オスカーワイルド 忠実な友 を読んで
みなさん、こんにちは。オスカーワイルドの「幸福な王子/柘榴の家」に収録されている「忠実な友」を読んだ感想を書いていきます。
あらすじです
ハンスという、純粋で真面目な男が主人公です。ちびであまりイケメンとはいえない顔立ちでしたが、小さな家で1人暮らしをし、庭仕事(農業)に精を出していました。彼の庭は美しい花が多く咲き、たわわに実った果実が多く植えられています。
そんな彼には、忠実な友がいました。ヒューという粉屋の男です。背が高く、金持ちで妻と息子の世帯持ちで、ハンスと身分が違います。
ちなみに、ハンスは他にも友達が多くいました。街では人気者でしたが、それだけ深い関係ではない印象です。しかし、ヒューだけはハンスに度々会いに行きます。ハンスにとって、ヒューの素晴らしい話が聞けることは何よりも楽しみでした。
ハンスはヒューの「ある言葉」に影響を受けています。
それは
真の友情とは無私無欲であること
です。
自分のことしか考えない人達が多いなかで、ヒューだけは自分のために会いに来て、素晴らしい話を聞かしてくれる。という思いやりに、感銘を受けたのかもしれません。
しかし、近隣の人はハンスとヒューの関係性を変に思っていました。
なぜなら
ヒューがハンスに会いに行く度、庭の花や果物、野菜などをごっそり貰い、彼はハンスに一切お礼をしていないのです。
彼のほうが、金持ちで小麦粉を多く所有し、家畜もいます。それに冬になると、ヒューは彼に会いに行こうとしないのです。
近隣の人がそう思いながらも、彼らを見ているだけで、ハンスもヒューのしていることを変に思っていませんでした。
そんなヒューには、持論がありました。
本当の友達というのはすべてを共有する。
友達が困っているときは、あえてそっとしておく。なぜなら、「困難という壁」はその人だけの力で乗り越えられるよう、やってくるものだから。それを遠くで見守るのが、本当の友達。
というものです。
ハンスは彼の持論に感銘を受けてばかりで、それらに対しての理屈や理由など、一切頭に浮かびませんでした。仕事や友情に精を出すばかりです。
春になると、再びヒューはハンスのところにやってきます。ハンスは冬のあいだ、庭仕事ができず、お金に困り、自分の生活用品や仕事道具を売って、なんとか生き延びたみたいです。そして、桜草を市場に持っていき、手押し車を買い戻そうとしていました。
「手押し車を買い戻せたら、もうぜんぶ買い戻せますよ」
「おいおい、それはなんとも、勿体ないことをしているではないか。俺様の以前使っていた手押し車をあげよう。ちょっとボロいが、使えるものだ」
「本当ですか? ありがとうございます」
ハンスはヒューの気遣いに大変喜びます。
ヒューはもう新しい手押し車は買っていました。以前の手押し車は片側が取れ、車輪の輻の具合が悪いと話します。
「大丈夫です。実は、家に厚板があるんですよ。それで直して、使います」
「何ィ? 厚板だと。ちょうどよかった。手押し車をやると言ったから、厚板を俺様の納屋のところに持ってきて、修理をしてもらうことにしよう」
ヒューの納屋の屋根にでかい穴が開いており、雨の日に小麦粉が濡れてしまう恐れがありました。厚板があるという、ハンスの言葉から「お前は本当に素晴らしく、気配りのある人間だ」と言って彼を褒めます。
そこでヒューはハンスにある素晴らしい言葉を言います。
ひとつの善い行いが、また別の善い行いを生む。
真の友情とは高価や低価などのものにはこだわらない。
というものです。
ハンスはまたもや、ヒューの素晴らしい言葉に感銘を受け、笑顔になります。すぐに、厚板を引きずり出してゆきます。
「たいしたことない厚板だな。まあ、納屋の屋根の修理は足りるが、手押し車は足りないかもな。もちろん、俺様のせいではない」
