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コミュニティにキチンと属した事のない人はどうなって行くのか

正直集団行動がアレルギー出るぐらい苦手である。得にあんまり知らない人が居るような牽制し合うような空気感の中で、流れに乗って調和を取ることができない。

そんな時は同じく居心地悪そうにしてる人間にロックオンして、集団の中でも結束を束ねた第二グループを自ら精製して、隅の方でコソコソやる事でなんとなくのポジションを保ちニヒルに陰湿なコミュニケーションに生じることが多かった。

俺は人生で自発的に多種多様のフィールドで中心に躍り出ることのない種類の人間である。生まれて自我が芽生えたころからそんな疎外人間で、同じ価値観を形成できそうなコソコソとした人々だけでずっと過ごしている気がする。

大学なんて地方から出てきた身分なのでこの自分の性質の人見知り加減をそのまま引き摺るのは流石に良くないという事で、最初の1週間は自分市場最高に集団行動的なコミュニティに新歓時期などは参加していた。ベースをやっていたので多種多様にある軽音サークルをひと通り巡り、そこそこの知り合いは確保できた。

そして学部でも隣に座ったやつに声をかけ、そいつの高校の同級生などと交流はなせた。ニヒルな態度を取らずに純粋に友達を得ようとする姿勢は必ず結果が伴う。やはり攻めの態度は必要不可欠である。

なんだかんだで最初の1週間で恒常的に連む人間は確保できた自分は意外にも何とかなるなあと安堵していた。しかし、こっから少し恐ろしいところでそのまま大学4年間その時期に会った人間のみで全てを過ごしてしまったのだ。何万人もいるグローバルな大学にしては5人ぐらいで全て友好関係が硬く凝縮してしまったのだ。

まあそのメンツはなかなか居心地良く、自分特有の陰湿な視点などに共鳴してくれたりと、カルチャーの面でも共通項があったので居心地良かった。そんなボンクラのまま新たな交流を広げることもなく喫煙所に篭ってヘラヘラしていたのは楽しい思い出である。

とにかく新社会人は同期とはそう言う関係性で入れたら結構楽しくは過ごせるようになる。研修期間が終わるとドラゴンボールのように散り散りになっていき希薄な関係性と、いきなり辞めて行く抜け忍が必ず存在するがそうもんだと受け入れて残された同期との絆は構築した方がいい。

僕の場合は同期ひとり道連れに会社を一緒に辞めるという社会人としてはよろしくない逃げ方をしたが、新たなフロンティア東京にやってこれたのは良き思い出となった。あの同期たちも次々と辞めていき、全国散り散りに自由気ままに暮らしてるそうな。

集団の中で居心地が悪いと言う感覚は実は会社だと意外にもドライさと距離感が心地よいので大学デビューほどエネルギーは使わないかもしれない。しかしそんな中でも徐々に専門性を発揮していって仕事に悩殺されるも多くなる。

そんな時におすすめしたいのが、会社の近くに同期みんなで共同部屋を借りることをオススメしたい。自分の場合は近くに同期のお婆さんの一軒家が偶然あったので、そこで不思議な共同生活を送ることができた。

仕事終わりにとりあえずそこに行き、適当に談笑したりそのまま泊まったりとある種部室のようなセーフティーネット感ある施設だった。ここで同じ釜の飯を食うことである程度の心の平安は保てるスポットと化す。まさにここで初めてコミュニティを形成することができたのだ。

なんか漠然とこういった意識高いシェアハウスとかじゃなく、本家を持ちながら自由にフラッとやってこれる集合場所を持つことは非常に良いのでいつか何処かでまた実践したい。やはり人間は「部室」こそから全ての文化やハードな精神面の強固が可能になるのだろう。

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