滅びゆく組織に

僕の生業はきのこ農家だ。原木で栽培している。暮らしは十勝。脱サラ移住組というやつだ。そんな肩書があるから自然派な人に思われがち。だが、科学は否定しない。むしろ尊重している。僕のきのこ栽培は無農薬&無肥料だが、それは必要ないからだ。仮に別品目の農家になっていたら、農薬や化学肥料の使い方を極める方向に進んでいただろう。

とはいえ自然は好きだ。少なからず環境問題にも関心はある。生物多様性の保全もそう。前職は実験動物技術者だったが、ここら辺の知識も求められた。故に大切なことは分かっている。優先順位は低いが、出来ることは行っていきたいところだ。

その目的は自分のためだと思っている。しいては人の存続のためだ。故に『美しい地球のため』という目的には若干の違和感を覚えてしまう。

仮に人が生物の多様性を破壊しても、生物圏の存続に影響はないであろう。たしかに今あるバランスは崩れる。とばっちりを受ける生物もいるだろう。かわいそうだ。人も例外ではない。いや、大繁栄している分だけ、一番に影響を受けるだろう。絶滅するかもしれない。

けれども、崩れたバランスは時間と共に新たなバランスとなって生まれ変わるだろう。空いた穴も直ぐに埋まる。生物圏の存続力は伊達じゃない。そのための多様性だ。今あるバランスを人が必死に守っても、その恩恵を傍受するのは人。『美しい地球のため』にはならない。恩着せがましいにもほどがある。

つまるところ、僕ら人はこの世界の主人公ではないのである。だが、そう思うことも必要だ。それは人に限らない。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、全員が世界の主人公と思っているだろう。エゴイズムだ。仮にそれが無ければ種の存続は難しいと思う。個々が覇権を意識することで、多様性も維持されているのだ。

つまりは、多様な生物種のひとつひとつがエゴイズムを持つことによって、生物圏の存続力は維持されている。そう考えれば、人が生物の多様性を守ることの理由に『美しい地球のため』を置くことも納得できる。人は人の主観が世界の絶対値だと思っているのであろう。たしかに緑あふれる地球は美しい。だが、視点を変えれば、生物に隅々まで侵された醜い星にも見える。けれども、そんな視点は認めないし気付かないのであろう。

これはもうしょうがない。おかげで生命は繁栄しているのだから。滑稽にも思えるが、特に問題も無いからこのままでいいのであろう。けれども、同じことは人の社会でも度々起こっている。

前時代の組織は生き延びようと必死だ。おそらく自分たちの利益のためではない。この美しい社会のためであろう。自分たちが滅びれば、この美しい社会も消えてしまう。そんなことを思っているのかもしれない。これは問題だと思う。

しかし大丈夫だ。生命には寿命がある。強い個体が生き抜くよりも、生と死の循環の中でシステムを保存した方が絶滅のリスクは低い。それと同じことが僕らの社会にも宿っている。

前時代の組織は滅びるだろう。善悪に関係なくだ。一時的にバランスが崩れ、穴も空くと思う。けれども、すぐに新しいバランスが生まれ、穴も埋まるだろう。例外なくだ。過去の歴史が物語っている。そうして社会は次の世代へと続いていくのだ。

正直に言うと、前時代の組織に良い印象はない。滅びることを望んでいる節もある。けれども、それが社会が次世代へ繋がる一連の出来事と思えば、両手を上げて喜ぶことは出来ない。組織も役割を全うしているだけだからだ。滅びる組織に対しては敬意を示したくもなる。

時代は令和だ。前時代の組織が多く滅ぶかもしれない。すでに滅びはじめている組織も出てきた。僕はそれを歓迎している。けれども、滅びゆく彼ら彼女らに対する敬意は忘れないようにしたいのである。


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