震災で降格した
医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は8ヶ所目。業務の引継ぎは完了しているが、期間はあと3週間ほど残っている。定員+1人のため、仕事も楽だ。居室での事務仕事も1人でゆっくり出来る。
すると揺れた。大きな地震だ。緊急地震速報が鳴り響く。外へ避難した。仕事は出来なくなった。それどころではない。水もガスも電気も止まった。沿岸部は大津波に襲われたらしい。街中は大渋滞。コンビニは商品が全て買われて閉店したとか。翌日の出勤は自主判断となった。
僕は震災から3日後に出勤した。食料調達の目処が立ったからだ。ただ、出勤してもルーチンワークはない。手探りな応急措置に明け暮れた。
全員出席の大規模な会議も複数回にわたって開かれた。これからの施設運営をどうするか。それが議題であった。普段なら口出ししないが、今は緊急事態だ。遠慮はしない。するべきではないだろう。何かの足しにでもなれば幸いだ。その想いで自身の知識と経験を差し出した。
いい結論は出なかった。それはそうだろう、この規模の震災は誰もが初めての経験なのだから。そもそも完璧な解決策など無いのである。だが、誰もが薄々感じていることはあった。僕の前任者の異動が、この施設にとっては大きな損失であることを。
だが、そのことは誰も口にはしない。すでに決まっていることだからだ。口にしても仕方ないと思っているのだろう。僕に気を使っている節もあると思う。前任者が留まれば僕の居場所が無くなるからだ。
僕は営業部の部長に電話した。「元気か〜」。あいかわらずのテンションである。けれども心配はしていてくれてたらしい。ただ、どこもかしこも異常事態。それどころではなかったようだ。
僕は全てを話したうえで提案した。前任者の異動取り消し。代わりに僕が異動してもいい。そのまま前任者の部下として留まってもいい。とにかく緊急事態用の人事配置にしてほしい。そう伝えた。
「わかった」。部長はすぐに飲み込んでくれた。それもそのはず。前任者の異動先でも同じことが起こっているそうだ。ただ、お客さんからの声は無い。本社としても動けない状態だったそうだ。
ベストなシナリオは僕が前任者の部下として留まること。それが近隣3ヶ所の事業所を含めた最善策だ。だが、これには1つだけ弊害がある。僕のリーダー業務が無くなる。それは役職の降格を意味していた。
僕はそれを了承した。元々それを織り込み済みの提案だった節もある。そもそも役職と言っても形だけだ。手当も付くが微々たるもの。しかも昇格した年の昇給は低いと決まっている。僕の持つ上級資格の方が手当の額は上だ。リーダー業務に未練はない。むしろ離脱したいので好都合だった。
「ありがとう」。部長は僕のそう告げた。今回の人事異動で僕は降格にはなるが、特別に辞令は出さないこととしてくれた。部長の配慮である。本当は降格させたくはないらしいが、各方面での調整が難しいらしい。僕への感謝の言葉は、それに対してのことであった。
部長の仕事は早かった。2日後には正式に前任者の残留が決まった。僕も前任者の部下として留まる。関係者は喜んでいた。施設の復旧も進むであろう。僕が裏で動いたことは秘密にしておいた。いろいろと聞かれてもめんどくさいからだ。その代わりに異動願は出しておいた。すぐに出たいわけではないが、ポジション的に『腰掛』の状態でいたいと思ったのだ。
だがしかし問題は起きた。辞令が送られてきたのである。気にはしないが、別日に部長と話をする機会があったので、それとなく聞いてみた。どうやら営業部と総務部の連絡が上手くいってないらしい。部長は「ごめん」と言ってくれた。
また別の日に総務部からメールが送られてきた。なにかと空回りしている空課長からだった。震災の励ましである。僕の降格処分についても書かれていた。これを糧に頑張ってほしいと。文の最後は『がんばれ!がんばれ!がんばれ!』の3連投で締めくくられていた。
あいかわらずだった。ツッコミどころが多いのである。けれどもこれはチャンスだった。どうやら降格を僕が自分でデザインしたことも知らないらしい。故にしばらく『不貞腐れキャラ』でいることにした。なにかと都合がいいだろう。次の異動を有利に進められるかもしれないからだ。
そう、僕はずるいのだ。正直に言うと、前任者が残留して僕が『腰掛』になるシナリオは、地震が起きて外に避難しているときに描いていたものだ。かなり早くの段階から、このシナリオを実現させるために様子を伺っていた。自分で言うのも何だが、ひどい奴である。だが皆がwin-winだ。どこからも文句は出ないであろう。
すこし気が楽になった。だが、写真を撮りはじめるには少し時間がかかりそうだ。ドライブもガソリン不足のため無理。料理も制限されていることが多い。それでも気が楽になった。しばらくは不便な生活が続くが、それも『経験』と思って受け入れようと思う。