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竹内一郎「人は見た目が9割」読書感想文

突き付けられる題名。
「ですよねぇ」としかいいようない。

読むまでもない。
本当にそのとおり。

いや、9割はちがう。
人は見た目が9割9分。

今までどれほど、見た目で忸怩たる思いに陥ったことか。

男性からは、警戒の目を向けられる。
チンピラみたいな下品なヤツからはカラまれる。
こっちは上品なのに。

女性は走って逃げる。
そのあたりは露骨だ。

例えば、夜の帰り道などで、人通りもなくて、ふと気がつけば少し前を女性が歩いている。

こっちは右に曲がろうとしていると、向こうも右に曲がってしまった。

すでに、いやな予感しかしないけど、仕方がない、歩く速度を落として右に曲がる。

やはり女性は、振り向いて横目でこちらを確認してから、遠慮なく走って立ち去る。

でも、これは、そういうご時勢。
さほど見た目は関係ない。

基本みたいなものだし、もう慣れている。
嫌だったら、自分のほうから遠回りして帰ればいいだけ。

ショックなのは、顔面を見たとたんに走って逃げることだ。


人は見た目が9割9分

いちばん猛ダッシュされたのは、歩道橋の上でうずくまっていた女性かも。

車の走行で少し揺れる歩道橋だったから、立ちくらみしたのだろうとわかった。
放ってはおけない。

膝をついて「だいじょうぶですか?」と優しく声をかけると「ハイ・・・」と弱々しい声。

「水でも買ってきましょうか?」というと「すみません・・・」と言いながら「だいじょうぶで・・・」と自分の顔を見た。

目が合った瞬間だった。
彼女は突然に背筋がシャキーンッとした。

声色も変わって「大丈夫です!」とキッパリと立ち上がって、あとは猛ダッシュだった。

そのまま通報されてしまうのではないか。

見た目というより顔面だ。
せめてもと、身なりだけは整えているから。

でも、身なりを整えてもマズいようだ。
胡散臭くみられる。

駅前で尋ねごとをしようと「すみません」と、うっかりと声をかけたものなら「けっこうです!」とか「いりません!」と走って逃げられる。

正確にいえば、見た目というのは、表情とか身なりを合わせたものと思われる。

今でもショックなのは、ある春先の午後のことだった。
天気がよかった。

商店街のお花屋さんの前を通りかかったとき、鉢植えのお花を部屋の出窓に置いたらステキだなぁと足が止まった。

似合わないといわれるけど、お花は好き。
ほっこりして、店に入ったとたんだった。

お花屋さんの奥さんは、驚いたように目を見開いて、咎める口調で「なんですか!」と、小さく叫びながら後ずさりしたのだ。

ほっこりした笑顔が、奥さんから見れば不気味だった思う。
『しまった!』と、すぐに「お花を買いにきました!」とピシッと90度の礼をするばかりだった。

見た目をわるく思われるのは慣れているからなんでもないけど、少しの幸せを砕かれたようなショックがあった。
以来、お花屋さんに入るのが気が引ける。

とにかくもだ。
なんの話をしているのか、わかるだろうか?

おそらく、わからないと思う。
自分だって、わからなくなっているのだから。


新書|2005年発刊|190ページ|新潮社

※ 筆者註 ・・・ 今になって知りましたが、100万部越えのベストセラーとのことでした。

感想

逆に見た目を生かす方法はないのか?

人は見た目が9割。
これは間違いない。

どういうふうに、見た目を改めればいいのか?
どのようにして、残りの1割を生かせばいいのか?
逆に見た目を生かす方法はないのか?

