「忘れ物キング」が、世界レベルの「スーパーエンジニア」に。探究型スクールで育った子どもは、どんな大人になったか。
探究型学習に興味を持って、いくつかのスクールや塾には見学も行ってみた。でも「探究型スクールは楽しそうだけど、大きくなったらどうなるのだろう?」「自主性は育つかもしれないけれど、協調性などは伸びるの?」とあれこれ思ってしまうのも、親心。
探究型スクールの卒業生はどんな大人になり、どんな人生を歩んでいるのだろう?「探究育ち」第1回は、ラーンネット・グローバルスクール第1期生の汐田徹也さんと、ラーンネット代表の炭谷俊樹にお話を聞いていきます。子ども時代のこと、社会人になってから、将来自分の子どもにどう接したいかまで、たっぷり語っていただきました。
1.ラーンネット入学は、親じゃなく自分が決めた
─ まず、汐田さんがラーンネットに入学した経緯を教えてください。
汐田:ラーンネットのアフタースクールに通っていたのですがすごく楽しくて。フルスクールが開校する時に、親に「行きたいか?」と聞かれて、「行きたい」と僕が言いました。それで小2から入学して。
炭谷:ラーンネットは最初はアフタースクールから始めており、汐田くんが小1の時はまだフルスクールがなかったんです。親御さんは、僕の直接の知人ではなかったのですが、何かのきっかけでアフタースクールを見つけてこられました。
─ 23年前に、一条校ではないラーンネットに子どもを入学させるというのは、保護者として、なかなか勇気がありますよね。
炭谷:思い切った決断だと思います。でも、結構好きなことやらせてくれる親御さんだよね。汐田くんは、ラーンネットに通いながら、公立の小学校にも時々行っていた。
汐田:僕は、公立の小学校に対しても全然ネガティブじゃなかったんで、月曜日だけ行ってました。休み時間は、「変なやついるから」ってクラスメイトが質問してきて、それに答えてたら終わってた記憶があります。公立のクラスの方の林間学校なんかにも参加してました。
─ 「自分はみんなと違う、珍しい学校にいっている」ということに、不安はなかったのでしょうか。
汐田:全然不安はなかったです。自分が行きたくてラーンネットに行っていたので。「小学校どこ?」と聞かれた時でも、「こういう所に行ってて、面白いんだよ」という話を積極的にしていました。でも、自分で決めずに親に行かされていたら、そういう風に説明できなかったと思います。やっぱり「ここに行く」と自分で決められたのは大きかったですね。あとは、「ここで大丈夫かな」とか親の不安そうな声も聞いたことがないです。
炭谷:親御さんも、不安がゼロではなかったと思う。子どもの教育について考えだしたら、不安はいくらでも出てくるから。でも、それがお子さんに伝わったらあんまりよくない。お母さんは堂々とされてましたね。子どものことも信頼されてるし、僕らのことも信頼して任せてくれて、その姿勢が素晴らしいなと思いました。
2.子どもの「こうしたい」を、大人が妨げないスクール
ー 親と子どもとスクールとで信頼関係ができるというのは、当たり前ですが大事なことですね。汐田さんは、ラーンネットのナビゲーター(先生)とのやりとりで、心に残っている思い出はありますか。何を面白いと感じていたのでしょう。
汐田:「こうしてみたい」と言うと、いつも受け入れてくれたことでしょうか。テーマ学習の発表の時、僕が「スライドがなくても発表できる」と言ったら、「じゃあそれでやってみよう」と。本当に小さなことでも、自分が「こうしてみたい」と口に出したことを、何でも後押ししてくれていたのを、覚えています。
子どもが「やりたい」と言ったからって、全部を「じゃあやってみよう」とは、家ではできないですよね。それをラーンネットで存分にやらせてもらいました。
炭谷:僕が印象に残っているのは、すっごく物忘れする子だったなあって。帰るときにお弁当箱を忘れていったり、リュックサックごと忘れていったり。だからお母さんは忘れてもいいように、お弁当箱を7個くらい用意してたよね(笑)
汐田:「アホちゃう?」って呆れられてましたね(笑)。今は忘れ物も気をつけるようになりました。あとラーンネットでは、子ども同士で揉め事があった時に、みんなで憲法を作った思い出があります。子ども同士の揉めごとに、ナビゲーターが積極的に介入してこないのが、すごく好きでしたね。
公立小学校だと、揉めごとがあったら、子どもを集めて「揉めてはいけない」「人を殴ってはいけない」と正論を言って、「お互い悪いから謝れ」と言って終わるじゃないですか。そうじゃなくて、揉めた時は「自分には客観的にこう見えた」と話し合って子ども同士で仲裁したり、すごく楽しかったですね。
─ 学校も「自分で決める」し、学校のルールも「自分たちで決める」。子どもの力で何かを決めたり解決したりしていく機会を、大人が妨げない環境だったのだなと思います。
汐田:テーマ学習もすごく良かったです。自分が興味をもった課題を自分で設定して、自分でアプローチ方法を決めて、最後は自由にみんなに伝える。あの一連のプロセスは、今でもすごく役に立っていますね。大学に入ればそういう経験はいろいろできますが、身の回りが興味あるものであふれていて、座学で学んでしまう前のタイミングで取り組めるのがすごく大事だと思うので、小学生でできたのが良かったです。
3. 進学先も飛び級も、自分で決めるのが当たり前
─ ラーンネットは「自分で決めた」を後押ししてくれる環境だったとのことですが、家庭ではどうでしたか?
