誰かを犠牲にしていないと生きていけない人たち

風の時代ということがnoteの中で言われています。
今までと価値観が変わって行く。
だけど変わらない人たちがいると私は思います。

noteの中にいる人たちの中にドメスティックバイオレンスやモラルハラスメントや病気、家族の問題で苦しんでその体験を書いている人がたくさんおられます。

そういう経験をしながら強く生きようとしている姿を応援している人たちも沢山います。素晴らしいことだと思います。



この二つの記事に書いたように、村山由佳さんと小川洋子さんのYouTubeの動画を何回も見て聞いて感じたことがあります。

村山さんはご主人からのモラルハラスメントに苦しんで小説を書き、離婚もされています。
小川洋子さんは『ことり』というご著書の中に、声を挙げることのできない立場の人たちを描かれていて、それを読まれた読者の方はそのことに感動して泣いたり人に勧めたりしてその声を挙げることのできない人たちの人生から何かを学び取っています。

こういう被害に遭う人は社会的弱者です。

私自身も結婚してからいろんな理由で働けなくて主人や主人の家族と対等に付き合うことができなくて長い間苦しんできました。

仕事を持っていないこと、自分を守ってくれる人がいないまま生活をすること、更には津波で被災して大切なものを本当にたくさん失ってしまいました。

だから私は社会的弱者です。

そして世間の人たちは強い風のようにビュンビュンと吹きつけて困らせたりいじめたり勝手なことばかりを言って振り回そうとしてきます。

そのことは結婚して主人のお母さんとつき合うようになってからどんどんひどくなって止まりません。

そういいう立場になったことではっきりと分かったことがあります。

それは、誰かを自分の犠牲にしていないといきていけない人たちがいるということでした。
そして救いのないことにその人たち自身もまた誰かの犠牲になっていると思い込んで生きているということでした。

被害者の自覚を持っている人がほかの人への加害者になっている。

自分が受けたと感じた苦しみをほかの人に向けて怒りや蔑みの言葉や態度にしてぶつけていないと生きてゆけない。

こんなに悲しいことがあるでしょうか?

そしてその犠牲になってしまうのはいつも弱い立場の人です。

緊急事態宣言がまた発令されてしまったことで見えない場所で見えないところで声を挙げることのできない人たちが苦しまなければならなくなる、そういう懸念をされている人たちもきっといると思います。

でもそれ以上に思うのはもっと大きな社会というもののありかたが根本的に変わっていかない限り同じことが繰り返されてしまうのではないかということです。

今のままの価値観が変わらない限りきっと何も変わりません。

風の時代というものは何もしないでそうなっていくというものではなくて、
そうなっていく努力をしなさい
そうしないと本当に人の未来というものが不幸なものになってしまうか、
終わってしまう、ということを示しているのではないかと今は思います。

今まで弱い立場に甘んじてくるしかなかった人たちが自分の力を取り戻して時代を大きく変えていかないとこの文明は終わってしまうかもしれないという様な・・・大げさなんですけど、

SNSが普及してどんな人でも声を挙げやすい世の中になったことは決して悪いことばかりではないと私は思っています。

ただそういう状況ができた後でも声を挙げることのできない立場の人たちは存在しています。

そういう人たちの声に耳を傾けて助けてあげようとする人たちもいるけれど全部ではありません。

そして私が一番ここで言いたいことは、そういう事をしなくても言わなくてもよくなることが一つだけあるとすれば、今あることに感謝して自分で自分を愛することが本当にただ一つだけの加害者にも被害者にもならないための方法なのではないかということです。

今生きていること、今見えて、聞けて、歩けて、動けて、話せて、息ができる、住む場所がある、食べることができる、そういう当たり前と思えることに感謝できる、例え仕事のためであっても立場を守るためであってもみんなのために頑張ってくれている人がいるから生活が守られていることに心から感謝することができたら、誰かを犠牲にしなくても自分を愛することができるのではないかと思うのです。

自分が主人のお母さんに犠牲になれと強要される状況をずっと続けてくる中で長い間感じ続けてきたことは、どうして自分で外に出て外側の自由な世界で生きようとしないのだろう?ということでした。
私自身その外にでた時に自由というものを強く感じました。
ただそのために大きな犠牲も払いました。
本当に大変でした。
楽な道では決してなくて自分がこういう道を選んでしまったことを後悔したことも本当にたくさんあります。

けれどもその犠牲を払わなければ私はこういう考え方にたどり着くことは絶対にできなかったし中途半端な気持ちのままでぐずぐずと文句を言って暮らしていたかもしれません。突き抜けてしまうことは本当に勇気がいります。だからしないで済むのならその方が楽でした。

こんなふうにバカって言われて笑われてしまうよりそっちの方がよかったです。
でも一度突き抜けてしまったら元に戻ることはできなくて。

その間もかっこ悪いことばっかりで本当はしんどいです。

でも生きていて楽ばっかりの人なんて世界中探しても多分一人もいないはずです。

本当にたくさんの人たちが自分の思いを叶えるために一生懸命頑張っています。
その中にいることが自分でも信じられないけれど幸せなことだなと思います。

犠牲者にならないで、犠牲者を作ったりしないで、それでも前を向いていくことをするためにどうしていくのがいいのかということを考えて行動したいと思っています。

読んで下さってありがとうございました。





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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。

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