落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『私は海をだきしめていたい』坂口安吾著~
一歩間違ったら川上宗薫や宇能鴻一郎の官能小説カテゴリーに入りそうだと思った。
この作品はマザコンの匂いがプンプンする。
結局は幼少期の母親の愛情不足(と坂口安吾自身が感じたこと)が背景にあるように思う。
一番母親に甘えたかった時期に相手にされなかった。子ども心にもっとベタベタしたかった。その反動がこの作品にあらわれているのではないか。
肉体に溺れる「私」。つまり、それは母親との接点を、大人になって改めて肉体を求めることによって確認しているように思う。肉体の中にあると母体にいるような安心感を覚えるのかもしれない。
いわゆるセックスとはまた違った意味で女の身体をむさぼっていたのだろう。
だから女性であれば誰でもよかったのかもしれない。
それが荒れ狂う海と遭遇することで、気丈だった母がイメージされる。
どんなに女の肉体に母をオーバーラップさせても、女は女以上の何物でもない。「山の奥底の森に囲まれた静かな沼」(P156)にすぎない。
そもそも海は「すべての生命の母」であるそうだ。
(引用はじめ)
海という漢字のなかに「母」が含まれているように、海はすべての母ともいえます。実は、海水の主要成分のうち、上位4つは羊水と同じです。海からの生物の進化は、子どもが羊水のなかで育まれ、生まれ出るのに等しいというつながりにも驚かされます。
<海はなぜ「すべての生命の母」であるのか?https://dowellbydoinggood.jp/contents/column/399/>
(引用終わり)
坂口安吾の作品を読むのは2作目。そういえば、以前読書会で扱った『青鬼の褌を洗う女』も主人公が「母」を意識する記述から始まり、最後は「母性」を感じながら終わったというイメージがある。
坂口安吾の作品には「母」がところどころに、いろいろな形で表現されているのかもしれない。
この作品でいえば、「だきしめていたい」より「だきしめられたい」なのだろう。マザコンだから。
気の毒なのは女。「魂を高めてくれる」男を求めながら、結局こんなマザコン男に引っかかってしまったとは。
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