金子みすゞの生れ故郷 取材レポート①
4/25(木)夜行バスで萩着、からのレンタカーで仙崎入り。
定宿の”喜楽”さんは、お食事処でもあるので、まずはそこで昼食。
お店の方に、『竹とんぼ』という詩に出てくる”かつらぎ山”って分かりますか?と聞いたところ…
青海島観光汽船の社長さんが丁度いらしてて、教えて下さいました。
青海島観光汽船は、みすゞの頃に、最初は手漕ぎ船で始まったのです。
青海島を1周するのに、一日がかりだったと、長門市史にありました。
焼失してしまいましたが、”はし長”という老舗旅館の経営もしていました。
金子みすゞ全集限定本の出版記念祝賀会の会場は、”はし長”でした。
知識でしかなかったことが、3Dになって立ち上がってくる瞬間でした。
13:00 『祇園社』
詩に謳われている八坂神社さんのアポからスタート。
地名の由来となった人魚伝説の古文書があるのです。
その資料をコピーさせて欲しいとお願いするつもりでいたら、ご用意下さっていました。
貴重なお宝を、本当にありがとうございます!
お次は、長門市立図書館。
館内閲覧しかできない書誌『長門市誌』昭和30年版で、”迷信”の項から【犬神】についてコピーさせていただきました。
最後のアポは、金子みすゞの女学校時代の母校。
みすゞについての権威とされている矢崎節夫氏の『金子みすゞの生涯』という著書では、入学と卒業の日付が、本文と巻末の年譜で違うのです!!!
このような本の著者が、記念館の館長なのですよ!!!
同窓会誌で、日付の確認をさせていただきました。