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小豆島で『迷路』を走る " 旅先で『日常』を走る ~episode38~ 香川編 "
前回のあらすじ
〜 倉敷で『夜景』を走る 〜
今まで取って付けたような観光地だと思っていた場所が、そこへの侵入方法を変えるだけで見え方が一変し、特別に面白くなる。夜という観光地の寝込みを襲うようなシチュエーションによって、より一層その魅力を満喫できた。”
小豆島で『迷路』を走る
1996年12月、私は人生で初めて中国四国地方への旅行を企てた。広島県から入り岡山県を巡った。そこから電車で瀬戸大橋を渡って四国に入り、高松駅に到着した。夕方に到着したので陽は傾きかけており、なんだか街の輪郭がぼやけて感じられる。
なんの予備知識も持たずに来てしまったので、宿こそは決めていたがその他はノープランだ。もちろん、初めて訪れたので土地勘もない。どうしたものかと、駅前の案内板を覗く。どうやらここからほど近い場所に高松城があるらしい。
なんとなく、高松城に向かって歩き出した。
お濠に掛かる橋を渡ると、東門の先に玉藻公園がある。ここが高松城跡とのこと。とりあえず覗いてみようか。しかし、17時で閉門するからと、受付の方からやんわりと入場を断られた。残念。まあ、そんなに入りたかったわけでもないのであっさりと諦め、別のプランに切り替えようとスマホに目を落とした。
高松の繁華街は、ここから高松琴平電気鉄道(通称『ことでん』)という私鉄に乗り10分弱進んだところ、『瓦町』という一帯のようだ。そろそろディナーの時間だ。小腹も空いてきたので、お店を探しがてら繁華街をブラついてみよう。
夕方の通勤ラッシュの時間帯に差し掛かりつつあり、ほとんど待つことなく電車に乗ることができた。
瓦町駅の改札を抜け街に出る。駅直結の立派なショッピングビルがランドマークとなっていて、駅前を中心に人の賑わいが出来ている。通りを渡った先がアーケードになっている。食事を摂るのに適当な店がありそうだなと思い、アーケードに入り進んでいくことにした。
… …… なんか、駅前とはうって変わって閑散とした雰囲気なんですが… まず、アーケードに入ってすぐ右手のビルが営業しておらず、廃墟になっている。
「テナントが抜けて商業ビルを維持できないので、再開発でボートレースの場外発売場を誘致しよう」という看板が立っている。しかし、これが根本的な原因を追究した上での対策には到底思えない。その場しのぎの再開発で、この界隈からますます若者や家族連れの足を遠ざけてしまう悪手なのでは、と暗澹たる気分になった。
気を取り直して進もう。突き当りの左右が、またアーケードになっている。右を見ても左を見ても、果てしなくアーケードが続いている。「エターナル アーケード」 ふと、心の中でつぶやいた。このままアーケードを進み続けたら四国を一周できるのではないか?、そんな錯覚に陥るほどの光景だ。
ふたたびスマホを操作し、このアーケードについて情報収集した。ここで、私は衝撃の事実を目にすることになった。
なんと、高松市の商店街アーケードの長さは総延長約2.7kmで日本最長 だったのだ。
私はただディナーを摂りたかっただけなのだが、こうなったら仕方がない。45年の人生(当時)で初めて上陸した四国の洗礼を受けてやろうではないか! このアーケードを隅々まで踏破することにした。
まずは左に進む。先ほどの通りよりは幾分か人通りは多い。しかし、時刻はまだ18時だというのに、すでに店じまいを始めているところも散見される。やる気のかけらも感じられない。
突き当りまで歩いたら、今度は踵を返して来た道を戻る。しばらく進むと、先ほどの三差路だ。そのまま直進を続ける。長い。長いが、徐々に人通りが増してきた。店じまいを始める店も見当たらなくなった。よかった。やっぱりここは繁華街だったのだ。
