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【「べき論」にシナリオ上、どう向き合う「べき」か?】

こんにちは、なんちゃってシナリオライターのたまやまです。
一応シナリオライターとして勉強したので、たまにはちゃんとした記事を書きます。
 
Xを眺めると「べき論」をしている方が結構いらっしゃる印象です。
「べき」は強制力を伴う語気が強い言葉なので、私はちょっと怖いなぁって感じてしまいます。
まぁSNSなんて便所の落書きみたいなものなので何言ってもいいのですが、創作において「べき論」はしょっちゅう見かけます。
今回は私個人が思う、創作における「べき論」について共有していきます。


①恋愛について

作成中の『Luminous Re-lien ~小さな騎士の誓い~』というゲーム。
当たり前のように女性同士が恋愛する世界観なわけですが、「子孫繁栄のために男女が恋愛するべきだろ!」というポリコレも真っ青な「べき論」を唱えられると、まったくもって話が成立しません。
マクロ的な見方ですと「それはまぁそうかもね」なのですが、作者が取り扱っているのは一つのミクロ的な事象における一事例であり、いきなり「子孫繁栄ガー」とか地球規模のことを言われても困ってしまいます。
 
私の作品だと女性同士の上に「領主の令嬢とその騎士が恋に落ちる(壮絶なネタバレ)」のですが、これも「べき論」でいうと甚だおかしいわけですね。
「領主の令嬢なら有力者とかと結婚すべきだろ!なんなら、騎士なんて身分差があるから相手にすべきではないだろ!!」
まぁ確かに百理ある。
 
でも私は百合を描きたいんだ、そしてドラマティックな恋愛模様を描きたいんだ、果たしてこれ以上に重要な理由が必要なのだろうか?領主の令嬢みたいな偉い人が跡継ぎを産まないなんてナーロッパ風な世界ではありえないなんてそんなの百も承知やねん、でもこっちはゆりんゆりんで幸せに睦み合っているカワイイ女の子同士の精神的かつ肉体的なイチャイチャが見たいねん、筆者には自分が描きたい個所を選択して描写する権利があるねん……!

興奮して長文になりましたが、ここで例を挙げます。


(例)
一国の王子が隣国の王女と縁談していたとします。
王子が訪れた隣国で、とても心優しい貧相な女性がリンゴを売っていました。
そのリンゴ売りの少女に、王子は恋をしてしまいます。
王子は縁談を破談し、リンゴ売りの少女と別の遠い国で慎ましく、幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。


これ「身分違いの恋」というメチャクチャよくある展開かと思いますが、「べき論」で言えばおかしい。
だって「リンゴ売りの少女と一国の王子が無責任に結婚なんてしたら王国どうなるねん?」って話になっちゃいます。
「不合理な選択を愛ゆえに選択するというロマンチシズムが作品にカタルシスを生む」とはよく言ったものですけどね。
 
この「べき論」に対する私なりの解釈ですが「感情的整合性はシナリオ的整合性に勝る」というものです。
「このキャラは多分、こういうこと言いそう」という積み重ねで、キャラの描写はされていきます。
当初に設定されていた元々の価値観や出自に加え、シナリオの過程における描写で行動指針が生まれていくわけです。
 
しかし創作上のキャラクターが寸分違わず論理的な行動をするとは限りません。
もちろんライターは論理的にシナリオを構築し、話が一直線に繋がるよう努力はしますが、全ての行動に理由なんて付けられませんし、結果も予想しきれないと思っています。
それは「生きているキャラを描写する」という行為であるが故です。
とある行動を起因する蓋然性(確からしさ)を上げることまでしかライターには出来ず、その選択をするかどうかは描写してきたキャラ達が握っているのです。


端的に言います。
恋人同士が行動した結果、納得してるなら、もうそれでよくね?
これです。
私の場合は恋愛作品なので、ましてやこれに落ち着きました。
シンプルに「シナリオおかしくねえ?」って指摘されるのに予防線張ってると言われたらぐうの音も出ませんが……。


