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「選択」とは失うこと
はじめに
私たちは日々、無数の選択をしています。朝食に何を食べるか、どの道を通って仕事に行くか、どの仕事を受けるか、誰と人生を共にするか。選択とは何かを得ることだと思われがちですが、実はその本質は「何かを失うこと」にあります。
心理学の分野では、この現象を「機会費用(opportunity cost)」という概念で説明します。これは、ある選択をした際に、他の選択肢が持つ価値を失うことを意味します。例えば、Aという仕事を選ぶことで、Bという仕事に就く機会を失う。ある友人と過ごす時間を選ぶことで、別の友人と過ごす機会を失う。このように、選択とは常に「何を捨てるか」とセットになっているのです。
選択のパラドックス
心理学者バリー・シュワルツ(Barry Schwartz)は『選択のパラドックス(The Paradox of Choice)』の中で、「選択肢が増えるほど、人は満足度が下がる」と指摘しました。現代社会はかつてないほど多くの選択肢にあふれています。商品、職業、交友関係、ライフスタイル——私たちは自由に選べる環境にあります。しかし、この自由こそが、人々に「選ばなかった選択肢への後悔」を生じさせ、結果として不満足感を生むのです。
ある研究では、スーパーで試食コーナーを設けた際、6種類のジャムを並べた場合と24種類のジャムを並べた場合の購買行動を比較しました。結果として、24種類のジャムがあるときの方が興味を示す人は多かったものの、実際に購入した人の割合は6種類のときよりも低かったのです。選択肢が増えると決断が難しくなり、最終的に「選ばない」という選択をしてしまうことがわかります。
選択による後悔と「決断疲れ」
選択をするとき、多くの人が「本当にこれでよかったのか?」と不安になります。これを「選択の後悔(choice regret)」といいます。心理学者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)らの研究では、人は得をする喜びよりも損をする痛みの方を強く感じる傾向があることが示されています。つまり、「何かを得た」というポジティブな感情よりも、「何かを失った」というネガティブな感情の方が、私たちの心には大きな影響を与えるのです。
さらに、選択を繰り返すことで生じる「決断疲れ(decision fatigue)」も問題です。これは、意思決定をするたびに精神的エネルギーが消費され、最終的には適切な判断ができなくなる現象です。ある研究では、裁判官が朝一番に下す判決の方が、午後遅くに下す判決よりも公平性が高いことが示されています。午後になると、疲れた裁判官は慎重な判断を避け、より単純で保守的な決断(たとえば「却下する」など)をする傾向が強くなるのです。
選択の受容と「良い選択」の条件
では、私たちはどのようにして選択と向き合えばよいのでしょうか?
選択の本質を理解する
何かを選ぶということは、何かを失うことでもあると自覚することが重要です。「完璧な選択」は存在しないため、何かを手放す覚悟を持つことが大切です。選択肢を絞る
選択肢が多すぎると決断が難しくなるため、あらかじめ選択肢を減らす工夫をすることが有効です。「選んだ道を正解にする」意識を持つ
心理学者ダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)は、人は選んだものに対して後付けで満足感を持つ「心理的免疫(psychological immune system)」を持っていると述べています。つまり、一度決めたことを正解だと思い込む力が人にはあるのです。選択の後悔を減らすためにも、「選んだからにはこれを最善の道にする」と意識することが大切です。
終わりに
選択とは何かを手に入れることではなく、むしろ何かを手放すことです。しかし、それは必ずしもネガティブなことではありません。大切なのは、自分が何を選び、何を手放したのかを理解し、その選択を納得のいくものにしていくことです。選ばなかった道を悔やむよりも、選んだ道を正解にする——そんな生き方が、より充実した人生につながるのではないでしょうか。
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臨床心理士・公認心理師をしながら、ビデオグラファーとしてインタビューを軸としたドキュメンタリー映像を制作をしています。WEBサイトにて、これまでの作品集を掲載しています。是非、ご覧ください。
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