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とにかく前進!営業キャリアの基礎力を聞く!橋本尚也顧問インタビュー<前編>

こんにちは◎株式会社タミヤホームです!
わたしたちは、「子ども達に安心で安全な未来を」キャッチコピーに
一都三県を中心に、様々な工事を行っています。
「HEART of TAMIYA - 未来を語る情熱の声」と題して、
このnoteはオープン社内報として、わたしたちの想いや働く姿を共有し、
社内・社外どちらの人ともコミュニケーションを深めるために始めました♪

社員や顧問の声を通して、タミヤホームの今と未来を感じてもらえる
インタビューをお届けします。

今回は、不動産業界で40年以上にわたる豊富な経験を持つ橋本尚也顧問へのインタビューをお届けします!

大手不動産会社での管理職や取締役としての実績に加え、
130社以上の顧問を務めてきた彼のキャリアは多岐にわたります。

現在は、Visionary Office株式会社の代表取締役として、
不動産業界のみならず幅広い分野で経営支援や人材育成に力を注いでいます。

前編では、橋本顧問のこれまでの経験から営業のヒントを探ります!

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≪橋本 尚也顧問のプロフィール≫

・1997年 株式会社大京 営業部長
・2007年 株式会社ダイナシティ
         常務取締役
・2013年 株式会社シティインデックス
                 取締役副社長
・2014年 明和地所株式会社
                 部長
・ 2024年 株式会社タミヤホーム 顧問

Q: キャリアを築く上で一番鍛えられたと感じたのはどのような時期でしたか?

A: まずは大学時代です。

私は亜細亜大学に通い、そこで合気道部に入部しました。

当初は先輩の勧めで始めましたが、次第に体育会の本部員として活躍するようになり、最終的には体育会全体を統括する委員長に就任しました。


亜細亜大学は現在も野球が強い学校ですが、当時は5人に1人が体育会に所属するほど体育会系の活動が盛んで、全学友6,000人の中で1,200人が体育会の一員でした。

委員長としてその統括や予算管理なども任され、リーダーシップを発揮する機会が多くあったのが貴重な経験となりました。

Q: 体育会の委員長としてリーダーシップを発揮する中で、特に難しかったことは何でしたか?

A: やはり、上級生と下級生の序列が厳格であったことですね。

3年生は当たり前に4年生の言うことを聞き、1年生に至っては4年生の目を見て話せないような環境でした。

そういった組織でリーダーとして統率を取ることの大変さを経験しました。

Q: その後、社会人としてのキャリアのスタートも非常にハードなものだったそうですね?

A: はい、体育会系の風潮が強い会社に入社し、厳しい環境で鍛えられました。

営業として24時間働くような感覚です。

朝4時から始まる生活や、上司の絶対命令が当たり前の状況で、
結果を出さなければ人間扱いされないような状況でした。

自分が結果を出すためには、とにかく他の人よりも努力して倍の時間働くしかないと思い、全力で取り組んできました。

Q: そうした環境でどんなことを考え、仕事に向き合っていたのですか?

A: 大学での経験から、リーダーシップを発揮したいという思いがありました。

社会人になると、営業の世界では年功序列ではなく、結果で勝負が決まります。

その中で、先輩を数字で追い越し、昇進していくしかないと感じました。

入社してからは「どうすれば次の役職に就けるか」と常に考え、
課長、部長、そして支店長と目指して、結果を出し続けることでキャリアを築いていきました。

Q: 苦しいと感じたり、辛くなったりした時期はありましたか?

A: はい、たくさんありましたね。

私はどちらかと言えば天才肌ではなく、努力派なんです。

入社当初から人脈があって楽に数字を上げる人もいましたが、私は一件一件、買いたい人を自分で見つける必要がありました。

特に電話営業や飛び込み営業で「マンションを買いませんか?」と尋ねると、大抵は「買いません」と断られ、電話を切られることが多かったです。

時には一流企業の名簿なども使い、勘を頼りに訪問する先を決めるような時代でした。

Q: 飛び込み営業と聞くと、とても大変なイメージがあります。どのように営業していたんですか?

A: マンションの営業なので、共働きの世帯をメインに営業を掛けました。

そのため、営業先のお宅は昼間不在のことが多く、夜になって電気が点いたのを見計らって訪問していました。

7時や8時頃の訪問が普通で、クレームを受けるなど、心が折れることも少なくありませんでした。

しかし、努力を続けた結果、入社2年目には成果を出し、管理職へと昇進することができました。

Q: 管理職になってからはどのような苦労がありましたか?

A: 課長になった頃、自分が当たり前と思っていた基準で部下を評価してしまい、思い通りに課の数値が伸びない時期がありました。

いわゆる「名プレーヤー、名監督ならず」という状態です。

自分のやり方を押し付けるのではなく、部下が会社や私を好きになり、マンションを売ることにやりがいを感じられるように工夫するようになりました。

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橋本顧問の経験から、リーダーシップや営業力、そして困難に向き合う姿勢がどのように培われたのか、その一端が垣間見えました。

若手のころに日々の業務を通じて成長し、強い意志でキャリアを切り開いていた橋本顧問の経験を聞かせて頂くことで、これからのタミヤホームを支える若手社員の励みになるのではないでしょうか。

後編では、橋本顧問が当社の新人研修や若手社員の育成にどのような姿勢で取り組んでいるのか具体的な取り組みや考え方を深掘りしていきます。
 

後編はこちら↓




以前、タミヤホーム社長・田宮明彦が橋本顧問と対談をした様子はこちらからご覧いただけます。



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