②年齢と男女比について

年齢設定について、私はかなり保守的なので当初はかなり高く設定しました。
将軍とかの最強ポジみたいな人が低年齢なわけないと思っているので。
これも「手練れの兵士は年齢が高くあるべきだ!」という「べき論」の理屈です。
 
でも、少年少女がメッチャ強くて無双する作品、死ぬほどありませんか?
先日ですが、相方と雑談していて「我々の作品は年齢設定が高すぎる」と話題になりました。
調べてみると、確かに千理ある。
主人公チーム以外の女性キャラは、ほとんどが20代後半から30代前半に設定されており、これは「戦場に出るのにいい感じの年齢はこんなもんじゃね?」という私の勝手な固定観念によるものです。
 
そして男女比について。
これまた保守的な私は「男女比はなるべく半々にするべき!」という思考に凝り固まっており、結構な数が男性キャラでした。
しかしながら相方が「女性キャラを描きたいんじゃ!!」と駄々をこねたのをきっかけに、かなりの数を女性に変更しました。
メチャクチャ英断だったと思います。
だって私が書いているのは百合作品だから。

 
そりゃあ歴史に忠実に行くなら、戦場にいるのはほぼおっさんです。
でもその作品、本当に面白いですか?
熟練のおじさまがどつき合うファンタジーが見たいのですか?
それも結構、面白そうかもね……。


③戦争描写について

ファンタジーだと「戦場にそんな軽装で来るのおかしくねえか?もっと甲冑とか着るべきだろ!!」という「べき論」があります。
何度でも言いますがその通りなんですけど、それを見て楽しいかどうか。
 
史実に忠実であるべきならば、バケツヘルムと鎧に身を纏ったゴリゴリのマッチョが隊列を組んで長槍で前線を押し上げる図になってしまいます。
これは絵面的にしんどいぞぉ……!!
 
あと魔法もそうですけど、そんなものこの世に存在するわけないのですから、「忠実に戦争描写をしろ!」という「べき論」に照らすと、超絶地味になります。
設定を組むうえで「どうして魔法という概念が成立しており利用できるのか?」というところまで踏み込んで描写しても良いとは思いますが、たいていの読者はそこに興味ないんですよね……。
なぜなら多くの読者は設定を読んでいるのではなく、シーンを見ているから。
シーンの連続体であるストーリー全体を見ており、それを生み出すキャラを見ているから。
これは重厚なSF作品とかだと当てはまらないですけど。
 
 
例えば「巨乳&ミニスカ」好きの方がいらっしゃるとしましょう。
女の子が短いスカートを翻しながらパンチラするのがお好きな御仁です。
そんな御仁が戦争描写を描くなら、間違いなくおっぱいをゆさゆさした女の子が前線でパンチラしながら戦う姿を描写しますよね?
 
ここで何が言いたいのかというと、やりたいことが本人の中で決まっているならば、やらない理由なんてないということです。
硬派(?)で知られるFE聖戦の系譜だって、戦場のど真ん中で婚活してるんだからなんでもアリなんです。
巨乳ミニスカの女の子が歩いていようが、半裸のビキニアーマーが歩っていようが、それがやりたいんだったらそれでいいんですよ。
構わん、やれ。


おわりに

結論としては「べき論なんて気にするな。自分が納得できるよう、好きなように書け!」という身も蓋もないことです。
フリゲではよく見る光景ですが、レビューとかに書かれた「こうしろああしろ」という指示コメを受けて修正すると、個性がなくなってつまらなくなるみたいなことありますからね。
 
そもそもなんで「べき論を発する人がこれだけいるのか?」という問いについてですが、これは「すべてに説明責任を求める思考が根底にあるとともに、他者をコントロールする快感に憑りつかれているから」だと思っています。
「物事のすべてには正解があり、その正しさに近似していないとおかしい」という認知バイアスとともに、『7つの習慣』(著:スティーブン・R・コヴィー)でいうところの「影響力の輪の外の事象」に注力している状態ですね。
まぁ、あんまり生産的ではなさそうです……。


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