汐田:いつお風呂に入るかとか、生活習慣などの細かいことはいろいろ言ってくるんですけど、大きい意思決定には口を出さず、自分で決めさせてくれる親でした。たとえば、僕が小1〜2の時から、旅行の行き先を決めさせてくれました。僕が日本地図を見て「北海道の稚内が、日本で1番上っぽいからそこに行きたい」と言ったら、行かせてくれたり。
ーそれは、なかなか懐の深い親御さんですね。
汐田:ラーンネット後の進路もそうです。中学受験の時の学校選びも、「世の中には付属校、中高一貫校、一貫じゃないところがあってね」と、制度を丁寧に説明してくれて。「僕はこうしたい」と話をして、親と議論して進路を決めた気がします。親から「こういう学校に行ってほしいからこのくらい勉強しろ」みたいな感じはなかったです。大学も大学院も就職も、相談したりもするんですけど、自分で決めたし、基本的には事後報告でしたね。
─ 大きな決断は子どもに委ねながらも、選択するための情報は子どもに伝える。汐田さんの親御さんからは、自由にさせながらも放任しすぎないという「第3の教育」的な姿勢を感じます。飛び級をするという決断をした時には、親御さんはどのように関わったのでしょう?
汐田:飛び級も、親じゃなく自分で決めています。飛び級の制度は、高2の時に普通の大学生と同じ試験を受けて、通れば行けるという仕組みでした。いま、会津大学に飛び級で入学した人は、歴代で6人くらいかな。僕は3人目だったんですよ。
炭谷:そんなに少ないんだね。どうして飛び級しようと思ったの?
汐田:高校の先生も含めた大人が、あまりにも「大学は楽しいぞ」みたいなことしか言わない人が多いので、僕は逆に「行く意味ある?」と思い始めてしまって(笑)。学校も親も大学に行くものだと考えていたけれど、大学に行かなかったらどうなるかをいろいろ調べていました。そういう中で、授業中に行われた大学紹介で、会津大を知って。
ラーンネットでレゴロゴやプログラミングツールをやって楽しかったし、コンピューター専門の大学があるなんて「面白そう!」と。自分で資料を取り寄せたら、飛び級制度があると知り、「いま受けれるなら、受けないと損でしょ」と。それで、自分から親と先生に話をしたんです。
炭谷:発想が柔軟ですよね。ラーンネットにいた頃から、「こうするもんだ」ということに「いや違うんじゃない」「こうやったらどうだろう」と、what if で色々シミュレーションするのが好きな子どもだったので、一貫してるなと思います。
4. 公立・私立・田舎・都会、いろいろな環境が財産に
ー 「大きくなったら好きなことが学べるよ」ではなく、子どものうちから、その時その時のやる気を殺さないことが大事なのかもしれませんね。
汐田:あとラーンネットと直接的な関係はないですが、いろいろな学校を経験できたのは良かったです。公立小学校もラーンネットも経験したし、田舎の大学も東京の大学も経験して。僕にとっては会津の地元のおばちゃんと喋ったり、田舎でのアルバイトとかも含めて、全部が財産なんです。視野を広げる機会になりました。
─ 付属校からエスカレーター式に大学へ・・というような環境だと、同質性が高いメンバーになりがちですよね。多様な人と接する機会を持てたのは大事かもしれません。
汐田:そうですね。中学高校時代では、多数派であることが正義になる傾向がありますよね。そういう経験もあっても良いと思いますが、ずっとそうしていると、どこまでが自分の大切にしてるものか分からなくなります。逆に、自分とは全然考え方が違う人と話すと、自分の考え方が見えてくる。
─ 学校の中だけで閉じないことは大事かもしれないですね。ラーンネットでも、子ども達が外部の大人と関われる機会を多く設けていますね。
汐田:博物館に行ったり、オリンピックの経験者が来たり、すごく良い経験だったなあと思います。ラーンネットの時は、僕らが「あそこ行きたい」って言って、そこに行かせてもらうことも多かったし、遠慮せずにいろいろ質問してました。たまにいった公立小学校では、見学に行っても僕ばっかり質問してて、みんな全然質問しない。僕は「変わった奴」と思われてたかもしれないですね。
─ 飛び級で大学に入られて、大学生活はどうでしたか?
