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大呼吸 篇

 昨夜はハヤシダナイトにお越しの皆様、金曜日の夜の貴重なお時間をありがとうございました。結局、午前2:30まで大乱闘スマッシュブラザースの状態だったんですけれども、知的プロレス、まさにチノアソビを体現できた夜でもありました。何も考えずに、今週、空いてる夜が昨日しかなかったので設定したのですが、あとからTAOのスタッフりゅうへい誕生会&バレンタインイベントだったことを知り、やや反省しております。

 まあ、でも世の飲食店にイベント被りなんてものはよくある話で、ここは弱肉強食の資本主義の都、福岡。ということで、売上勝負で負けた方がランチを奢ることになっております。どうなるかなあ。

 そんなこんなで、木曜日に開催された荘子講座からネタを一つ。

 いよいよ『荘子』も「大宗師篇」に突入しました。

 真人とはどういうものか。古の真人たちは逆境のときに無理に逆らわず、また仕事が上手くいっているときでも勇んで調子に乗るようなことはせず、あるがままにして特に深く考えるということはなかった。だから、失敗しても残念だということはなく、成功しても「自分のおかげで成功した」と誇ることもない。そしてまた、高い所に登っても怯えることはなく、水中に入っても濡れず、火の中を通っても熱さを感じることもない

 また、古の真人たちは眠る際には夢を見ることはなく目覚めて憂いを抱くこともない。食しては味の善し悪しにこだわらず、呼吸は深く保つ。というのは真人たちは息はかかとから吸い込むが、凡人は喉先で息をするだけだ。心がゆがんでいるので、出す言葉はへどを吐き出すかのようだ。物事への執着が深い者は,神からの賜りものが浅薄である。

 真人(しんじん)についての記述が進みます。真人とは、道の極みに達した道教における最高の存在、といいつつ、道教的には最高も最低もない、という悟りに達しているのが真人なので、なかなか説明が難しいですね。

 有名な「胡蝶の夢」は『荘子』を代表する文章の一つです。あるとき、荘周(荘子)になって野原をひらひらと舞っている夢を見た。ハッと目が覚めて荘周が夢で蝶になっていたのか、いま、蝶が夢で荘周になっているのか、わからなくなった、という逸話です。しかし、ここでは真人は夢さえ見ないと書かれています。今を生きているこの世の中は、うつつか夢か、と惑うことさえ遁れ出た境地に達すると、水に深く潜っても濡れないし、火の中を歩いても熱くない。まさに

心頭滅却すれば火もまた涼し

という禅機に通じます。そして、そのプロセスとして挙げられるのが「呼吸法」なのであります。ぼくは幼い頃から剣道をやっていたのですけれども、最初に教えられるのが「発声」と、それに連なる呼吸法です。「ヤー!」と掛け声を発しながら竹刀を振り回している場面を、皆さんも一度は見たことがあると思うのですが、最初はなかなか声が出ません。大宗師篇にもあるように、最初は喉から声を出してしまいます。すると、先生から

「腹から声を出せ」

と指導を食らってしまいます。特に、小さい時分というのは腹式呼吸をしていませんからね。どうしても上っ面のか細い声喉から絞り出してしまいます。

「腹から声を出すってどういうことだ?お腹に力を入れるのか」

と色んなことを考えながら発声の練習をします。そのうちに大人になっていくと、この指導も変わってきまして

「臍下丹田(せいかたんでん)に気を込めろ」

と言われるようになります。臍下というのはおへその下という意味です。ここに丹田と呼ばれる気の溜まり場のようなものがあって、ここに気を溜めていく、という考え方は剣道のみならず、あらゆる武道、茶道や書道でも指導されるものです。

 しかし、真人は臍下丹田、おへそで呼吸するのではなく、かかとから呼吸するのだ、という激烈な教え。もちろん、おへそやかかとでは呼吸できないのですが、かかとから気を吸い込むつもりで深く深く吸い込む、というのは荘子のもう一つの代表的な教えなのでもあります。

『達人伝』王欣太より

 王 欣太の『達人伝』は、荘子の孫が主人公で、老荘思想を駆使しながら中国の戦国の世で大活躍しながら真理を探っていくという物語ですが、ここでも真人の呼吸法は「大呼吸」として特出しています。ちなみに、調べてみたら昨年、完結しているようなので途中までで投げ出していたので読み切りたいと思います。

 ともかく、嬉しいことも、悲しいことも、怒れることも、心配事も、とかく絶えない乱世の令和ですが、どんなことでも大呼吸をすれば、大概のことは気にならなくなるのであります。

(了) 2025 vol.043

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