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#自分

疑問を持つこと

子供の頃、目に見える物を見たり触ったりするとき、「本当にこれはここにあるんだろうか」と疑っていた、というようなことを言っていた人がいましたが、視覚とは概念に基づくもので、見る人の思考を反映します。本当に東京タワーはあの形なのか、誰が見ても同じように見えているのか、それは疑わしいものです。子どもの頃は、大人にとっては当たり前のことをそのまま信じるわけではないので、「なんで?なんで?」と言いながら、少

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多層化した意味

色が、階層で見たときと対比で見たときで意味が違う顔を見せ、数字も、並べたときと空間で見たときとで別の意味が見え、色や数字、形というのが、そのすべての意味を複層的に持っているように、私たちも、立場や所属で見たときに役割やキャラが異なり、恒星の構成によっても役割やキャラが異なり、私たちも複層的です。どこから見た自分なのかによって、自分というのは変わってきます。たとえば会社にいるとき、家族といるとき、仲

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恒星という自己

解体し再構築したものは、元々どういう形だったのかわからなくなるもので、それが変化です。これまでの自分が解体され失われ、再構築された自分は別の自分です。これまでの自分が死に、新しい自分が生まれたとも言え、つまり生まれ変わりです。

毎日毎晩眠ることで小さく死に、起きているときの体験は解体され、また目覚めるときに再構築されます。記憶とはそうやって形を変えていきますが、連続性は保たれています。連続性が保

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みんな違ってみんないい

立方体の8つの頂点を自分のものにし生きることができると、陰りがなくなるので、暗闇に吸い込まれるように盲目になることもなければ、暗闇から逃げるように走り続けることもなくなります。そして自分自身に欠けがなくなると、誰を見ても、否定的な気持ちになったり嫌悪することもなくなります。評価することはあっても、投影された影を見るような感情反応はなくなります。こうなると「みんな違ってみんないい」が当たり前になりま

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父母に似ている自分

肉体の持つ癖こだわりというのは、実際の両親や育ての両親、環境から与えられたもので、星である本質的自己とは異なるものですが、だからと言って否定するものでもありません。肉体とエーテル体は相反する方向性、性質を持つからと言って、エーテル体が肉体を否定することはなく、つまり本質的自己が肉体の癖こだわりに嫌悪することはないということです。上から下りてきた本質的自己からすると、下から上がってくる肉体は自由に扱

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三分節

三分節というのは、もちろん3に関係するものです。3の生産性、創造性、移動性というのは、3つの異なる性質によって成り立ち、この3つがバラバラであることが肝心と言えます。3つのうちの1つに自分の視点があり、他の2つを見ています。ここでもやはり1つが自分であり、他の2つとは別物であることが肝心です。三角形で考えたとき、1つの頂点に自分がいて、お隣の点に移動したとしても、他の2つの点も移動するので、果てし

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絶対と相対

自分を中心にしてすべての物事を見て、自分を通してのみ理解することができるのは、必ずしも自分に閉じこもっているわけではなく、どの層に立ち、意識がどこまで広がっているかによって、地上に閉塞していることもあれば、地上から見れば解放されているようにも見えるものです。解放されているように見える層にも飽きれば、やはりより高く広い視野へと向上したくなるはずです。

この世界の閉塞性とは、主客を維持し、あれとこ

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陰陽化を解くことの衝撃

一方に張り付いていると、もう一方しか見ることができず、どこかに張り付いていると、そこからの景色しか見ることができません。何かに気がつき理解するとき、小さな統合が起こっています。張り付いていたものから自由になり、見えなかったものが見えます。

16塔で星に飛び出すとき、陰陽化を解いています。何かにどこかに張り付いていたのが剥がれ落ち、どこにも何にも触れることができず、主体が消えます。自分と言うのは、

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帰還プログラム

占星術、タロットカード、生命の樹が帰還プログラムである以上、ごく限られた範囲についてだけ記されているわけではありません。こんなことが得意なんじゃないか、こういう仕事が向いているのでは、といった地上でのあれこれ、癖とこだわりを知るためだけに、占星術やタロットカードが存在するわけではなく、一つの人生に世界の始まりから終わりまでが重なり型共鳴しているように、ホロスコープを読むことは、創世から終末までを知

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