ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(71)
こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。
第11章 ともに目覚める:
対人関係の中でのラディカル・アクセプタンスの練習
【無題】
ヨーロッパで生まれた騎士道文学のひとつである聖杯伝説にまつわる言い伝えのひとつに、冒険の道中にいるパルシファルの話があります。
若い騎士パルシファルが荒廃した不毛の地に迷い込んで目にしたのは、自分たちが直面していることに何の疑問も抱かず、魔法にかかったようにぼんやりと機会的に生きる人たち。そして、この国の王様もまた、荒廃した大地のように衰え、青白い顔色で死に瀕している姿でした。
パルシファルの頭は国王への質問でいっぱいでしたが、自分のような若者が王様に質問するのは失礼だと思い、黙って城をあとにし、冒険の途に戻るのですが、途中でクンドリーという魔女に出会い、彼女は、彼が王様に何の質問もしなかったことを聞くやいなや烈火のごとく怒り出します。
「なぜお前はそんなに冷たいのか? お前の質問は王様と王国を救うことができたかもしれないのに…」
この言葉を真摯に受け止めたパルシファルは、きびすを返してお城に戻り、「陛下、あなたは一体何を患っていらっしゃるのですか」と問います。その瞬間、王様の顔に血の気がもどり、と同時に王国のすべてが活気づき、すべてが目覚め動き出すのです。
私たちは、この物語の王様のように「孤立している」と感じると、まるで人生が不毛の地のように意味のない空っぽなものに思えるのです。「自分は無価値だ」と感じている時、心から気遣ってくれる人がいて、声をかけてくれることで心から癒やされるのです。
スピリチュアルな道を歩いていても、自身の帰属感を思いだすには他者の助けが必要であり、自分は他の人やこの世界と繋がっているのだと思い出すことが癒やしの本源になるのです。
瞑想の生徒の一人であるアンは、彼女が四歳のときに町の反対側に引っ越したことがありましたが、その時、地下室で遊んでいた彼女は両親の不注意で、家に一人取り残されてしまいます。
そのため、大人になった彼女は度々、恐怖感に襲われている幼い頃に舞い戻ったような感覚に襲われていました。
彼女は博士に相談に来ますが、瞑想のテクニックを教えてもらえると思っていたのにも関わらず、「精神的な癒やしと目覚めにはいかに他の人との繋がりが大切かを強調」されます。対人関係で負った傷は対人関係の中で癒やされるべきなのです。他人に助けを求めることは恥ではない…このことは、彼女に安心感を与えてくれます。
彼女にとっての目覚めを握る鍵は、他人からの真摯な思いやりと関心を感じることでした。今の時代も、対人関係の中で、思い込みから目覚め、完全な存在となることはできます。それこそが「サンガ」。私たちはこのサンガの中で癒やされ目覚めるのです。
すべての対人関係は私たちの相互関係を明らかにするもの。この関係の中にラディカル・アクセプタンスの一対の翼であるマインドフルネスと思いやりがあれば、魂の解放をもたらす『聖なる器』となり得るのです。