見出し画像

「すずめの戸締り」がおもしろかったので感想を書きなぐってみた

*すずめの戸締りのネタバレがふんだんに盛り込まれています。

「天気の子」から3年、「君の名」はから6年。新海誠監督の最新作、「すずめの戸締まり」が公開されました。

多くの人を感動させつつも自身の作家性をすこしだけ表に出した「天気の子」の次の作品というだけあって、「どんなアニメ映画ができるのだろう?」と期待して見に行ったところ、まんまと感動しました。本当によかったです。

エンタメと新海誠の作家性を両立させていて、「この10年で書きたかったテーマはこれなんだろうな」と勝手に思いを馳せてしまいました。

とても語りたくなる作品だったので、感想を書き殴っていこうと思います。

東日本大震災への向き合い方をテーマにした作品


出典:映画.com

「すずめの戸締り」は、予告や告知通り、東日本大震災と密接に関わっています。緊急地震速報が鳴り、地震が発生し、震災を思い起こさせるシーンがたくさん出てきます。「どうして、震災を取り上げる必要があったのか?」と疑問に思っていましたが、それは2010年代の新海監督の活動が震災と密接に関わっているからでしょう。

新海監督は、小説版「すずめの戸締り」のあとがきでこう述べています。

僕にとっては三十八歳の時に、東日本で震災が起きた。自分が直接被災したわけではなく、しかしそれは四十代を通じての通奏低音となった。アニメーションを作りながら、小説を書きながら、子供を育てながら、ずっと頭にあったのはあの時感じた思いだった。なぜ。どうして。なぜあの人が。なぜ自分ではなく。このままですむのか。このまま逃げ切れるのか。知らないふりをし続けていたのか。どうすれば。どうしていれば。ーーそんなことを際限なく考え続けてしまうことと、アニメーション映画を作ることが、いつの間にかほとんど同じ作業になっていた。

小説 すずめの戸締り

たしかに、「君の名は」でも「天気の子」でも災害はテーマとして描いています。ただ、前2作では描ききれなかったので、東日本大震災を直接取り上げて描こうとしたのだと思います。

東日本大震災と向き合うために、新海監督が選んだテーマは「悼み」。人の死を悲しみ、惜しむ。「多くの人の死に対して、どう向き合うのか?」という新海監督の問いに対しての仮説であり、作品を通じて答えになっていく言葉でもあります。

悼むという行為は、後ろ戸から出てくるミミズを封印しようとするシーンでも表現されています。かつていた人々・風景・感情に想いを寄せないと、扉を閉めることはできません。

このミミズが出てくるシーンは、力がはいってて、とにかく派手です。天地雷鳴、使徒襲来。空が暗くなり、雷が鳴り響き、得体の知れないうねうねしたデカいナマズが出てきます。扉が閉じると、使徒の消滅みたいに爆ぜて消える。悼みだけだと重くなりそうですが、そこまで重くならず、見ていて楽しめました。戸締りのシーンは、悼みとエンタメがうまく両立されていて、おもしろかったです。

「生きる」について、考え方を変えていく少女の物語

出典:映画.com

ストーリーは、少女の成長物語です。「魔女の宅急便」の影響を受けていると新海誠は語っており、猫・旅・交流など同じような要素が散りばめられています。

魔女の宅急便のオープニングであるルージュの伝言を車で流しているときに、クロネコヤマトの車が横切るなどの小ネタもありましたね。

「君の名は」は、天空の城ラピュタに影響受けていますし、2011年に公開された新海監督の作品「星を追う子ども」もジブリの影響がものすごく強いので、新海誠のジブリ愛を再確認しました。

さて、それでは、新海誠が描こうとしていた少女の成長とはなんだったのでしょうか?プロ閉じ師になることではないのは確かです。

おそらく、「生きたい」と願い、歩んでいくことなのだと思います。

鈴芽は、最初の戸締りで、初対面の草太に「命をなくすのが怖くないのか?」と問われ、「怖くない」と答えました。草太が要石になったときは、「自分が代わりに要石になる」と決意。終盤になって、「大切な人と一緒に生きていたい」に変わります。それは、草太も一緒です。少しでも生き永らえたいと思うようになりました。

「生きる」というテーマに対して、男女2人の関係性を通して覗いていくというのは、新海誠らしさが存分に表現されていて、「ああ、やっぱ新海誠だな」と思った次第です。壮大な世界観から個人の関係へと収斂していくのが自然に行われていて、とにかく見事です。

出典:映画.com

ここで、新海誠の恋人観を考えておきます。新海誠は、「男女2人の気持ちが重なることは尊い。それは奇跡のようなものだが、維持するには代償が必要」と考えているように、思いの通じ合った男女が別れて再び重なるには、世界の崩壊などの大きな犠牲が必要になります。

「天気の子」では、天野陽菜を助ける代償として、東京の一部が水没しましたし、「君の名は」では、記憶をなくしています。「星を追う子ども」では、死者を蘇らせるのに生贄が必要です。

「秒速5センチメートル」では、ひどい大雪の中、恋人と会えたがために、主人公は過去に囚われてしまいます。「雲の向こう、約束の場所」では、寝たきりで想いを寄せていた女性を起こすために、エモい音楽と共に世界崩壊を起こしました。

ただ、すずめの戸締りでは、草太を要石から人間に戻しても大きな代償はありません。

その理由は、鈴芽が要石を抜いて、草太がイスになるという呪いを先に受けたり、ダイジンの気まぐれで要石にされて、代償を先払いしていたからなのか、もしくは新海誠の考え方が変わったからなのか、詳細は不明です。

すべてが終わったエピローグでは、ハッピーエンドの雰囲気をまといながら、2人は電車でお別れます。ここのシーンは、秒速5センチメートルの貴樹と明里が分かれるシーンに似ていました。深読みになってしまいそうですが、秒速5センチメートルで明里が「きっと大丈夫」と言ったように、2人はそれぞれ大丈夫ということを示唆したのかと思います。それぞれが大丈夫になり、ちゃんとすぐ再会します。安心です。

作品で描きたかった、生きるということについて

出典:映画.com

この作品で描きたかった、生きるために必要なこととは何だったのでしょうか?

それは、「いなくなった大切な人」を悼み、自分の思い出に鍵をかけて、現在までの道のりを想い、生きたいという意志を持つことなのだと思います。

物語の終盤、鈴芽は過去命を落としそうで常世に迷い込んだ5歳の自分と出逢います。

5歳の鈴芽は、震災により離れてしまったお母さんを探していました。不安で泣き叫ぶ5歳の自分に、母親の形見であるイスをあげたのですが、ここで5歳の自分に出会うまで、鈴芽はイスをくれた相手をお母さんだと勘違いていました。鈴芽は、5歳の自分と再会したことで、亡くしたお母さんをあらためて悼むことができたんだと思います。

鈴芽は、過去の辛かった自分を認めて、12年越しにお母さんとお別れをできました。それは、自分の意志で、過去の扉を閉じたということなのだと思います。そして、未来へ向かって歩いていくーー。

キャッチコピーには、「行ってきます」という言葉が採用されています。

「行ってきます」は、家の中の誰かに向かって言う言葉です。家の中にいる誰かは、亡くした家族、辛さに苛まれている自分なのかもしれません。悼み、未来へ向かって生きていこうーーそんな前向きなメッセージを受け取れた作品でした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?