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大学入学共通テスト不要論―ポストモダン終焉期の実相〔12-1〕

【プロローグ】

「塾長の述懐」シリーズの第12弾(その1)です。

第11弾のメインテーマは「「地頭」を「鍛」えれば受験はクリアできる」でした。そして,そこで私は,「地頭の鍛錬」とは,すなわち(各個人の)〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉を鍛えることであると指摘しました。延いては,それは(各個人の)「感性・情緒」を豊かにする一つでもあったのです。

本ブログでは,第11弾を受け,ポストモダン終焉期の実相として,「AI時代の到来」を前提とした「現行の大学入試」及び「エリート言説」の〈相対化〉」について採り上げながら,〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉の低下がもたらす弊害について言及し,一元論的トランスモダンの時代に求められる人材に言及するための前段階を語ります。


6 ポストモダン終焉期の大学入試

皆さん,こんにちは。
生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典です。

先日のことです。本シリーズを綴っていて,ふと思い起こしたことがありました。

娘が高校3年生の時のことです。娘は一人の大学受験生でした。娘の目標校は,娘が本当に学びたいことを学ぶことのできる大学でした。それは我が家の,というか,私の指導方針でした。勿論,娘はその指導方針に納得していました。なぜならば,親父が怖いからではなく,また親父に絶大なる信頼があったからでもありません。在籍していた高校の「総合的な学習の時間」で探究的な学習(※1)を行ったことが契機となり,その探究の続き,つまり,進学したら,同じテーマで本格的に研究したいとの思いを確と胸中に宿していたからでした。

「((娘の)研究テーマは)学問の領域的には結構複合的だから,目標校を定めるのに苦労したけれど,〇〇大学□□学部ならば,その思いが叶いそう。」

これが娘の志望理由だったのです。

この言葉を耳にした私は内心飛び上がって喜びました。

[よっしゃ!! それでええ。志望理由が,偏差値が高い,低いなど,(偏差値が)どうのこうのではないからな。]

その娘が,ある日,私の仕事部屋にひょっこりと顔を覗けて,こう言ったのです。

「父さん,今日,同じ学年の理系の男子(生徒)たちが話をしているのが耳に入ってきたんよ。その子たちは「(自分の)言語能力がないから,数学の問題文を正確に読み取れない(読み取るのに時間が掛かる)。常日頃から,国語をしっかりと勉強しておけば良かった。」と口惜しそうに言っていたわ~。その話を聞いて,[(かつて高校の国語教師だった)父さんが日頃言っていることだなあ~]と思ったんよ。父さんの言うことも,偶(たま)には当たるんだなあ~って!(笑)」

「五月蠅い(うるさい)!! 「偶に」とは何事じゃ!! わしは常にホンマのことしか言わんわい!!(笑)」

「きゃはっ!!(笑)」

「同じ学年の理系の男子(生徒)たち」はいずれも東大志望だったそうです。娘の周囲には東大や京大を志望する生徒たちが大勢いました。

[(ある意味,)この「男子(生徒)たち」は優秀だなあ。「言語能力」の重要さを実感しているのだから。]と私は思いました。

そう思いながら,同時に私は次の一節を想起していました。

情報を伝達するうえで,読む,書く,話す,聞くが最重要なのは論を俟たない。これが確立されずして,他教科の学習はままならない。理科や社会は無論のこと,私が専門とする数学のような分野でも,文章題などは解くのに必要にして充分なことだけしか書かれていないから,一字でも読み落としたり読み誤ったりしたらまったく解けない。問題が意味をなさなくなることもある。かなりの読解力が必要となる。海外から帰国したばかりの生徒がよくつまずくのは,数学の文章題である。読む,書く,話す,聞くが全教科の中心ということについては,自明なのでこれ以上触れない。

(藤原正彦(2016.4):『祖国とは国語』[キンドル版],国語教育絶対論,(二)国語はすべての知的活動の基礎である,検索元 amazon.com,…a」)

当たり前のことと言ってしまえばそれまでですが,藤原氏のような偉大な数学者がこのように語っておられるところが興味深いのです。巷間で言う「国語ができれば,他の教科(科目)はできるようになる。」というやつです。

前回の本シリーズで,私は「地頭」を定義しました。その上で,それを「鍛える」ということは各人の〈言語能力〉と〈言語運用能力〉を〈鍛える〉ことであり,それが最重要であると述べました。また,〈言語能力〉と〈言語運用能力〉を〈鍛えれ〉ば,「感性・情緒」も豊かになるという旨の指摘を行っています。(※2)

これら情緒の役割は,頼りない論理を補完したり,学問をするうえで重要というばかりでない。これにより人間としてのスケールが大きくなる。
 地球上の人間のほとんどは,利害得失ばかりを考えている。これは生存をかけた生物としての本能でもあり,仕方ないことである。人間としてのスケールは,この本能からどれほど離れられるかでほぼ決まる。脳の九割を利害得失で占められるのは止むを得ないとして,残りの一割の内容でスケールが決まる。ここまで利害得失では救われない。
 ここを美しい情緒で埋めるのである。

(前掲書a:国語教育絶対論,(四)国語は情緒を培う,検索元 amazon.com)

娘との「対話」の中で,私の脳裡のスクリーンには,この引用と大学入試の現況とが二重写しとなり,

○「「利・得」=「進学の目的が偏差値の高い大学への合格,「頭がいい」と言われている大学への合格」
○「偏差値の高い(「頭がいい」と言われている)大学への合格=国の行政庁や大手企業等への就職=将来の安定した富裕な生活」

が描き出されるとともに,来たる一元論的トランスモダンの時代では,

○「利・得」≠ 「進学の目的が偏差値の高い大学への合格,「頭がいい」と言われている大学への合格」
○「偏差値の高い(「頭がいい」と言われている)大学への合格≠国の行政庁や大手企業等への就職≠将来の安定した富裕な生活」

とする相対概念がくっきりと映し出されていたのです。そして,娘の無邪気な笑顔を見つめながら,[〇〇(=娘の名前)には,スケールの大きい人間になって欲しい。]と無言で語り返したのでした。

(2) 〈地頭力〉を測る〈大学入試〉の必要性

先日〔2019.5.29(水)〕,文部科学省は第1回「大学入学共通テスト」の実施大綱案を発表しました。それによると,

○ 実施日は2021年1月16日(土),17日(日)である。
○ 科目は「大学入試センター試験」と同様(「英語」を除く)である。
○ 「英語」は大学入試センターが認定した民間試験の2回までの受験結果(2020年4~12月分)を使用する。
○ 本年6月上旬に正式な大綱を定める予定である。
○ 同年6月中旬に問題作成の方針や配点を公表する予定である。

ということですが,就中重要なことは,

(評価の対象=測る能力として,)「知識・技能」だけではなく,「思考力・判断力・表現力」を重視する

ということです。

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