論語講座(東京) vol.03のご案内&島田虎之助 篇
1. 縦の歴史と横の歴史
5月17日(金)に論語講座(東京)を開催しました。
相変わらずナチズム・ファシズムの話から島田 虎之助のお話まで脱線しまくっていて、90分かけて5段くらいしか進まないという。しかし、本当の学問というのは枝葉から辿り着く幹が大事なのです。そして、幹から枝葉へと広がっていく雑談の中にこそ、本当の学びがあります。
思えば、学校の歴史の授業で学ぶのは根幹にも到達せず、枝葉にも広がらない縦の流れを暗記するものに終始しています。
ぼくたちが学生時分には、源頼朝に関して
「良い国(1192)つくろう鎌倉幕府」
と習いました。頼朝が鎌倉に幕府を開いたのは1192年だ!という具合に語呂合わせで暗記させられるのです。覚え易い、いい語呂です。しかし、最新の研究では1185年には鎌倉幕府としての機能は整っており、1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年、ということになっています。
なので、2006年以降に歴史を学んだ人たちは
「良い箱(1185)つくろう鎌倉幕府」
と暗記するそうです。なんじゃそりゃ。暗記なんか意味ねーじゃないか、という気もします。しかし、この変化は一つだけ役に立つことがあります。
不適切代表・林田の夜の主戦場、福岡の中洲において、テーブルに付いたお姉さんが年齢不詳のことがよくあります。
「歳、いくつ?」
と訊ねると、
「えー、いくつに見えるー?」
というそこそこ高額のお金を支払っているにも関わらず全く生産性のない不毛なやり取りを経た後、
「27歳でーす」
とか答える女の子がいるんですね。そういう時に、ぼくはこう訊ねるわけです。
「では、鎌倉幕府の成立は何年ですか?」
この質問は良い質問です。さすがに、この問題の答えを知らない、という人は、どんなに勉強をしてこなかったとしても、なかなかいるものではありません(驚くべきことに、時々はいます)。
そうすると、
「えー、そんなん、誰でも知っとーよー。1192年やろ」
と博多弁で即答で返って来ることがあるんですね。鎌倉幕府の成立が1185年とされる教科書が出たのが2006年。最年少ベースで2006年に小学6年生、12歳で歴史を学んだ人は2024年現在で30歳なのです。
つまり、鎌倉幕府の成立を1192年と言い切る人は、最若でも31歳以上だと推定することができます。いやぁ、歴史って本当に面白いですね。
2. 福澤諭吉の出身地は何故、大分県中津なのか?
縦の歴史はさておき、本当の面白さは「横の歴史」にあります。この章のタイトルを「諭吉の出身は何故、中津なのか?」としたわけですが、正しい問いは「何故、中津から福澤諭吉が出てきたのか?」というものです。
あんな田舎から、と言ったら流石に怒られそうですが、いま訪れてみても中津城以外、さして有名なものがない地方の町から、天下の慶應義塾の創設者であり、永らく日本円の最高券種である一万円札の顔を張る人物が生まれたのは、やはり中津の知られざる偉大な歴史を知らねば理解できないものです。
これについては、かつてチノアソビ本編で語っている部分がありますので、ぜひ、当該回をご視聴ください。
ちなみに聞くのめんどくさい、という人のために軽く触れておくと、蘭癖(蘭学にハマっていた)大名、奥平 昌鹿の存在に始まり、中津藩医であった前野 良沢が『解体新書』を完成させるまで、と完成させた後の涙、涙の人生が関係してくるのですが、上記番組の出典は、作家吉村 昭の名著『冬の鷹』に詳しいので、ぜひこちらもご一読いただければと思います。
ここまで前提をスッ飛ばすための紹介をしてきましたので、堂々と本題に入りたいと思います。論語講座も第2期に入ったばかりで、未だ『論語』も最初の章である学而第一を延々と彷徨いているわけですけれども、論語には友に関する記述が多く出てきます。
孔子は学問の中でも「詩」(詩経)を最も大事にしていますが、詩とは史(歴史)であり志のことでもあります。その孔子の言行録である『論語』の中で、やたらと交友関係のあり方についての記載がでてくるのは、孔子が孤独な哲学者ではなく、あくまでも現実の人間関係の中から真理をすくいとろうとしていることをよく表しています。
つまり、歴史を読むにしても縦の歴史、ではなく横の歴史、すなわち歴史の中における人間と人間の関わり方、がむちゃくちゃ重要になってくるわけです。
そういう意味では、幕末・維新の夜明けの魁となった『解体新書』を翻訳したグループのうち、前野 良沢と杉田 玄白は絶対に欠かせない二人なのですが、かたや杉田 玄白が神田に私塾「芝蘭堂」を開き、天下に弟子を数百人かかえて栄華を誇っていたのに対し、まるで冬の鷹のように過ごした前野 良沢の晩年は、その功績が報われなかった、と言っても過言ではありません。
杉田 玄白も前野 良沢に対して後ろめたかったに違いありません。玄白が残した『蘭学事始』には、そうした贖罪の意識が働いたのか、前野 良沢なくして翻訳が完成しなかったことが明確に記されています。しかし、この書籍は江戸幕府の力がまだまだ強かった(蘭学に対して厳しかった)こともあり、当時は世間に広まりませんでした。
