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マインドフルネスを始めたいあなたへ(1)

「マインドフルネス本」を元に3人で、今年から、クラブハウスで読書会を行っています。

その読書会での「気づき」をコチラでもシェアしていきたいと思います。


今、読みすすめているのは、
『マインドフルネスを始めたいあなたへ/著ジョン・カバットジン』


コチラの本…第Ⅰから第Ⅲ部で構成されていて、ひとつの章がさらに細かく分けられています。その一つを順番に一日ひとつ取り上げて3人で読書会を行っています。(17時30分から15分間/Clubhouse)

もう、かなり読みすすめてしまっているのですが、記憶が鮮明なうちに
先ずは、今日のお題
「行為の中の無為」

「何もしないことは、どの分野の活動においても、熟練者への礎石なのです。」を示す古典の例として荘子の話があげられています。

華麗な包丁さばきをみせる料理人。彼が手にした包丁は、まるで彼の分身、彼自身かのように肉を小さくしていきます。

この本の中では「料理人」でしたが、
私は、学生の頃、弓道部に所属していて、同じような体験をしたことがあります。
高校三年の最後の試合…
私は、「おちまえ」=前から4番目で弓をひきました。
緊張しているにもかかわらず、10本のうちの4本の矢が的に当たります。
そのときの感覚、弓から矢が離れる瞬間「当たる」と感じました。

「当てよう」ではなく「当たる」。

弓をひく自身の手、筋肉、骨、つがえた矢、遠くに見える的、呼吸、風、道場の脇に並ぶ人、おんまえからおちの5人の同級生、一緒に並んでいる人たちの息づかい、それらが全て、「今、この瞬間」に存在し、それらと一つになっている感覚。「つながり」です。

私の手から放たれた矢は軽く弧を描いて、遠くの的に吸い込まれていきました。「パーン」と。

その時間は一瞬だったと思いますが、スローモーションのようにゆっくりと感じられました。

あまりに遠い記憶で忘れてましたが、この本に書かれていること、そして、一緒に読書会をしている方のシェアを聞いて、私の中で鮮明によみがえってきたのです。あのときのカラダの感覚や音、そのすべて。


…残念ながら、このあと、私は、「当てよう」「当てなければ」という『欲』を出してしまい、5本目以降が的に当たることはなく、私の高校最後の大会は終わりました。

ただ、「体験」が残りました。
貴重な私自身の「体験」です。


今、この瞬間、
「吸ってますか?」「それとも…吐いてますか?」
先ずは、今、ここの呼吸を感じてみましょう!


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