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すべてを説明しようとしない

タイトルからして、何についてのことなのか、よくわからない。
これは、私が文章を書くときに心がけていることであり、そして、傾聴やカウンセリング、支援についての技術や考え方、心構えなどをお話しするときに心がけていること。また、それだけでなく、私が被支援者さんや相談者さんに向き合う時にも常に心に置いていることかもしれないなあと思う。

行動哲学というか、原点であり、基本であり、還っていくところでもある。

とりあえず、文章を書く時だけに限定して話をすると、解釈の余地を残す、ということである。

自分の文章を題材にあげて申し訳ないと思うのですが、こういう文章を最近書きました。

前半があからさまに、妙行寺の宣伝なので申し訳ないのですが。

話としては、猫が愛されている姿を見て、自分の仕事を考えた、というたったそれだけのことで、じゃあ、その猫がどのように愛されているのか、保護された時にどのような状態であったのか、現在どのくらいの距離感でいてくれるのか、そうしてまた、それが自分の仕事とどのように関係するかということについて、ほとんど説明していない。

だが、それによって、読む人が、様々な(自分にとって身近な)猫のことを考え、愛され方のことを考え、人と猫の、人と人の関係を思い浮かべ、自由な解釈を認める。

もちろんこれは学術論文でなく、叙情的な散文であるから許されることで、そうしてまた、どうして私たちが短編にひかれるのか、ということの1つの答えでもあるのではないかと思う。

短い文章で、世界を切り取り、様々な解釈を認め、そうしてまた、世界を広げる。

それはまた、私がそのような自由な世界を愛し、それによってはぐくまれ、自分が自分の文章を書くということの動機でもある。


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谷川勝彦(たにかつ)
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