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【映画『ファイト・クラブ』を見た感想】

Amazonプライムに気まぐれで加入していたのですが、これまた気まぐれで映画でも見ようと思ったんですね。
アニメ映画は結構見ていますが実写、ましてや洋画はほぼ見たことがありません。
なんかこれまでの人生で、あんまり見る気が起きなかったんですよね……。
これはちょっと損だなと。


今回はミニマリストの本や社会学系の本でしょっちゅう引用されている名作映画『ファイト・クラブ』(1999年作製)を視聴してみました。
事前に情報収集すると「消費社会に対するアンチテーゼ」とか「ブラピがカッコいい」とかの情報が出てきました。
無職志望者としては示唆に富む内容でした。
 
因みにですが、私にはメインキャラ二人のどっちがブラピか分かりませんでした。
多分マッチョな方がそうなのでしょう。
そのくらい洋画事情に詳しくありません。

結論から先に言うと、「物質に支配された消費資本社会に不満足を覚える若者が、生きづらさを感じている人たちとともにコミュニティ(ファイト・クラブ)を築くけれども、それは結局、消費資本主義が生み出した官僚制的な組織に類似したものとなり、コミュニティが破滅的な感情を非暴力・暴力によるテロという形で社会に向けていくが、主人公はその行為を通して男性性の象徴である別人格を抑え込んで同化し、自分自身の世界観を資本主義の象徴である高層ビルの破壊の果てに創り直すことで、自己肯定感を取り戻す再生の物語」に見えました。
 
見たことある人にしか分からない感想すぎるし、長くてなに言ってんだコイツ感満載ですが、要約すると非常に面白かったです。

以下ネタバレ全開で書きます。
長すぎて「誰が読むねん」案件です。


①物質社会に虚無感を感じる

冒頭から主人公が「モノを持てば幸せになれる」的な思想を持っていることが表現され、物質主義的な価値観に支配されていることがよく分かります。
しかし主人公は何不自由のない生活を送っているにもかかわらず、なぜか不眠に悩まされています。
ここから「どれだけ優れたモノを多く保有していても幸せにはなれない」という現代の私たちにも通じるメッセージが浮き彫りになります。
 
モノを保有することがアイデンティティになると、大変まずいことになります。
モノはあなた自身ではないし、モノによってあなたの個性が決まるわけではありません。
 
「あの家には僕の愛してた家具が揃ってたんです。爆破されたものは僕にとって単なるモノじゃない。僕自身だ!」
 
本作の台詞です。


②コミュニティがもたらす安息感

「人間は社会的動物である」というアリストテレスの言葉にもある通り、繋がりやコミュニティに安息感を覚えるのはいたって普通のことです。
 
主人公は様々な困難を抱えるコミュニティへと、安眠セラピー目的で忍び込みます。
そこには自分よりも恵まれていない人がおり、彼ら彼女らの境遇を聞いて涙を流し、そしてぐっすりと眠れるようになります。
 
これは彼ら彼女らを無意識的に自分よりも下だと思い、安心したからでしょう。
人間は比べたがる生き物であり、不幸というのは相対的なものです。
境遇に憐憫を覚えての涙ではなく、自分よりも不幸な人を見て安堵したゆえの涙なのです。
 
それに対するフックとして、ヒロインのマーラ・シンガーが現れ、彼の安息を邪魔するようになります。
そのせいで彼は再び不安になり、眠れない日々に戻っていきます。


③「普通を求める社会」に対する抵抗

出張中の飛行機でもう一人の主人公であるタイラー・ダーデンと出会うことになりますが、先にネタバレすると彼は主人公が作り出した別人格です。
主人公がなりたかった理想像が具現化された人物と言えます。
タイラ―の発言には、我々が是とする価値観を非とするものが多く見られます。
 
「俺たちの求めている答えが嫁さんなんて考えられねえ。」
「自己改善なんてマスターベーションだ、自己破壊がいい。」
「僕は文明の思い上がりの象徴とも言える、物質至上主義を拒否する!」
 
これが物質消費資本主義の価値観で生きざるを得ない主人公の偽らざる本音なのでしょう。
それを別人格であるタイラーに言わせているわけです。
そして主人公は家が燃やされた(本当は別人格が家を燃やしたのですが)ことをきっかけにタイラーと殴り合い、腕っぷしだけで全てが決まる「ファイト・クラブ」を創設し、のめりこんでいきます。


