【随筆】花の候に
若草賑わう春の日、川岸の高みにずらりと咲き誇るのは桜である。その淡き花弁は、青い空や白い雲と協調し、小鳥たちのさえずりを迎え入れる。
水量が増し、狭くなりつつある岸辺には菜の花が一面に広がっている。その頭を春風がやわらかくなで、小さな蝶々が舞い、水はやさしい光をおびて、鯉の大きな影をゆるりと動かす。
白鷺は音もなく岸におり立ち、水面に近づいてみれば、小さな目高の一団が頭の向きをいっせいにかえながら、あっちやこっちやと泳いでいる。
向こう岸の岩の上でじっと甲羅を陽にむけているのは亀。水際に遊ぶ小鴨たちを見守っているかのようである。
春の雨は、四方の山にしみこみ、湧水となって、甲府盆地に流れ出る。盆地をつらぬく、濁川、荒川、平等川、笛吹川の四つの水系は、山梨県の南方で合流し、富士川と命名される。その後、静岡県、駿河湾へと還ってゆく。
この春の大循環のなか、私の住む山梨県では、桃や桜の花が見ごろである。盆地には桃、川沿いには桜である。
山梨県の中央、甲府から少し東にある笛吹市を横断する山沿いの道からは、満開の桃園を見下ろせる。桃源郷と呼ばれるだけあり、たいへん美しい景である。
私事だが、昨年、晩冬から五月、赤子の生まれる日まで、笛吹市の産婦人科への道すがら、毎週末、桃の花をみていた。
今年も満開だ。生後十一か月の我が子は、あぷぅあぷぅと何かを言いたげである。
空が一枚桃の花桃の花 廣瀬直人
廣瀬直人氏は甲斐の俳人である。同じく甲斐の偉大なる俳人、飯田蛇笏氏、飯田龍太氏の意思を受け継いだひとりである。掲句は、動詞がなく、名詞の質量感ある重厚な一句でありながら、”桃の花”の繰り返しが軽快である。一枚の空、桃の花のみの世界、それ以外のいっさいは消え去ったかのような静謐な時空間、それが桃源郷をみた者の真実なのだろう。私は実体験があるため、まさにその通りだと強く共感できる。俳人は、「事実」を述べるのではなく、「真実」を言葉で表現するのだ。
さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉
桜の名句である。中七の”す”で切れるため、主語は桜ではなく、詠み手(芭蕉)である。桜をみて、さまざまなことを思い出す―芭蕉のこころに立ち上がるものは何だったのだろうか。
日本に住む者であれば、誰しも、桜と紐づく思い出はあるのではないか。私は祖母を思い出す。晩年、自立歩行もできなくなり、声を出すことすらも困難になった。もしかするとこれが最期かもしれないと思い、車いすにのせて桜を見に行ったのだ。やはり、それが最後の桜だった。持参した僅かな巻寿司を咽ながら食べている祖母の姿が、今でも鮮明に思い出される。私は祖母のためにもっと何かできたに違いないと後悔の念が胸中に去来する。
掲句は、”さまざまのこと”と、かなり抽象度の高い句であるが、限定させないことで普遍的な詩情を保っている。また、桜をまえに立ち尽くす芭蕉の姿が立ち上がってくるようだ。
俳句だけではなく、短歌もいくつかご紹介したい。しかし、現代短歌ではなく、明治天皇の歌である。過去の拙稿においても、明治天皇御製をよく引用しているが、それは私個人の好みによる点が大きい。
天皇は生まれた瞬間から自由がない。極端にいえば人権がない。我々は職業選択の自由もあるし、犯罪以外のことはおよそ何でも許される。しかし、天皇には寸分の自由すらもないのだ。生まれてから死ぬまでその役割を演じ続けなければならない。自由気ままに生きてきた私は、そんな天皇をすごい人だと感じている。ただし、私は天皇を神格化するような考え方ではなく、ひとりの人間として、文人として、尊敬している。
明治天皇は和歌が好きでその生涯に一万首近くの歌を詠んだそうである。時代の指導者として(”国の象徴”など多くのいい方はあるだろうが・・)、日本国の未来を言祝ぐ歌、他国の指導者に敬意を表する歌など、いわゆる祝詞(のりと)に近い印象を私はもつ。
また、この令和の時代に、万葉調、自然を鑑賞することは古臭いと思われるかもしれない。それでも、短詩型のもつ伝統的な形式美を共有できれば幸いである。
故郷花
ふるさとの軒端のさくらこの春もわれを待ちてやひとりさくらむ
明治天皇御製・明治三十五年
ふるさとの我が家、軒の端にかかる桜は、今年の春も私を待ち、ただひとり咲いているのだろう。
池落花
池みづにちりてうかべる花をまたただよはしても春風ぞふく
同
池の水面に散って浮かべている桜の花びらを、再び漂わせているけれども、春風は吹く。
花始開
春毎にうれしきものは咲く花にはじめてむかふあしたなりけり
明治天皇御製・明治三十六年
毎年、春が訪れる度に嬉しく思うものは、桜の開花に向かい合う朝である。
春祝
のどかなる春にあひたる国民はおなじ心に花や見るらむ
同
のどかなこの春に寄り合う民は皆、同じ心に花を見るのだろう。
寄花祝
治まれる世の春風をうけてこそ花ものどかに咲き匂ひけれ
明治天皇御製・明治四十年
平安清明の世にふく春風をうけてこそ、花ものどかに咲き誇るのだな。