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京都検定

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京都検定への道10 大報恩寺((千本釈迦堂)〒602-8319 京都市上京区七本松通今出川上ル)

京都検定への道10 大報恩寺((千本釈迦堂)〒602-8319 京都市上京区七本松通今出川上ル)



大通り(千本通・今出川通)から少し離れた住宅街にあり、閑静な中に突如大きなお寺が出現する感じでいかにも京都らしい感じでした。

山号は瑞応山、千本釈迦堂と通称される。承久3年(1221年)に求法上人義空が小堂を建立して仏像を祀ったのが起こり。嘉禎元年(1235年)に倶舎・天台・真言三宗弘通の道場として隆盛した。

応仁・文明の乱をはじめ、幾多の戦禍を免れた本堂(国宝)は安貞元年(1227年)の

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京都検定への道 9 釘抜地蔵(石像寺)(上京区千本通上立売上ル花車町)

京都検定への道 9 釘抜地蔵(石像寺)(上京区千本通上立売上ル花車町)



 山号は家隆山、正式には光明遍照院石像寺。光仁十年(819年)に空海(=真言宗)が建立し、後に俊乗坊重源が浄土宗に改めたという。通称の釘抜地蔵は地蔵堂の石造地蔵菩薩立像に由来する。元は苦抜地蔵と呼ばれていたが、前世の罪で手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の怨みの釘のを抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれ、苦しみを抜くという信仰が生まれた。現在も二本の釘と釘抜を貼り付

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京都検定への道8(引接寺(千本閻魔堂)〒602-8307 京都府京都市上京区閻魔前町)

京都検定への道8(引接寺(千本閻魔堂)〒602-8307 京都府京都市上京区閻魔前町)

テキストP98

通称,千本閻魔堂(ゑんま堂)。開基は小野篁,ゑんま堂大念仏狂言(5月1日~4日)は京都の三大念仏狂言の一つ(大念仏狂言:壬生寺,嵯峨釈迦堂(清凉寺),千本閻魔堂)。
室町時代には大念仏狂言や勧進能などが行われ,民衆にとっての町堂となった。
境内の不賢象桜は後小松天皇ゆかりの名木で,現在の桜は佐野右衛門氏の寄進。

現本尊の閻魔王は応仁・文明の乱以後に仏師の定勢によって作られたもの

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京都検定への道7(妙蓮寺 〒602-8418 京都府京都市上京区妙蓮寺前町875)

京都検定への道7(妙蓮寺 〒602-8418 京都府京都市上京区妙蓮寺前町875)



テキストP171

本門法華宗の大本山。永仁2年(1294年)に日像が造酒屋の中興氏(柳屋)の帰依を受けて、下京区五条西洞院に開創。寺名を妙法蓮華寺とも屋号にちなんで柳寺ともいう。一時衰退したが、応永年間(1394から1428年)に日慶が再興、妙蓮寺とした。現在地には天正15年(1587年)に移転。山号 卯木山は柳の字を分けたもの。奥書院と玄関に長谷川派による障壁画(重要文化財)がある。

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京都検定への道6(晴明神社 京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル))

京都検定への道6(晴明神社 京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル))

テキストP66

寛弘4年(1007年)一条天皇の勅令によって晴明の邸跡に創建されたという。晴明は平安時代中期の天文博士で、星座の急変するのをみて花山天皇の退位を予知。境内の晴明井は、晴明の念持力で湧き出たといい、飲むと悪病難病が治ると伝わる。また境内にはの旧一条戻り橋(p322 婚礼時に嫁ぎ先から戻らないように橋を渡らないように遠回りする)がある。

かつて実際に戻橋で使われていた欄干の親柱を使

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京都検定への道+ (小川通、不審庵)

京都検定への道+ (小川通、不審庵)

実際に通るまで知らなかったのですが、京都の風情ある通りが無電柱化され、より綺麗な通りして変身していてびっくりしました!!

小川通を北から望む

茶道表千家 不審菴を望む

不審庵とは、「不審花開今日春」の禅語から採られたといわれており、不審とは、人智を超えた自然の偉大さ、不思議さに感動する心ともいえましょう。不審菴とは、利休が営んだ茶室の名で、千宗左家元の号でもあり、歴代の家元がこれを継承してき

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京都検定への道 5 (宝鏡寺 上京区寺之内通堀川東入百々町)

京都検定への道 5 (宝鏡寺 上京区寺之内通堀川東入百々町)

テキスト P128

 臨済宗の尼門跡寺院。通称人形寺または百々御所。前身は上京区五辻大宮の景愛寺の子院であった福尼寺。応安年間(1368〜75年)に景愛寺の六世華林宮恵厳禅尼(光厳天皇の皇女)が現在地に移して再興。境内に人形塚がある。

テキスト 人形展p286、p295、p232京人形も参考に

少しだけ中に入ってみました。

京都検定への道 4 (報恩寺(鳴虎)(上京区小川通寺ノ内下る)

京都検定への道 4 (報恩寺(鳴虎)(上京区小川通寺ノ内下る)

テキストP 151

本尊 阿弥陀如来 鳴虎報恩寺と通称される。由来は豊臣秀吉が寺宝の虎の図を聚楽第に持って帰ったところ、毎夜画中の虎が鳴くため眠れず寺に返したことによる。「鳴虎図」は明代の陶佾(とういつ)の筆による。12年に一度寅年の元旦から3日間のみ公開される。

また、境内には平安時代末期の作、撞かずの鐘の伝説がある。

(伝説)鐘を鳴らすと織女の幽霊が鐘楼に現れ、不吉なことが起こるようにな

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京都検定への道 3 (水火天満宮(京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722-10)

京都検定への道 3 (水火天満宮(京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722-10)

(公式テキストブック P66)

祭神 菅原道真 社名は道真の師、比叡山延暦寺の法性坊尊意が都の水害火災を鎮めたことによる。道真の怨霊によって災害や鴨川の大洪水になったため、醍醐天皇の勅命の依頼により宮中で祈祷し怨霊を慰めて平穏を取り戻した。その伝説ゆかりの登天石が境内にある。

登天石!!

延暦寺 法性坊尊意僧正が道真の祟りを沈めるために勅命を受け延暦寺から宮中に向かう前で、鴨川の水が溢れ出

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京都検定への道 2 (本法寺(ほんぼうじ)上京区堀川通寺之内上ル)

京都検定への道 2 (本法寺(ほんぼうじ)上京区堀川通寺之内上ル)



本法寺は日蓮宗の本山。洛中法華21カ寺本山の一つ。1436年に日新が四条高倉に建立。日新は足利義教の怒りに触れて投獄。焼けた鍋を被らされて「なべかむり日新」と称されたがのちに許され当寺を再興。投獄中に本阿弥清信と知り合う。当寺は本阿弥家の菩提寺。庭園、三巴の庭は国の名勝。

長谷川等伯像

京都検定への道 1 (妙覚寺 上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135)

京都検定への道 1 (妙覚寺 上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135)

これから不定期に自分の勉強のために撮りためた写真とともに、京都検定に関係することをまとめて行こうと思っています。通勤をしている近辺から徐々に、広げていければと思います。

 寺の名前が、妙の字ということで、日蓮宗のお寺であることが伺えます(『南無妙法蓮華経』が由来となっている(他の宗派では『南無阿弥陀仏』))。

 妙覚寺は、日蓮宗の本山で、洛中法華21カ寺本山の一つで本尊は十界曼荼羅。日実が妙顕

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