死について考える【91日目】

焦りは人をさらに底へと引きずりおろす。

人生においての焦りもそうだが、ふだんの生活においてもそうであろう。焦ると全てが空回りして、基本的なことを見逃してしまう。仕事でそういうことは何度か経験したことがあるが、その度に、スケジュールにマージンを持つことの大切さを実感させられる。

マージンがあったとしても、まずは自分の中で整理することも大切だ。わからないからといってすぐに人に聞くのはどうも良くない。もちろん、それですぐに解決できる場合はあるだろう。実際、大体のことはそれで解決できたりする。だからこそ、すぐに聞いて欲しいと言われることは多いが、それでも、まずは自分でしっかりと調べるべきなのだ。

そうでない状態で相手に聞いたならば、相手はもっと基本を指摘してくるわけで、それでなぜ見なかったのかと追求もされれば、相手の時間を使ってしまうことにもなりかねない。分野が違うからといって甘んじてはいけないだろう。分野が違くても、まずは自分である程度調べておくべきなのだ。ちんぷんかんぷんなことを聞いて時間を割いてしまうのは良くない。相手に失礼であろう。

基本を指摘されないことも当たり前だが、あるわけで、それは聞いたことに対しての正しい回答なのだろう。そういう正しい回答を得るためには、余計なことに巻き込まないようにこちらで最初から道を整頓しておくべきだ。

整頓しておかないと、焦りにさらに拍車がかかり、焦りが募り、また、相手への申し訳なさもつもり、負の連鎖が始まる。それを引きずり回して走り続けるのは、いかに人の信用を失うかを認識した方が良い。それは火のついたタイヤで車を走行させ続けるようなものだ。あまり良い例えではないが。

死ぬまでの時間が限られているからといって、焦ってはいけないのはこういうことを見ると明らかだろう。焦ると、他のこともその負のスパイラルに巻き込みかねないのだ。焦っていなければ、回避できていたことが回避できないのだ。

焦るというのは主観的な物の見方しかできていないときに起こるであろう。もっと客観的に見れば、部屋の中をきれいに片付けることは簡単なのだ。神の視点で庭の手入れをするようなものだ。まさに箱庭なわけだが、実際の家の庭より箱庭の方が上手に整えられるのは神の視点で動かせるからだろう。第三者視点、客観視、それが神の視点だ。

着せ替え人形だってそうだろう。実際に自分が着る服よりもよく考え込んで着せ替えることができるはずだ。

もちろん、どちらも他の要素も大いにあるが。

人生を焦らず生きるには、スケジュールにマージンを作るのがよく、また、マージンを作るだけでなく、何かに陥った時、陥る前には、しっかりと考えて、視点を変える技術を駆使すべきなのだ。それは経験によってしか得られない。多くの失敗からそういったことを学ぶ知恵も必要だ。

それがいつ習得できるのかわからないからこそ、今からでも遅くない、今から取り組めばいい。

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