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半年ぶりの登山で整える

私が登山を始めたのは25歳のとき。今から11年前になります。
きっかけは運動不足・身体の衰えでしたが、以来息の長い趣味になっています。もはや趣味というよりはライフワークかもしれません。大体月に1回~2回ほど登っていました。

ただ、今年は子どもが産まれること、コロナの再流行などもあり、暫く控えていました。半年も登山に行かないのは初めてのこと。自然にどっぷり浸かっていないからか、何となく心に澱のようなものを感じていました。

そんな中、先日、子どもが産まれてから少し落ち着いた時間ができたこと、また、コロナの若干の落ち着きもあって、半年ぶりに登山をしてきました。私にとっての登山は、整うものなんですよね。すっかり澱もなくなり、心身にきれいなエネルギーを感じています。

今回は、私が一番好きな八ヶ岳に行ってきた記録になります。登山ってそういう感じか、八ヶ岳ってこんなところなのか、へー、くらいの気持ちで読んでもらえると嬉しいです。

登山の朝は早い

皆さんは登山というと、どのようなイメージを持つでしょうか。辛そう・大変そうとか、絶景・雲海みたいなイメージになるでしょうか。
私も同じようなイメージを持っていたのですが、登山を始めて一番感じたのは「朝が早い」「移動がめんどい」でした。

例えば、今回行った八ヶ岳は、都心からですと、車を使って片道2時間半~3時間くらいかかります(山梨と長野県境あたりです)。アルプスと呼ばれる方面に行こうものなら、4時間くらいは普通です。すでに長い。

そして、登山口には駐車場が整備されているところも多いのですが、人気のところや狭い駐車場だと早朝4~5時には満車になります。そのため、大体深夜3時くらいには到着しておきたい。

今回の登山では、23時半に都内を出て、途中の休憩込みで駐車場に着いたのが深夜3時。その後、6時まで仮眠してから出発という流れでした。目が覚めれば駐車場は当然のように満車です。
ちなみに、標高の高い駐車場のため、外気温は8℃ほど。車内もめちゃ寒いでした。

早朝出発、早朝到着のための深夜ドライブ、そして長距離運転。今では多少慣れましたが、朝の早さと移動が登山で一番大変なところだと思っています。

登山口のルート標識前
標高はすでに1,700mくらいでとにかく寒い

八ヶ岳の真ん中へと行く

さて、今回行ったのは硫黄岳という山です。あれ?八ヶ岳じゃないの?
実は八ヶ岳という山は存在しません。一番高い赤岳を中心に連なる8つの山の総称を八ヶ岳という呼んでいます(名称の由来は諸説あります)。

なお、ちょっとした伝承ですが、古くは「八ヶ岳は富士山よりも高かった」という言い伝えがあります。

元々八ヶ岳は1つの山だったと言われています。そして、八ヶ岳の神と富士山の神とが高さで競って喧嘩をしていました。しかし、結果としては八ヶ岳の方が高かった。それに腹を立てた富士山の神が、八ヶ岳を蹴飛ばして今のように複数の山に分かれてしまった、というものです。

今回は行った硫黄岳は、蹴飛ばされた八ヶ岳の真ん中あたりにある山です。八ヶ岳は南北に伸びており、北側は美しい苔の森、南側は荒々しい岩壁を楽しめます。硫黄岳は、その両方を楽しめる山です。素晴らしい。

前半は美しい苔の道
後半は荒々しく

山は登るものというより歩くもの

登山というと、やはり山頂を目指して登るイメージが強いと思います。事実その通りなのですが、私にとって山頂はゴールではありません。
昔は山頂を目指してガシガシ登ることが一番でした。ですが、今は登山道を歩くこと自体が一番の目的になっています。

今回登った硫黄岳、駐車場から山頂までは、登りで3時間弱、下りで2時間程です。休憩を含めれば6時間くらいは山の中にいることになります。その時間の内、山頂に僅かな時間だけがゴールというのは勿体ないものです。

