【金子みすゞの伝記】進捗状況。
ピカピカじゃない1年生💦
詩のタイトルのみで書き進めてきた原稿に、一昨日、詩の本文を打ち込んで入れました。あんまり溜めると、後で大変です。すでに、けっこう大変でした💦
そしたら400字詰め原稿用紙で、114枚まできてました。
四六判で400ページと言われています。ナニソレオイシイノ?状態ですが、原稿用紙に換算すると385枚ぐらいみたいです。お分かりの方がいらしたら教えて下さい。なんせ1年生なので、なんも分かりません。
家系図や地図、写真などの図表抜きなので、3分の1弱は書けたということでしょうか。
やっと”子ども時代”へと進めます。
身の程知らずなチャレンジですが、千里の道も一歩から。何とか、ここまで来ました。
編集さんのお誕生日である4月2日には初稿あがってる予定でしたが、大幅に遅れております💦
1日原稿用紙3枚書けば1ヶ月で100枚、4か月で400枚書き上がるだろうという根拠のない無謀な計算。やっぱ谷英美、計算苦手なのねw
膨大な調査・確認が必要で、一文字書くのに3ヶ月かかることもあると思い知りました。
裏どり
この写真は、山口県萩市の法務局から取り寄せた土地台帳の写しです。みすゞのお祖母ちゃんが、ある男性と共同名義で土地を買ったことを確認。
今日は、みすゞの生れ故郷・山口県長門市の図書館から取り寄せた史料を、地元川越の図書館で閲覧してきました。
『仙崎共同について』という記録。
本当は【仙崎共同】を見たいのだが、橋本益二郎さんという金子みすゞの親戚の方の没後、どこにいったか分からないそうなのです。
【仙崎共同】を大正初期に抜粋したものを、再抜粋した史料で、やはり知りたかったことは書かれていませんでした。
でも、みすゞの生まれ故郷の仙崎の自治の力はハンパなかったことが分かりました!
地域のことは自分たちでやるのだと、経済で文化を守ってきたことが伝わってきました。
【仙崎共同】に出資者として名前が載るのは、ステイタスだったのではないかな。
このスタイルだと、誰の顔色も見ずに、自分たちで決めてゆける。
徹底的な合議制であったであろうと思われます。
これぞ、THE民主主義!
長門市は今は広いけれど、みすゞの頃の仙崎は独自の特殊な地域だったのではと感じました。
それにしても、コピーしてもらえるのは半分って、何なのー?!!!
15ページあるので、7ページしかコピーしてもらえなくて。
8ページは手書きで写してきました💦
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