汐田:大学で競技プログラミングに出会い、競技プログラミング部の部長もやりました。コンピュータの大学なので関心を持ってくれる学生は結構いて、僕が勧誘した年は25人ほど新入部員がいて。出された問題に対して制限時間内に正しいプログラムを書くという競技なんですが、仕組みを作ること自体が楽しい僕にとってぴったりでした。誘っていただき、きっかけをいただいた顧問の先生にとても感謝しています。
あと尊敬できる先輩方に出会えたのもよかった。後輩の育成にモチベーションが高くて、声のかけ方なども上手で。「自分だけが強くなればいい」のではなく、みんなで強くなるという視点はすごく大切だし、見習いたいなと思っていました。
いろんな大会で賞もいただいて。プログラミングを少しでも長い時間やっていたいという理由で、就職先を決めたくらいです。
5.マネージャーとして「みんなで成果を出す」のも楽しめる
ー セキュリティ部門のエンジニアとして就職した後、会社でチームのマネージャーも経験されたのですね。
汐田:さっきの先輩の話とも繋がるんですが、「自分自身が直接なにか作らなくても、グループのメンバーにアドバイスして実際にものができてくるのって楽しいな」と思いました。「自分が全部つくりたい」「面白い作業を取られた」みたいに捉えちゃうとマネージャーって面白くないと思うんですけど。メンバーみんなの成果を、いい意味で自分の成果みたいに思って楽しめたなと思ってます。そこは性格としては合ってたのかな。
─ 大会で賞を取るようなレベルまで、自分自身の関心を深く探究していく視点も持っていながら、まわりのみんなが成果を出すための役回りも楽しんだり、バランス感覚が優れているように思います。ラーンネットでの教育とも関係あるのでしょうか。
炭谷:僕らは、1人1人の個性が際立てばいいと思ってるから、バランス感覚が必要だとか、ジェネラリストがいいとか、スペシャリストがいいとか、そういう発想はないですね。あるとすれば、一匹狼よりは、「人とお互いに良いところを見つけ合い、引き出し合ってほしいな」という希望はあります。
僕は子どもの頃の汐田くんを知っているので、今のキャリアは少し意外だったんです。彼は想像力が豊かでアイデア出しが得意だった。ジェネラリスト的に活躍するのかなと思っていたけど、大人になってみると、セキュリティのスペシャリストとして専門性を極めている。人の成長は、そんな単純なものじゃないなと思いました。
汐田:僕自身は、学生の時、自分は興味の幅が狭いスペシャリスト向きだろうって思ってたんです。でも入社して仕事を始めたたら、「エンジニア以外の部署とも協調がとれる」「バランス感覚が良いね」と、周囲にすごく言ってもらえました。僕自身も、就職してから意外に思ってる一面です。
ー 子どものころに探究型の教育を受けてきて、社会人になってやりづらさを感じるときはありますか?「会社でまわりのみんなは意見をあまり言わないな」とか…。
汐田:DeNAという会社自体が、「思考の独立性」といって、答えを探すんじゃなくて自分で考えろというカルチャーだったんですね。だから、社会人になってからもそんなに違和感はありませんでした。
ーなるほど。自分に合うカルチャーの会社に就職するというのも大事なことかもしれないですね。
6.自分の子どもにも、大人から見た正解は押し付けたくない
─ 公立小学校、ラーンネット、私立中高一貫校、そして大学への飛び級と、様々な学校を経験してきました。将来もし自分の子どもができたら、学校選びについてどんな風にアドバイスしますか?