おしゃれなモニュメントも飾られている。学校や会社帰りの若者たちを中心に、賑わいを見せている。そして、突き当りには、なんと『三越』が存在した。
ほっと一安心して、左右を眺める。右を見ても左を見ても、果てしなくアーケードが続いている。「エターナル(以下略)…
このような ↓ 配置だったのだ。
結局、小一時間かけてアーケードを踏破したが適当な飲食店を見つけることはできず、駅ビルに戻ってチェーン店の讃岐うどんのディナーを摂った。
その夜は琴平の宿に泊まり、翌朝はがんばって早起きし金毘羅詣でに出かけた。
金毘羅山というだけのことはあり、なかなかの勾配だ。この階段を1000段ほど登ればよいのだな。
しかし、これくらいの困難で…音をあげる私ではない…… 合間に息を整えながら階段を上がり続ける。
当初の見込みよりはだいぶスタミナを奪われたが、無事に金刀比羅宮に到着した。
せっかく来たのだから、まずは参拝をした。
どうやら、こんぴらさんは海の神様のようだ。私もあまり海にゆかりのある暮らしをしているわけではないが、ここは旅の安全を祈ることにしよう。
参拝を済ませたら神社の端に移り、高松の街を眺める。
ずいぶんと高いところまで来たものだ。これは息切れのひとつもするよな。さあ、これで用件は済んだ。街に降りよう。
上りで息切れしていてゼイゼイ言っていた面影は微塵もなく、下りは闊達に歩みを進める。麓まで快調に戻ることができた。
下りきったところにある辻を右に曲がり、少し進む。すると、そこに建つのが旧金比羅大芝居、通称『金丸座』だ。
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。「金丸座」の名称は明治33年につけられたものです。
現在でもたまに歌舞伎などが上演されるという現役の芝居小屋だ。面白そう。500円の木戸銭を払い、中に入った。
入り口を入ってすぐ左手に下足預かり、いわばクロークがある。舞台が上演されているわけではないので、履いてきた靴は玄関に置き、裸足で見学しよう。客席に入ろうとしたところで、声を掛けられた。
「よろしければ、ご案内しましょうか?」
案内役の係員の方だ。平日の午前中で、客は私一人だ。遠慮なく案内人を独占することにした。
1階席から2階席、役者用の控室から地下の奈落まで、案内人に金丸座の中をくまなく案内された。裏方でもない限り普段は入ることのない場所を見学でき、感激(観劇にあらず)しきりだった。ちなみに、後日『ブラタモリ』で、タモリが私と同じようにこの内部を案内されていた。
琴平の駅に戻る道すがら、ついでに『金陵の郷』にも立ち寄る。日本酒の倉本直販店&日本酒資料館だ。
資料館をひとしきり見学した後、お土産に日本酒を一本買った。東京に帰ってから飲むのだ。楽しみ!
そんなこんなで、寄り道をしているうちに時刻は正午を過ぎていた。すっかりお腹も減ったので、ランチタイムとしよう。
『こんぴらうどん』で、打ち立てのうどんをいただいた。
いかにも讃岐うどんといった、麺のコシを楽しめた。美味。
充実したランチを済ませた後は、琴平駅からことでんに乗り高松駅に異動した。グズつき気味の天気で、小雨が降ったり止んだりしている。
帰りの飛行機までは、まだ4時間ほどある。時間潰しに、小豆島行きのフェリーに乗ってみることにした。
フェリーの甲板から望む瀬戸内海。「日本のエーゲ海」と称される絶景だ。私はエーゲ海なぞには縁のない人生を送ってきたが、とにかく、この光景に圧倒された。
気がつけば、雨はすっかり上がり、西日が急角度で瀬戸内の海に差し込んでいた。
あっ、そうだったのか。サンキュー、こんぴらさん!