福澤 諭吉が、学問を進めていく上で、郷土中津の大先輩である前野 良沢の扱いを知って、どれだけ歯噛ゆかったことでしょう。後に福澤が『蘭学事始』を発掘し、世の中に前野 良沢の功績を広めるまでは、良沢は日本史の日の当たらない片隅にひっそりと佇んでいたのです。
3. 勝海舟と島田虎之助
横の歴史の素晴らしさを語るために、ここで勝 海舟の話をします。
海舟の父親の勝 小吉、この人は、もうどうしようもない暴れん坊だったらしいですね。とにかく荒くれ者だった。小吉の従兄弟に男谷 精一郎という大剣豪がいます。
2003年に、日本剣道連盟が剣道殿堂を創設するのですが、この顕彰の筆頭に名が刻まれたのが男谷 信友こと精一郎です。つまり、日本剣道連盟が、日本史上もっとも強かった剣客として認めたわけですね(ちなみに、宮本武蔵と柳生宗矩は別格として別格顕彰されています)。
それもそのはず、男谷 精一郎は、幕末の江戸において力の斎藤・位の桃井・技の千葉と称された三大道場をもってしても歯が立たないといわれた達人なのです。
しかし、勝 子吉は男谷 精一郎と喧嘩となると、片手で捻っていたと言います。江戸町火消しの元締めの一人である新門 辰五郎曰く、
「喧嘩で(勝小吉の)右に出る者なし」
このある種、幕末最強の男とも言える小吉の子として育てられた海舟の苦労も大変なものだったらしいです。
勝 海舟が歳頃になったとき、武士として育てられていますから当然、剣道を学ばなければなりません。このとき、小吉は当然、当代随一の剣豪、男谷 精一郎の下に入門させようとするのですが、男谷はもう小吉と関わるのも嫌ですから、かといって無碍に断るわけにもいかず、弟子の島田 虎之助のところに預けるんですね。
島田 虎之助は「今武蔵」の異名を取る二刀流の名手でもあります。
この島田 虎之助の強さには色んな逸話がありますが、最もその名をよく知られるようになったのは、中里 介山の『大菩薩峠』です。
もう知る人も少なくなりましたが、大ベストセラー小説です。
片岡 千恵蔵、市川 雷蔵など様々な俳優を迎えて映画化されています。
この『大菩薩峠』の中の雪の鶯谷で、土方 歳三をはじめとする新撰組の一行が、人間違いで島田 虎之助を襲撃するんですね。虎之助は、片っ端から斬って捨て、十三人を斬ったところで、目撃していた机 竜之介が
「これは神か!」
と嘆ずる名シーン。ちなみに、この『大菩薩峠』の設定は文久2年ということになっていますが、実際の島田 虎之助はそれよりも10年前の嘉永5年に病死しています(死んだ人間を10年後に登場させる中里 介山の大胆さたるや!)。
とにかく、海舟は、この大剣豪である島田 虎之助の門を叩くわけですね。そしてこの島田 虎之助、実は、なんとッ、中津藩出身なのです!
勝 海舟が、剣道を学びに行ったにも関わらず、そこで島田 虎之助から前野 良沢大先生と『解体新書』に触れて蘭学に傾倒していく。そんな場面を思い浮かべると、福澤 諭吉をだすまでもなく、偉大なる中津の前野 良沢なくして江戸城の無血開城はなかったのだッ、なんて考えると胸が熱くなってきます。
4. 次回告知!
そんな話をひたすら脱線して話し続けているので、「論語講座」は踊る、されど進まず、の状況ですが、地道に前を向いて歩いていきたいと思います。以下、告知です。先月も、このnoteを見た大学生が一人、飛び入りで参加してくださいました。とても嬉しいです。どしどしご参加ください(ただし、会議室の都合で定員は20名となっております)。
日時・場所
2024年6月28日(金)19:00-20:30
※時間が30分早くなっておりますのでご留意ください。
終了後、懇親会を開催します。
あらゆるセミナー、勉強会は本質的には懇親会が本番です。
懇親会への参加は必須としておりますので、よろしくご理解の程をお願いいたします(懇親会費用は実費)。
また、懇親会のみの参加は受け付けておりませんのでご了承くださいませ。
会場は、新宿駅西口近辺の貸し会議室を予約しております。
参加者には個別で会場の情報をお送りいたします。
会費・定員
会議室をお借りして運営するため、会費を徴収させていただきます。
大人:1,000円
学生まで:無料
といたします。また、定員は20名とさせていただきます。参加者が定員に達し次第、締め切らせていただきますので、ご了承くださいませ。
必携図書
『論語』を購入の上、ご参加ください。
Amazonで正規品はややインフレしていますが、中古品もたくさんあるようです。古本屋でお手軽に手に入れていただいても構いません。また、ぼくは岩波文庫の金谷 治版を使用していますが、解説本ではなく正規の『論語』であれば、出版社、訳者の種別は問いません。
参加方法
この記事にコメントをいただくか、
まで「参加希望」と記してメッセージをください(定員は先着順とさせていただきます)。
なお「福岡でも開催して欲しい!」との声を受けて、毎月一回、太宰府市にあるカフェミュークでも開催しております。
こちら、第2回目は
2024年6月23日(日)16:30-18:00となっております。
太宰府は定員が8名となっておりますので、参加ご希望の方はお早めにお知らせくださいませ。
(了)
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