何より、6時間の中には、沢山の魅力が詰まっています。

美しい苔の緑の森。横を流れる沢のせせらぎと涼風。土を踏むフカフカ感。
木々の間から注ぐ木漏れ日。風で揺れる草木。岩と沢が重なる美しい造形。
山小屋の温かさ、美味しい食事。すれ違う人々とのふれあい。
照りつける太陽のエネルギー。疲れた身体に沁みる水。吹き抜ける風。
遠くに見えてくる雄大な里の景色と山々の稜線。
足下で響くガラガラした石を踏みしめる音。山頂での昼寝の時間。

ただただ登山道を歩く。雄大な自然に身を任せる。それが私とっての登山の一番の楽しみ方です。

苔と岩の間を流れる沢
山の中の素敵な山小屋
名物のボルシチをいただきます
保存のきかない生野菜は貴重です

静けさの中に居る

また、自然の中にいると、日常では得がたい静けさを感じられます。車の音も、工事の音も、電子音も、携帯電話の音もありません。あるのは、自然の音と自分の息づかいだけ。その静けさにいると、自然と自分自身に意識がいきます。

宿坊の食事が美味しいと言われるのは、ただひたすらに食事に集中するからと言われています(勿論、そもそも美味しいのだとは思いますが)。
スマホやテレビ・会話と言った、ながら食事をしない。黙って食事と向き合い、一口一口かみしめる。すると、舌に神経が集中し感覚が鋭くなり美味しさをより感じやすくなる。

周りに余計なものがなくなると、そこに有るのは自分だけになる。山という静けさの中に居ることで、自分自身に意識が集中し、ゆったりと自分を見つめることができる。余計な悩みも澱んだ気持ちも、大地に吸い込まれていく。登山では、そんな贅沢な時間を感じています。

ポツンと座ってぼーっとする贅沢な時間

登山というより旅行に近い

ところで、登山を終えて下山した後って、どんなイメージでしょうか?
私が外せないのが、温泉・食事・観光の3つです。汗をかいたら温泉ですっきりしたいし、折角いつもと違う地域に来たのであれば、産地のものを食べて、名物を見てみたい。

だから、私にとっては登山に行くというより、旅行に行く感じ。行程の中の登山が組み込まれているというイメージです。行きは深夜ドライブでしたが、帰りはお店も開いています。カフェ行ったり、直売所や道の駅で買い物したり、サービスエリアに立ち寄ったり…そんなことも楽しみの1つです。

長野・山梨方面は、高原野菜や果物も美味しいですし、牧場が多いので動物と触れあったり、ソフトクリームや牛乳も美味しい。どうせなら、行き帰りの道も全部楽しみたい!そう思って山に行っています。

帰りに立ち寄った温泉
値段が手頃でよく使ってます

家に帰って感じる安心感

今回の山旅(もはや登山ではない)は、奥さんの協力もあってじっくり楽しんできました。9/30の23時半に出て、10/1の23時半に帰ってくる。24時間の旅行となりました。

山に居る時間も、道中の時間もとても楽しいものでした。自分自身とも向き合い、自分が整う時間だったと思います。そして、整ってくると、家に帰ったときに、ものすごい安心感を感じます。

いつもはずっと家にいると疲れてきたり、飽きてきたりします。ですが、山旅に出ると、帰るべき場所があることの有り難みを改めて感じます。奥さんや娘の顔も見え方が変わってくるものです。

私は昔から、どちらかと言えば一人でいる方が好きです。別に人と一緒にいるのが苦痛という訳ではないのですが、疲れて一人になりたいときがある。静けさに中に身を置きたいときがある。それを叶えてくれるのが登山です。そして、一人や静けさを堪能すると、自然と家に足が向くし、人との繋がりが欲しくなってくる。

私の中にある、独りと繋がりの両方に調和をもたらして整えてくれるもの、それが登山であり山旅です。それを改めて思い出した硫黄岳登山でした。

きっとこれからも登り続けていくことでしょう。次はいつになるかなぁ。

光が差し始める登山道
心地良い空気を胸いっぱいに吸い込む

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