なにかひとつヒントを得たい。
なにかひとつ自分を変えたい。

切実な読書となっている。

著者の竹内一郎は多才

題名につられていた。
著者の竹内一郎についてはなにも知らないままだった。

“ さいふうめい ” の筆名で、マンガの原作者もしている。
主に麻雀のマンガのようだ。

『マンガ原作者が解説する、現代マンガの表現技法』と別冊にしてもいい。

それほどマンガの技法についてページを割いている。
ぱっと見で全体の3分の1ほど。

で、多才な竹内氏だった。
舞台の演出家もしている。

現場での経験の豊富さが、演出家のスキルが、数々のエピソードと共に伝わってくる。

もし、この本に副題をつけるとすると『舞台演出家が明かすメッセージの伝え方』となるかもしれない。

マンガの技法も、演出家というのも、まったく知らない自分にとっては、すべてが「なるほどな」とうなづける。

が「人は見た目が9割」からはズレていて、なんの本を読んでいるのか、わからなくなっている状態だ。

オリジナルはとくになかった

マンガと舞台演出の話が落ち着くと、やっと「人は見た目が9割」の本題にはいる。

多才な竹内氏は、比較社会文化の博士でもある。
大学助教授もしていたという。

そんな竹内氏は、コルバート・アレービン博士の、ある実験結果を紹介する。

人が他人から受け取る情報の割合についてだ。

それによると、顔からが55%、声からが38%。
話す内容が7%。

ということは、コミュニケーションの主役は話す言葉、というのは大間違い。

言葉以外のノンバーバル・コミュニケーション(非言語)が9割を占めているから「人は見た目が9割」といえる、と竹内氏は説く。

なんかどうか。
あっちこっちの自己啓発本で使いまわされている内容だ。

この本は2005年の発刊だから、ずっと前に読んだのかもしれないという感覚にもなる。

で、そのとき。
パターンのようにして、この後にはアメリカ人の学者が次々と登場するのだろうなと予感した。

アメリカでの実験だとか調査を持ち出してくるだろうなと、かなり確信していた。

アメリカの心理学者が次々登場パターンだった

予感は的中した。

『アメリカの動物行動学者のデイモンド・モリスによると・・・』と次に続いた。

次には『アメリカの心理学者、ミルグラムの実験によると・・・』と続く。

それはニューヨークでの実験だ。
人々がビルを見上げていると、通行人はどのような反応を示すのかという実験。

やはり、あっちこっちの自己啓発本で使い回されている、何十年前かの実験だった。

アメリカの心理学者だから、権威があるのはわかる。
が、いいかげん、こういう割合と簡単な実験は、現代の東京でやってもらって、それを基準にしてほしいというのが正直な感想。

で、次に登場したのは『アメリカの文化人類学者のエドワード・ホールは、人間には8つの距離帯があると提唱している』と続く。

べつに、アメリカ人は嫌いではない。
が、アメリカ人と日本人の距離帯は同じじゃないでしょ、と冷静に思ってしまう自分がいる。

すると、次は2連発で “ アメリカ人の心理学者 ” が登場する。
ボッサードフィリップジュバールドだ。

すでに、薄くて浅い心理学講座みたいになっていて「人は見た目が9割」という本題はどっかにいっちゃっている。

アメリカの心理学者ラッシュが止まらない

一郎の、 竹内氏のアメリカの心理学者の紹介は止まらない。

続けて、社会心理学者のバロンが出てくる。
どこの国なのかは記載されてないが、アメリカ人だろう。

夏の暑さと暴動の発生の関係を調査した、とあるからだ。
調査するほど暴動が発生する国なんて、アメリカくらいではないのか。

次には、心理学者のアンダーソンが登場。
同じく、どこの国なのか記載されてないが、おそらくアメリカ人だろう。

この流れで、いきなりイタリアの心理学者とか、ブラジルの心理学者は登場しないだろう。

やっぱ心理学者ってのは、アメリカでなければ。
アメリカ以外だとインチキっぽい。

そんなことよりもだ。
なんの本を読んでいるのか、わからなくなっている。

まとめ

「人は見た目ではない」は違いますよ。
人は見た目なんです。
アメリカの心理学者もそういってますから。

だってアメリカですよ!
あなた、アメリカを否定するのですか!

この本をまとめると、そういうことらしい。

巻末には、参考文献として30冊が挙げられている。
ふと、それほどいうアメリカの心理学者の文献とはどんなのだろうと探してみたけど、アメリカ発の本など1冊もない。

日本語訳の本も記載されてない。
ほとんどがマンガについての本。

あの、アメリカの心理学者の集団と実験は、どこからどうやって出てきたのだろうと疑問が残った。

見た目が深刻な自分にとっては、対処法も解決法も書かれてないので、なんの本を読んだのかわからなくなった読書だった。

竹内一郎には「本は題名が9割」といってやりたい。

※ 筆者註 ・・・ 読書録をキーボードしてから気になって検索してウィキぺディアを見てみました。すると『非言語コミュニケーション入門』という題名にしたかったが、まともにそうしたのでは書店にさえ相手にされない。なので『人は見た目が9割』の題名を付けたということです。100万部超えだけあります。


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