこしも嫌な気分になったことがない。商店や本屋にはいって話を聞いても、公共施設で尋ねものをしても、みんな優しく丁寧に色々と教えてくれる。
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職場にお土産を買う。7月は高尾で土産を買ってしまったので、今回は松本土産を買いたかった。ずっと気になっていた翁堂さんに入る。
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いろいろあって全然選べず、ガラスケースのまえで唸っていたら、店員さんが懇切丁寧にひとつひとつ説明してくださる。散々迷って、結局いちばん美味しそうだった「女鳥羽の月」を買う。渡す相手のことを考えながらお土産をじっくり選ぶ時間が本当に楽しい。(ちなみにこのあと帰仙していざお土産を披露したら、あるひとから「えぇ・・・マメだねぇ・・・」「両親からそういうふうに育てられたのね・・・」みたいな意味不明なことを言われて本気でテンションが下がった。私はお土産を全然求めていないひとへの配慮が足りなかったかも)
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高砂通りにはいる。先月を思い出している。
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東門の井戸ちかくに座って、想雲堂の開店を待つ。お腹が空いた。今回の松本旅の主目的(そんなものはないが)は、たぶん、想雲堂で『松本の本』について話を聞くことだ。胸が高鳴る。
古本喫茶 想雲堂(大手4丁目)
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「OPEN」と書かれた板がかかっているのを確認して、ラストダンジョンに潜入する。開店直後だったので客は私しかいない。席にすわって、カレーとリンゴジュースを注文する。カウンターとテーブルがある。思ったよりも蔵書は多い。ふらふらと本を物色しながら食事を待つ。
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カレーをはむはむしていると、少しずつお客さんが入ってくる。親子が入ってきて、その父親のほうに店主の渡辺さんが「また民俗学やって下さいよー」と声をかけている。
初老の男性がカウンターに座る。「お盆は飲むことに決めてるから」とお酒を注文する。「送り火は16日だっけ?」「どうですかね」「民俗学をやってる渡辺さんが知らない訳ないじゃない」どうやらこのひとも顔馴染みらしい。
関係性がすでにあるていど出来ている緩やかなコミュニティに「どうもこんにちはー」とよそ者としておそるおそる入っていくこの感じは、仙台で散々経験してきた。ちょっと不安でちょっとワクワクしている微妙な自分のテンションが、いつもたまらなく楽しい。しかし、今までに無いくらい緊張していた。たぶん、私が心の底から本当に訪れたい場所だったから、本当に聞きたいことがあるから、こんなに緊張しているのだと思う。
『ふるさと地理誌』(信濃毎日新聞社)、『松本のあめ市』(高美書店)なども気になったが、ひとまず『城下町のまちづくり講座』(松本都市デザイン学習会)と『そこに人がいるから』(小林智樹)の2冊を厳選し、意を決してレジに歩み寄る。
「すみません、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」
「はい(身構える感じ)」
「この『松本の本』って創刊号はもう在庫が無いのでしょうか」
「そうなんですよ、いつか再刊したいとは思ってるんですけどね。しかし、聞きたいことってそれだったかー」
「今日は仙台から来て、色々な書店をまわって『松本の本』を探していました。創刊号の再刊、期待していますね」
念願かなって訪問できた想雲堂。本当はここで書いてきたようなことをたくさん話したかったし、たくさん聞きたいことがあったのだが、周りにお客さんが何人もいて店主も忙しそうだったので、というか何より緊張に押しつぶされそうだったので、すぐに撤退することにした。まぁ「創刊号は再刊したい」ということばを聞けたし、それで十分かもしれない。また来よう。
店主の渡辺さんは私のそんな動揺など知らずに「仙台かー。こないだ行きましたよ。いま仙台四郎について調べていて・・・」と仙台四郎トークをどばーーっと繰り出していてウケた。『松本の本』を読んでいて感じていた熱量そのままだった。このひとがあの本をつくったのか、と深く納得して、私はじーんと感動していた。生粋の民俗学徒という感じだった。本当はいまにもこの店を飛び出して、フィールドワークに出かけて行きたいのでは無いかと思わせるような、旅人のにおいがした。
店を出て、まっすぐ松本駅に向かった。そこで偶然同じ日に松本を歩いていたらしいあおなくんと合流して、すこし喋った(詳しくはあおなくんの記事で)。
参考文献
『安原地区の歴史探訪』平成21年、安原地区歴史研究会
『松本いまむかし』1980年、黒岩功、郷土出版社
『よみがえる城下町松本』2004年、松本城下町歴史研究会、郷土出版社
『写真アルバム松本・塩尻・東筑・木曽の昭和』2020年、いき出版
『懐かし写真館:昭和の街角』2009年、郷土出版社
『松本の本 創刊号』2019年
『城下町のまちづくり講座』2019年、松本デザイン学習会、信濃毎日出版社
『信州松本絵葉書集成』2009年、秋櫻舎
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ぎゅーぎゅー詰めの車内で「まじで!?」「こんなの経験したことない」と喚いていたカップルに、「帰りはこんなもんじゃないよ・・・」と脅していた老夫婦の強者感が忘れられない
[たかしな]