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【194区】撮影者ダイエット日記#73 喜びの共有
9/18
水曜日
晴れのち曇
体重 82.0kg
今週の走行距離 44km
通算走行距離 1482km
今週の練習
9/12 休養日
9/13 休養日
9/14 午前4000m5’10+3000m4’50+2000m4’30+1000m4’10
午後10kmjog5’10(合計20km)
9/15 休養日
9/16 3kmjog 1kmave5’00
9/17 休養日
9/18 21kmjog
今週は9/14と9/18に距離を走る事が決まっていたので、休養日はそこに向けて合わせていました。
9/14は午前中に手賀沼イベントで4321、午後は皇居イベントで10kmjog
たくさんの方々と走る事ができて凄く楽しかったのに加えて、今まで皆さんが感じる走る喜びを走らずに間近で見ていた自分が応援してくださる皆さんとその喜びを共有している事が嬉しく感じました。
どちらのイベントもたくさんの方々が喜んで楽しんでくれて主催者冥利に尽きるまさにそんな感じです。
これからも楽しいイベントや皆さんが満足してくださるサービスを提供できるようにたむじょーと頑張っていきます!
本日の本題は短めですが、1日2回開催のイベントにおいて感じた事を記したいと思います。
喜びの共有
9/14の2回のイベントを通して参加者さんの笑顔や練習を通した達成感を身近に感じる事ができた。
私たちは、参加者の皆さんからお金という対価をいただき、サービスとして皆さんが満足のいくイベントや練習会を考えていくのだが、ここで何よりも大事なのが、お金を払う事がただ払って終了になるのではなく参加者さんがサービスの提供者に対してお金を共有したという考えを持ってくださる事が重要だと思っている。
僕は現在、脚の治療院に週2回ほど通っているのだが、治療院の先生は毎回汗をかくくらい魂を込めて僕の脚の治療をしてくださる。(僕の脚が太すぎるのと筋肉量が多すぎるので大変笑)
その時に話す内容も非常に面白く、僕は自分の意見をアウトプット、先生はそれを聴きながらポジティブな意見もくれるので脚を治療してくださる以上のオプションを受けている気がして凄く気持ちが良い。
治療費は決して安くないのだが、心からいつもありがとうございますという気持ちでお金を払う事ができており、このお金を払う感覚は無駄なものにお金を使うという感覚(浪費)やコンビニで物を買った時の感覚とは全く違く、むしろその人にお金を払ってそのお金で喜んでもらえればという感覚になる。
それは言い換えれば自身のお金を先生に対して共有している感覚になっている。
そしてそこには必ず喜びが存在する。
僕は治療や会話を精一杯してくれてありがとうという気持ちで喜びに満たされ、先生はその対価として気持ち良くお金をもらって喜びに満たされる。
例えば、他人に食事を奢る根本的な原理は、ただ相手が後輩だからとか、ビジネス相手だからとか、更に言うと自分が好意を寄せる好きな人だからとかではなく、このお金で一緒に喜びを共有したいと思う事が重要だと思っていて、よく言われる奢る奢られ論争はこの考えで片付ける事ができると思う。
僕は、絶対に自分が一緒にいて楽しくないと思う人には例え後輩だろうと食事を奢る事はないし、むしろそういう心理がみえみえで連絡をよこす人には、その前段階で食事や遊びにすら行かない。
逆に言えば、相手が歳上だろうが尊敬できる人、信頼できる人、一緒にいたい人であれば奢らせてもらう事もある。
話は少し脱線したが、お金を払う時、物を買う時に上記で述べた自身のお金を共有する感覚を持っていると、自分が払って良かったと思えるようになる。
故に、僕らのような自分達で社会活動を行っている人間は参加者の皆さんがいかに喜んでくれるかを日々模索し続けそれに応えるようなサービスを提供していく必要がある。
これは義務感などではなく、そのような社会システムを創造することによって自身も喜びを感じる事ができるし、他人も喜びを感じる事ができるからであり、それが真の経済活動だと思っているからだ。
そんな事をサイゼリヤの温玉のせペペロンチーノ350円とディアボラ風ハンバーグ500円合計850円をサイゼリヤに感謝して食べながら考えていた。
きっと、サイゼリヤがこの値段でやっていけるのもサイゼリヤの株が強いのも、経営陣と客の間で喜びの共有が行われているからなのかな〜
以上!