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【書評】斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』

 つまりは「人新世」のあり方か。
 どう働き、どう暮らす、どう学び、どう学びほぐす?どれも考えることなしにはできない。
 だのに多くの人は考えない。面倒くさいから。だからしくみに寄りかかる。誰かのしかけにたやすく乗る。
 でもその結果が「ブルシット・ジョブ」の氾濫だ。いまの世の中はクソ仕事だらけ。自活を求める若者には最低の就労環境といえる。どうにもならない。生まれた時が悪かった。資本主義システムの決壊期だ。金にもツキにも恵まれない。
 だからこそ考える必要がある。いまこそ頭を使うのだ。生きがいとやりがいを得るために。
 IT分野で働いている知り合いがいる。彼はネット・フリーランサーを名乗っている。単発の賃仕事を渡り歩いてくらすコンピューター技能者だ。いまのところ稼ぎは充分。だから会社には属さない。セイフティ・ネットは自前で築く。
 その彼の話を聞いていると、現代の経済システムから身をかわすこと、うまく利用することを考え実行したことがわかる。
 彼は自分自身を「商品化」したのだ。それは、かつての時代に存在した旅芸人たちの生き方にヒントを得たのかもしれない。
 いまという時代に、なぜ古代的なものや神話的なものが残っているのか。それを考えることは未来につながる。たとえばこの本の中にも「算盤的コミュニズム」という言葉が出てくる。斎藤幸平は今から百四十年前に死んだ男の本を読み、今につながる示唆を得た。彼は考える人にちがいない。

ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた
「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」斎藤幸平 [ノンフィクション] - KADOKAWA

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