最高峰へ
異動の話は唐突にやってきた。僕は短期転勤族だ。1ヶ月後には9ヶ所目となる事業所へいく。引継ぎは問題ないだろう。心残りといえば海の写真を撮れなかったことくらいだ。
次の事業所は隣の県にある。社内でも有名な現場だ。僕らブルーカラー組が行く場所ではない。院生やポスドクが所属する現場なのだ。そこに僕が行くことになった。突然に空いた穴を塞ぐためだ。上級資格を保持しつつフットワークの軽い僕が適役だったみたいだ。
『断ったほうがいいよ』。同僚は心配して助言をくれる。僕もさすがに躊躇した。そこでは普通の仕事をしながら論文を書くのだ。学会に出ることもあるだろう。社内には憧れる者も多い。魅力的な仕事場だとは思う。だがリスクは大きい。営業部の部長も強くは勧めてこない。断ることが正解だろう。
しかしだ、もう1人の僕は背中を強く推す。たしかにそれはおもしろい。ブルーカラー組の僕が、研究組トップの現場に就くのだから。僕のいたずら心が目を覚ます。僕はそこへ行くことにした。
早くに環境を変えたかった節もある。ここは居心地が良すぎた。震災はあったが、それが無ければ平穏そのもの。僕にとっては刺激が弱すぎた。写真もそう。やはりここは被災地。制限されることもある。なにより都会であった。僕には合わなかったのである。
あっという間に引越し当日。新居は隣の県なので1日で完了した。
季節は冬。雪もちらつく。まもなく車での行動範囲も狭まった。かなりの積雪だからだ。北海道で暮らしていた以上の豪雪を味わうこととなった。
仕事も始まった。肩書は派遣社員。上長はオーナー側の先生と呼ばれている人。前任者との引継ぎは2週間。今までで最速を求められた。さすが研究組トップの現場である。
引継ぎはあっという間に終わった。残業は無いものの、忙しさは限界を極めた。プラスして技術系の仕事も降りてくる。嫌とか好きとか考える暇もない。とにかく期待に応えることで精いっぱいだ。かなりのスキルアップもしたと思う。おそらく他で役立つことは無いだろう。僕の知っている仕事内容とは掛け離れていた。
はったりをかますことも多かった。おそらく周りも分かってくれている。自己暗示の意味合いが大きかった。2度も3度も繰り返せば慣れると信じて初回に突っ込んでいく。案の定、上手くいった。その成功体験を胸に次のはったりをかます。その連続だった。
仕事って何だろう。この問いはいつも僕の最前列にいた。ライフワークの写真を支えるものと思っている節もある。そのため、やりがいなどを求めることはしなかった。強めに割り切っている。けれども、ここの仕事はどうだ。正直に言うと、過去に味わったことのない楽しさがある。これが本当の『仕事の楽しみ方』なのかも知れない。
正直に言うと無理をしていると思う。けれども、その無理が心地よい。周りの人も支えてくれている。この事業所に来てよかった。おそらく僕のライフワークバランスは変わると思う。変えたいとも思えた。
こんなこともあるから異動はおもしろいのである。