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百閒先生くらい あたしも決められたくない

内田百閒先生の「阿呆列車」が好き。
百閒先生は、現代の面白エッセイの原型を作った人だと思ってる。

今の人間が見ると文体が古めかしくて難しいように見えるけど、書いてる内容は「気難しくてややこしいジジイ(自分)が色々と難しいことを言い、そのせいでドタバタし、散々な目にあったり、良かったり、悪かったりする」ていう旅エッセイ。
自分のことを「ややこしいジジイ」として客観視して書いてるし、その自分に振り回される人も憐れみつつ面白く書いてある。

そこが読み取れないと「なんて堅物の嫌な人なんだ!きらい!」てなる人もいるらしく、そんな感想も聞いた事があるけど、あれはそういうものではない。
堅物ジジイが堅物が故にドタバタするコメディだ。

どうややこしいかと言うと、まず百閒先生は旅をする時に、宿を予約したり、汽車の切符を買っておいたりしない。
なぜならそれは、時間と場所と手続きが固定されるということ、つまり「決まり」であって、「決まり」があると、それを自分が守らなければならないという「仕事 用事 タスク」になるからだ、という。
そして、なぜそれがいけないかというと「休み」で旅行に行くからである。

休みとは、用事をしないことである。
フリーであるということを休みという。
決まりがあると、休みにならない。
守らなければならないと決められているなら、それはもう仕事のようなもので、休みとは言えない。

そういう理屈である。

だから、何も決めずに旅に出る。
そして、先生はそれによって大変な目にあっている。
「そういうことにならんように宿とか切符とか押さえとくんやで」ということを全部やる。
それでも「もうこんなのは嫌だから、予約しようかな」とはならない。
百閒先生は、とにかく”決められたくない”のだ。
決められるのは、仕事の時だけにしたいのだ。

これ、一般的には「なんで?」となるんだろうけど、あたしは完全に「わかる」のよね。

流石にあたしは予約とるんだけどね。
でも、できるだけ何も決まってない状態でいたいのよ。
先の予定が詰まってると「わぁ!守らないと!どうしよう!こわい!」てなるのよ。
決まってることは、できる限り無い状態でありたい。
思いつきで出かけて、行き当たりばったりで決めて、思いつきで帰りたい。

こういう人、割といると思うんだけどなぁ。
あんまり聞かない話だね。
あたしみたいな人は、みんな嫌だけど我慢してやってるんだと思う。
あたしもそうだし。

大変なことになって、それが自分の性質のせいだと分かってても、頑なに「嫌は嫌なので」とできる百閒先生はすごいし、ややこしいし、難しいし、あたしは大好き。

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