魔法がぎゅっと詰まってる
noteを読むようになってから、『写経』というものを知り、実行するようになりました。
いろんな方の書かれたものを書き写したり、タイピングすることで文章の力を身に着けてゆくというものです。
今までそんなにたくさんではありませんが私も『写経』をしてきました。
そのおかげで書くことができた文章もあります。
でもどうしても『写経』してはいけないと思ってしまうものがあります。
吉本ばななさんの文章です。
吉本さんの文章には吉本さんの魂のような何か大切なものがたくさん混ぜ込まれているような気がするから、『写経』することをためらうし、できないような気持ちになってしまうのです。
吉本さんの小説は全部ではありませんが今までたくさん読ませていただいてきました。
どんなに疲れている時でも吉本さんの小説ならすうっと読めてしまうのです。
と、いうよりも、疲れているからこそ読みたくなるというような不思議な存在でありました。
心の回復を促してくれるような感じです。
だからこそこんなに沢山の人たちに愛されているのだと思います。
そして、だからこそ『写経』することができません。
今、手元にあるのは『ハゴロモ』と『海のふた』の二冊です。
どちらも大好きな小説です。
何回も何回も読んでいるはずなのに、それがいつも心が壊れそうなぐらいぎりぎりの時なので内容を覚えきれていません。
でも、この本たちを読むことでつらい気持ちを乗り越えてくることができました。 特別な本なのです。
『写経』してきた本の中にはどうしても続かずに途中でやめてしまったものもあります。
書くことができないというか、自分にどうしても会わないというか、そういうものがあることは実際に書いてみて初めて分かりました。
紙のノートに鉛筆で写すのがいつもの私のやり方です。
そうすると自分の好きな文章というものがわかったりもします。
だからとても勉強になると思いました。
だけどそれはみんなに当てはまるものではないのかも知れないし、無理にやらなければならないことでもありません。
自由だと思います。
吉本ばななさんの小説を読んで救われた気持ちになることの理由を私はうまく説明することができません。
でも、とにかく読んで、読み終わると何かがすっきりと整っているような心持ちになるのです。
なにがどうとかそういうことでは全然なくて本当に自然な感じで。
理屈ではないものがそこには存在しているとしか説明ができません。
だからきっと『写経』しても自分の心が虚しくなってしまうような気持ちになるからできません。
魂を込めることができるのは、ばななさんだけだから。
『写経』をさせていただくと誤解なのかも知れないけれど、その文章を書いた人の思いとか人格に強く触れることができるような気持になります。
文章には書いた人の心や思いが必ず入っていると思います。
だから写すことができなくなるものがあるのではないでしょうか。
その意味もその本を書いた人それぞれによって違います。
魂や魔法がぎゅっと詰まっているから『写経』できないものもあるし、どうしても心を添わせることができずにできなくなってしまうものもあります。
それと同時に写していると自分ならこんなふうに書きたいと思ってしまうこともありました。
それは写しているものに対する批判ではなくて、私の個性というものを自覚できた経験でした。
自分の思いというものはぼんやりとしているとなかなか自覚できなくて空気のように消えてしまったりします。
それを自覚できるようになるための方法としても『写経』というものは有効なのかもしれないです。
それと同時に作品として楽しみたいと思うものは『写経』しない方がいいような気もするようになりました。
ただ好きで写したものもあるのですが、写すことに向いているものってそれとは少し違うような気もしてきています。
私は本当にあてずっぽうに選んでしまっているのですが、人によっては選ぶ基準を持っている人もいるかもしれません。
もしもそういうことを知っている人がいたら教えてほしいと思っています。ものすごく知りたいです。
『ハゴロモ』の中に出てくるサッポロ一番のミックス、まだできていなくって。
塩味とみそ味、どっちも好きなんですがなかなか両方そろいません。
まだ先の楽しみです。