汐田:とにかく「自分で決めてる感」を持ってほしい。「一緒に決めていける」というプロセスを、親にやってもらって良かったと思っているので、そこは大切だなと思います。とはいえ、実際には公立小学校しか選択肢がないということが一般的なので、公立の学校の中で、そういう「自分で決めてる感」を出せると良いのではないかと思います。
日本の座学は実績はあるので、公立の学校の授業も、無理に変えなくても良いと思うんです。そこから「自分でやりたいから、これをやっている」と子ども達が思えるものに、発展していけば良いですよね。ドラスティックに変えるならラーンネットみたいな方法だとは思うんですけど、すべての人がラーンネットのような環境にアクセスするのは難しい。
普通の学校に行っていても、「自分がやりたいから自分で決めてやっている」と子どもが言えるような環境があれば、大人になっても自分で考えられる人になるんじゃないかな。もっともっと、子どもが決めても良いと思うんですよね。やらされてることが減ると良い。
炭谷:子どもにとって、自分が自然とやっていることが面白くて好きなことなんだから、分かりやすいんだけどね。無理やりやらされれば、嫌いになる。
─ 多くの保護者が、子ども達にやりたいことをやらせてあげたい気持ちはある一方で、子どもが選ぶ道は、危険や無駄が多いように見えてしまい、軌道修正したくなります。
汐田:僕も、危ない橋は常にいっぱいでした。実は、いま振り返って「自分が飛び級して良かったか」というと、微妙だと思ってるんですよ。高3まで高校に行って受験勉強をして、数学の力を高めた方が、エンジニアとして良かったかなという気もするんです。でもそれは結果論だし、それよりも、自分で決めたことの方がずっと価値がある。
飛び級して大学に入った後も、自分で決めて入ったから、この機会を無駄にしないよう、どう努力するのが良いかと、考えながら過ごせました。自分で選んだら、この選択肢を成功させるか失敗させるかも自分ですし、人のせいにはできないですし。
炭谷:失敗することは悪いことではないしね。特に若いうちだったらいくらでも取り戻せると思います。
─ 「子どもに失敗させないよりも、失敗するのを見守った方が良い」のは、頭では分かるのですが…。たとえばプログラミング言語で、今はあまり使われないPascalよりも、流行中のRubyを勉強した方が無駄がない。でも、子どもが「僕はPascalを勉強したい!」と言う時、どうしますか?
汐田:良い例ですね。僕は、Pascalを勉強すれば良いと思いますよ。
子どもは選択肢を知らないことが多いから、「他に良さそうな選択肢があるよ」ということは教えてあげればいいと思うんです。でも、ちょっと試してもらって、それでも「こっちのほうが面白そう」と子どもが言うんだったら、大人が無理やり変えても、子どもはやらないと思います。もしそれで効率が悪く無駄が多いのであれば、自分の好きなプログラミングを極めていく中で、子どもが自分で気付けるのではないでしょうか。
他のことでも、何かベストのように見える道と、逸れてはいても子どもがパワーが出せる道との2つがあれば、後者を選んだ方が良いと思います。大人になると効率よくものを作ることも求められるし、仕事上ではなかなかそれはできません。でも、子どもだったらそれができる。子どもは、短期的な成果を出す必要がありませんから。
─ 子どもの情熱を基準に、選択するのが良い?
汐田:大人から見て正解のように見える道を選んでも、無気力で取り組むのでは意味がないと思います。それよりも、ちょっとズレてても、子どもが情熱的に動けた方が良いですよね。僕自身の経験で言うと、競技プログラミングも、僕が就職活動をしていた頃は、評価されないことも多かったです。今はようやく、「聞いたことがない」とは言われないようになってきたのですが。
当時は、「サービスを作らないのに、プログラミングをする意味ある?」と言われたりしました。世間的な「正解っぽいもの」じゃなかったと思うんです。自分も振り返ってみて、競技プログラミングじゃなくて、普通のソフトウェアエンジニアらしい経験に学生時代を費やす道もあったなとも思います。でも、今もう1度選び直せと言われても、自分が情熱がもてなければ意味がないし、やはり競技プログラミングを選ぶと思います。
世間や面接官から「意味あるの?」と問われる中で、「こういう風に役に立ちます」「こういう力が身についた」と説明せざるを得なかったので、それも良い経験になりました。世間の「正解っぽいこと」から逸れると、自分でやらなきゃいけないことが増えるんですよね。誰もお膳立てしてくれませんから。情熱があれば、そういう大変さにも取り組める。
─ とても一貫性のあるお話でした。失敗も含めて「こどもが自分で決める」のを見守ることは、一見遠回りのようかもしれない。けれど「自分の人生に自信を持てる人を育てる」のにはそれが1番大事なのだと、汐田さんを見ていると伝わってきます。「自分で決める」を大切にして育った大人は、自分の子どもの「自分で決める」も大切にできるのかもしれませんね。
(文:齊藤香恵子、写真:玉利康延、編集:田村真菜)