④男性性としての「タイラー・ダーデン」

タイラーはユーモアに溢れて反社会的であり、暴力を好む「男らしい人物」として描かれ、主人公が内に持っている理想の男性性を体現したような存在です。
これはのちに彼が別人格だとネタばらしされ、最終的に自決まがいの行動で同化することを考えればほぼ間違いないでしょう。
 
そう考えると、ヒロインのマーラは「女らしい人物」という対比となり、主人公が持っている女性性を体現した存在になると思われます。
男性性の象徴であるタイラーと女性性の象徴であるマーラが上階で激しいセックスを交わし、それに悩まされる主人公という描写がありましたが、これは己の中で燻る異なる男女性の闘争とも読み取れます。
遅めに来たアイデンティティの揺らぎとも言い換えられるでしょうか?
 
でも私はこの解釈にイマイチしっくりきていなくて、マーラが本当に「女らしい人物として描かれているか?」については文字通りの疑問符が付きます。
これをスタンダードと見るには大分歪んでいる気がするんですが、有識者のご意見をいただきたいところ……。
なんとなくですが、暴力・反社会性・ユーモアを男性性、物的消費・外見・情緒を女性性と捉えている気がしないでもない。
タイラーといる時間が増えるにつれて、女性性にともなう個性が欠如されていたようにも見えます。


⑤社会変革のあり方

非合法のやべえ組織「ファイト・クラブ」は、なんやかんやで勢力が拡大していきます。
プアホワイトがトランプ大統領を支持する構図にちょっと似ている気がするのは私だけでしょうか?
橘玲氏の本(タイトル忘れました)に、トランプ大統領の支持層は「自分が白人であることにしか誇りがない」との記載があり、「ファイト・クラブ」の支持層は「腕っぷしにしか誇りがない」ということだからですかね?
 
のちに「ファイト・クラブ」が全世界でフランチャイズ展開をしていることが描写されますが、これはまさに「規模の経済」を獲得しようとする資本主義経済の構造であり、反体制的な行動を選択したとしても効率重視である資本主義の様式に絡めとられる悲哀みたいなものを私は感じました。
 
そんな中で、タイラーから「喧嘩を吹っ掛けて負けろ」という指示が出されます。
これに対し各々はそれぞれの方法で喧嘩を吹っ掛けます。
ですが、普通の社会で生きている人たちにとって「ファイト・クラブ」のメンバーが取る行動はあまりにも異端すぎる。
大概は怯えてどこかに逃げてしまいます。
 
マハトマ・ガンジーは非暴力・不服従でインドの植民地支配を開放したわけですが、暴力を伴わない行動によって大きな勢力を制圧することだってあり得るんですよね。
既存の枠組みを破壊するという意味合いで、これも一種の破壊活動と言えます。
タイラーは「ファイト・クラブ」のメンバーにおける倫理的な価値観が完全にぶっ壊れたことを、この段階で確認したのではないでしょうか。
そして最終的に、軍隊組織の形成や暴力的テロリズムを企て、資本主義を打倒しようとするわけです。


⑥自己肯定感を取り戻す主人公

「ファイト・クラブ」があらぬ方向性へと進んでいき、各地でテロリズムをばら撒きだす中で、別人格のことに気づく主人公。
テロを止めるためにタイラーと戦うが敗北し、高層ビル内にて銃を突きつけられる状況に。
 
ここで「タイラーが銃を持っているなら自分も銃を持っていることになる」と気づき、自分を銃で撃つことでタイラーの幻影を消します。
これにてタイラーと同化し、自分の中での男性性に対する解釈が主人公の中で固まったと捉えられます。
不満足な社会に対して暴力的な革命を望んでいたけれど、それは明らかにやりすぎであり、以前よりも中庸的な態度へと収まったのでしょう。
 
そしてラストシーンは「資本主義社会を象徴する高層ビルが爆破で崩れ落ちるのをマーラと一緒に眺める」というものでした。
これは主人公の中で物質的な消費社会的観念が完全に崩れ去り、本当の意味でフラットにこれから自分の人生を歩んでいけるということへの示唆だと感じました。
つまり、私はハッピーエンドだと解釈したということです。
まぁこのあと、精神病院にぶち込まれた可能性も結構ありそうですけどね。


おわりに

「ちょっと深読みしすぎかなぁ?」という部分もありますが、これだけ名作と謳われる映画なので、ちょっと奥の奥まで考えてみました。
現代に蔓延る消費資本主義に対する皮肉としても痛烈でしたね。
 
ご覧になったことある方は、ぜひともご意見いただければ嬉しいです。
いい映画でした!!


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