旅の締めくくりに、最高の体験をさせてもらった。今回はもう残り時間がないので、絶対に再訪して瀬戸内海を堪能しようと、強く心に誓った。
以上が2016年の、俺の旅の話だ。
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さて、そろそろ本題に入ろう。連載の前回でも触れた、2019年5月の瀬戸内旅の続きが今回の本編である。
倉敷で走った翌日、早朝に宿をチェックアウトした私は、岡山駅経由で瀬戸大橋を渡り高松に着いた。時刻は午前9時過ぎ。朝が弱いことがチャームポイントの私だが、頑張って朝早くから行動しているのには理由がある。
3年前(2016年)に香川県をほぼノープランで旅して、残り時間4時間で『瀬戸内海』という地上の楽園に巡り合ってしまった。しかし時間が足りず不完全燃焼だったので、今回は半日まるまる時間を取って瀬戸内海を堪能しようという算段なのだ。
しかも、この3年の間に私は『旅先で走る』楽しみに目覚めていた。島々の歴史に紐付いた固有の文化や暮らしに、この身体全体を駆使して接続し、瀬戸内海を満喫したい。
その前に。
ブレックファーストを摂っていなかった私は、すっかり腹ペコだった。とりあえず腹を満たそう。
あった! 『駅そば』ならぬ『駅うどん』。いかにも港町らしい屋号と店構えだ。さっそく食券を購入し、店内の注文口に券を差し出す。すると、ものの1分もしないうちに、注文したうどんが差し出された。
駅うどんだと侮るなかれ。なかなかの美味だ。しかし、このどの店で食べても讃岐うどんは歯ごたえが抜群だ。そしてスープは薄味だが、出汁がしっかりと取れている。これが有名ないりこ出汁なのだろうか?
さあ、腹が満たされたところで、フェリーに乗って小豆島に向かおう。
前回とはうって変わって、午前中の便での渡航となる。
当たり前だが、時間帯が違えば陽の差し方も変わる。前回感じたよりも風景の輪郭はクッキリとして、東方からの光はより一層照度を増している。しかし、「多島美」とか、文字を見るだけではなにを言っているのか理解不能だが、実際に目の当たりににすると、その美しさに驚愕するものだ。
あいも変わらず甲板でひたすら瀬戸内海の風景に見惚れているうちに、フェリーは小豆島に到着した。
港を降りると、小豆島を舞台にした作品『二十四の瞳』の像が視界に飛び込んで来た。赴任してきた若い女性教師と子どもたちがいろいろする話だ。実はこの作品を読んだことがないので、詳しく説明できないのが残念だ。
などと余談をしている暇はない。今まで黙っていたが、今回の小豆島の滞在時間は2時間半だ。ちなみに前回は滞在1時間だった。土産物屋で買い物をしただけでタイムアップだった。
限りある時間の中で最大限に小豆島を堪能するために、急いでに準備して走ろう。フェリーターミナルのトイレで着替え、コインロッカーに荷物を詰め込んだ。軽く準備体操を済ませ、すぐに出発しよう。
日曜日の午前中、空は晴れ渡り絶好のランニング日和だ。最初の目的地を土渕海峡に設定して走り始める。
港から大通りを1kmほど直進して、迷路のようにうねった道に入り、そこをひたすら曲進する。このうねり具合は、浜風除けと海賊対策のために計算づくで設計されたものらしい。
しかし、この一帯は本当に人が住んでるのかと疑いたくなるほどに人気がない。一方で、建ち並ぶ建物や目に入る景色には、年季の入った生活感が感じられる。
などと感想を述べている間に、海峡に着いた。
短かっ! なにしろ、ここはギネスブックお墨付きでもある、世界一短い海峡なのだ。
続いては、寄り道をしながら迷路のような道を走っていく。
道すがら、瀬戸内国際芸術祭の展示物になっている古民家を発見した。さっき話すのを忘れていたが、この時期には『瀬戸内国際芸術祭2019』が、この辺りの島々を中心に開催されていたのだ。
せっかくだから、ちょっと寄ってアートに触れてみようかと、300円くらいの入場料を払って中に入ってみた。
玄関で靴を脱いで、2階建ての民家の室内を進んでいく。
古民家の内部が真っ白なトンネル状になっており、身体を這わせたような姿勢で進んでいく。大きいかまくら(地名ではなく雪洞の方)のようなつくりだ。しばらく進むと道は広くなるが、360°純白の空間であることには変わりない。アートというよりは、公園の遊具といった感がしないでもないが、シンプルに楽しかった。満足。
ランニング中に思わずアートに触れ、心なしか意識が高くなったような錯覚に陥った。すっかり気を良くした私はさらに寄り道をしたくなり、西光寺に向かった。