とぶつぶつと文句を言いますが、ハンスは何とも思っていません。
「俺様がお前に、手押し車をあげるんだから、何か気の利いたことをするべきではないのか?」
ヒューはそう言うと、ハンスはヒューに庭の花をごっそりとあげました。
本来だったら、ハンスはその花を市場に売って、生活資金をするつもりでした。そしてまたもや、ヒューはハンスに素晴らしい言葉を言います。
本当の友達というものは、利己心をもたないもの。
それを聞いたハンスは
自分の庭や生活よりも友情に勝るものはない。
と感銘を受けて納得します。
それから、ヒューは「ハンスに手押し車をあげる」という言葉を武器に、依頼内容がどんどんエスカレートしていきます。ハンスは相変わらず、手押し車欲しさに彼の多くの依頼を忠実にこなし、素晴らしい言葉を聞いて感銘を受けていました。
そして
最終的にハンスはヒューの依頼の途中で、事故で帰らぬ人となります。
ハンスの葬式は多くの人が集まり、彼を嘆き悲しみました。ヒューは彼の喪主(彼は家族や恋人もいませんでした)を務めます。何しろ、一番の親友で当然だ。と彼は言います。
ハンスがいなくてなって一番困ったのは、ヒューでした。
なぜなら
手押し車をあげると言って、結局本人にあげることができなかったのです。
そのうえ、ハンスにあげるはずだった手押し車の始末に困ると言いだします。
「結局、善人ほど、まったく良いことはない。痛い目に遭うことが分かった」
ヒューは酒場でお酒とケーキを食べながらそう思いました。
感想です
「忠実な友」という
友達だから〇〇しなければならない。〇〇するべきだ
という固定概念にとらわれ、それを利用するヒュー、もしくは利用されるハンス。どちらも「忠実な友」という言葉に惑わされている感じでした。
これは、友達でなくも恋人や会社、上司、親子、先輩と後輩、先生と生徒など、色んな関係に置き換えることができます。
例えば 会社で例えると
ヒューは権力のある立場。ハンスは下っ端という立場。
権力のあるものは、会社のために働く人材や部下が欲しいので
自分の都合のいい人を囲んだり、そうでない人はどこかに追いやる。といった知恵を働かせる。そうすると、下っ端という立場に、二つのタイプが出てくる可能性があります。
それは
この人に認められると、この仕事は安泰と思う人
この人に認められなければ、会社に居づらくなると思う人
の二つのタイプです。
権力のある人に認められると、自分が特別扱いになった気分になります。美辞麗句を並べられてもそれを鵜吞みにし、自分の為に言ってくれるんだと思うようになります。同時に、「権力のある人」という、偉い人が言うのだから、正しいことだと感じます。
権力のある人に認められなければ、存在自体が消され、周辺の人にも変な噂になる。あるいは、失敗や悪いことが起きると、自分が疑われる可能性がある。というものです。
やがて
権力のある立場は、いつ下っ端が下剋上を出す可能性に怯え、下っ端の立場は、いつクビになる可能性に怯えるといった、両者とも「忠実」という言葉に惑わされ、鎖に繋がれているのではないかと思います。
そして、本書を読んでいると、現実でもあり得そうな出来事だと感じます。
ハンスのような人間はヒューでなくても、自分を慕ってくる人に対して、ヒューのような人間を作る可能性があります。
逆に
ヒューのような人間は、ハンスがいなくなっても、自分の立場や権力を利用し、その人に近づき、深い関係になる。「この人は偉い立場の人間だから、繋がっているだけで満足感が満たされる」と考える人で純粋な性格であれば、ハンスのような被害を生む可能性だってあります。
最近はネットやSNS、メディアなどの情報を知ることは容易ですが、あまり鵜吞みにすることなく、線引きしたり、自分の考えを持つことが、この社会を生きていく手段かもしれません。
最後まで、読んで頂きありがとうございます。