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身辺整理、断捨離。後悔を忘れ、前を向くこと。

今回は精神的なこと、マインドに関することです。
私の経験してきたことをもとに、今自分を愛せていない人、後悔に悩まされている人に向けて書きます。何かしらの気付きになれば幸いです。

まだnote始めたばかりで、どんな記事が求められているのか分からないため、色んなジャンルを書き乱していきますが、落ち着いたら整理します。

本題ですが、
そもそも後悔って何でするのでしょうか?

動物的な危機回避の本能がおいてけぼりになってしまったのでしょうか。後悔がもたらすメリットよりもデメリットばかり目立つ気がします。

後悔って何なのか。私は何かしらの失敗に起因しているもので、その経験をうまく昇華できていないものではないかと思います。(適当に定義付けしてますので、ご容赦ください)

私が経験した失敗で今でもフラッシュバックされるものをまとめました。

私の失敗

・小1のとき、集めていたお気に入りのガン消しを上級生に交換してほしいと言われ、言われるがまま交換したこと。

・小2のとき、水溜まりで遊んでいたら小6に泥水をかけてしまい、クリーニング代を要求されたこと。親にも言えず、半年くらいビクビクして学校に通ったこと。

・小2のとき、転校する友達にちゃんとお別れを言えなかったこと

・小3のとき、目立ちたくて幽霊を見たとウソをついたこと。

・小3のとき、上級生にちょっかいを出して追いかけられ、救急車を呼ぶレベルのケガを相手にさせてしまったこと。

小学校の低学年だけでも、スラスラ出てきます。(専門家の診断を受けたわけではないですが、恐らく私はHSPで結構神経質です)
他愛もないことかもしれませんが、当時の私にとっては重大な失敗で、このような失敗をする度に、「何であの時こうしなかったんだ」と自分を責めるのです。

そんな失敗は年々蓄積し、責める過去はどんどん増えていきます。そして、失敗は年々高度化・複雑化して、わだかまりもこんがらがって放置。私の場合は後に爆発して、顔面神経痛適応障害につながります。

自分を赦すこと


後悔は過去の自分を責める・赦さないという状態ではないか、という話をしてきました。
後悔の蓄積は、自己肯定感を低めていきます。考え方は卑屈になり、他者を受け入れられなくなり、社会との不和が起き、問題が起きた時点で障害・病気認定されます。
後悔を溜めるとロクなことになりませんね。
ですので、後悔を減らす必要があります。ひとつは自分を赦すことだと思います。

唐突ですが、宗教ってこういうことのために必要なのではないかと思います。動物的な本能と、社会的な理性の歪みを埋めるために、バランスを取る便利ツール。失敗を告白し、赦しを得る。これ、毎週やってたら後悔残らなくないですか?

成仏でもなんでもいい。過去の自分ヨシヨシでもバイバイでも、未来に目を向けることができればいいと思うんです。
まあ、いきなり宗教って日本人には難しいですよね。だから自殺者が多いのではないかと思ったりします。

自分の子どもについての気付きと後悔の再生産

娘が成長するにつれて、自分と似たような繊細さを感じる場面が増えてきました。
とても細かいことにこだわって、なかなか次の行動に移れない。失敗を隠そうとする。大人の目を気にしている。
夫婦喧嘩を散々見せたので、そういう影響もあると思います。私も小さい頃そうだったのですが、親の不仲を何故か自分のせいだと思ったりするんですよね。自分がいい子にしてたら、親は仲がいいみたいな思い込みしてました。実際会社員時代は、朝の忙しい時にご飯食べなかったり、着替え嫌がったり、外に出るの嫌がったり、自転車乗るの嫌がったり、いちいちイライラしてました。

子どもは何も悪くない。過去の自分とも重なる。
だから、子どもがグズったときには会社休んででも向き合う。それがあるべきで、やるべきと分かっていながらできませんでした。
そんな矛盾は私にとって後悔の連続でした。育児を通して、過去の後悔の再生産が起きていたように思います。

(両親の不和は、決して子どものせいではありません。
もし似たような感覚で悩んでいたら、あなたは悪くない。また、親が親らしくあるべき‥みたいな話も私は違うと思っています。親が機能不全のときは素直にムリですと言える社会であってほしい。)

現在、エゴイスト


話は飛んで現在、会社をやめて暇な日々なので、娘にイラつくこともほぼありません。

娘の神経質に「分かるよ、大丈夫だよ」と声をかけ、以前よりも向き合えるようになりました。娘を慰めることで、過去の自分を慰めることができている気がします。
「自分がこうありたかった」を押し付けるのは親のエゴだと批判もあるでしょうが、もうエゴとかどうでもいいんです。娘を幸せにしたいなら、私自身を幸せにしなくてはいけないのです。自分のコップに水が無かったら、相手のコップに水を注ぐことはできません。
自分を幸せにするためになりふり構わない現在、エゴイストです。
そういえば、最近は娘の失敗隠し行動見てないかも。

まとめ

要領を得ない、とりとめもない文章になってしまいましたが、まとめます。

私の場合は、過去の後悔と向き合い、一つ一つ解決したわけではないです。未来の方がより重要だというマインドになったのだと思います。
そのきっかけとなったと思われる行動は、
・会社員やめる
・家財を手放す
・親と決別する

大きくはこの3つかな、と思います。どれも簡単に出来ることではないと思われるかもしれません。
ですが、使ってない家電1つ手放すとか、少しできることもあると思います。
何かに所属したり、所有したり、依存したり、安心を得るためにすり減らしているリソースを解放するイメージです。
少し余裕が生まれたら、その余裕を自分のために使う。そうすれば、少しだけ自分を可愛がれると思います。
私は生まれた余裕で娘を可愛がることができ、同時に過去の自分を可愛がることもできている気がします。


最後に

いろいろ、長々書きましたが、
自分を愛せるかどうかは幸せに直結します。

『不幸な人間が、他人を幸せにしようなんておこがましい』と、度々妻に怒鳴られます。幸せになれと怒鳴ってくれる妻に感謝です。

私の経験・気付きが何かのきっかけになれば幸いです。

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