民家の間にクネクネと伸びる細道を抜け、交通量の多い表通りを渡る
さらにしばらく路地を直進すると、西光寺の門前に到着した。
なんだか中華街を彷彿とさせるその門構えに恐る恐る近づいてみる。どうやら、門をくぐる際に鐘を鳴らして入るというピンポンダッシュ的なシステムのようだ。カランコロンと、鐘を鳴らして門をくぐった。
まずは本堂でお参りをした。その後、裏手に回り坂を登ったところに建っている『請願之塔』を見上げた。
全体的に赤い。ますます中華街的な印象が増してきた。
本堂の裏手に扉を発見した。興味本位で開扉すると、下りの階段が現れた。これは進むしかないでしょ。ダンジョン感満載。
階段を降りきった先には、暗闇が蝋燭の灯火で照らされ、いくつもの仏像が並んでいた。そして、お坊さんと数名の観覧客がいた。坊さんはこちらを一瞥するなり、「ここは本堂の正面側から入ってくるのが正規ルートだ。出直して来い(意訳)。」と宣った。ならばと私は踵を返して裏口から地上に戻って、本堂の正面に回り、地下道への入口から先ほどの場所に向かった。
暗闇を壁伝いに進む。手のひらの感覚だけが頼りだ。光なき世界では、視覚は意味をなさないのだ。
しばらく進むと視界が徐々に明るくなり、先ほどの仏像にたどり着いた。ここまでの道のりを『戒壇巡り』と呼ぶらしい。
この場所にはさっきの坊さんがまだ立っていた。そしてあろうことか「勝手に入ってくるんじゃねえよ。◯すぞ!(意訳)」と注意を受けた。理不尽な仕打ちだ。せっかく来たので仏前で合掌だけ済ませて、元来た真っ暗な道を戻って行った。まだ◯にたくないので。
ちょっと油を売り過ぎたようで、残り時間がわずかになってしまった。急ぎ足で港に戻ろう。
港に戻り着替えたらすぐに停泊しているフェリーに乗り込んだ。ほどなくフェリーは出航して、30分ほどで次の目的地『豊島』に到着した。
豊島は、この港のそばに立派な美術館を持つ『アートの島』だ。せっかくだから美術館を覗いて行こうかと思ったが、なんと2時間待ちということで、今回は断念した。
美術館の斜め前にあるバス停から周遊マイクロバスに乗って、次の目的地に移動することにした。バス停に向かう途中で、周囲に広がる棚田と、眼前に広がる海を眺めた。
絶景だった。一度見たら一生忘れられないくらいの眺めだ。どうやらここは、けっこう有名な撮影スポットらしい。豊島に立ち寄ってよかった。
乗り合いマイクロバスに20分ほど揺られ、今度は『豊島横尾館』に移動した。
真っ赤だった。この界隈の島々は色々と赤いな。
横尾忠則といえば、私の脳内ではしょっちゅう岡本太郎とごっちゃになる。ちょっとエスニックな方が横尾さん、という雑な分類を私の脳内では行っている。
横尾館を出た後は、古民家カフェでランチを摂り、さっき降り立った場所とは違う港に向かった。そこから高速船に乗って岡山県の宇野港に向かうのだ。
観光客がかなり多く、島内至るところにごった返していたので、念のために出航時刻より早めに港に戻った。案の定、入船の行列が長く続いていた。出航40分前から入船の列に並んで、目的の便にギリギリ乗ることができた。
さらば四国よまた来るまでは、しばし別れの涙が滲む。
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瀬戸内の島々。この自然美しかない地に、取って付けたような人工美を付加して観光スポット化されている。しかし、実際に訪れてみると、芸術祭絡みの人工美スポットの周囲だけが賑わっており、瀬戸内が本来持っている美しさが生かし切れていないと感じるのだ。
ここに、なんとも言語化し難いチグハグさを感じる。
あくまでも、その土地が持っている固有の歴史や文化・自然美をベースにする。そして、その上に素材の素晴らしさを際立たせる人工美を付加した方が良いのではないか?
たとえば、豊島から望むあの美しい海を引き立たせるために、わざわざ作られたという、あの棚田のように。
ともあれ、香川県、特に瀬戸内海の島々は、私にとって今後も折に触れて訪れたい特別な場所になったのだ。
この2回の旅の後にも、ひょんなことから『プロバスケチームに参画するために小豆島に移住した若者』や『独特な製法で日本酒を造り始めた蔵元』などを知る機会があった。3度目に来訪する機会には、ぜひ彼らのところにも寄らせていただきたい。
次回予告
〜 鳴門で『青空』を走る 〜
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