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ワクワクリベンジ読書のすすめ~『日本人と日本文化』対談:司馬遼太郎 ドナルド・キーン~
作家 司馬遼太郎氏と日本文化研究者のドナルド・キーン氏との対談集である。
以前読んだ本の中で「異なるカテゴリーの著名人の対談ほどおもしろいものはない」とどなたが言われていたのを思い出した。
この著書はまさにそのもの。改めておふたりの知見の幅広さを感じた。
日本の歴史・偉人・地域・文化・宗教・道徳などの視点からの対談は、これまで日本の歴史文化というカテゴリーをスルーしてきた自分に大いなる学びを与えてくれた。
日本文化の背景にある対外意識として、外国に対する劣等感がある。
そしてそれを克服するために、徹底的に真似をしてオリジナリティまで高めるという「ベンチマーク」がひとつの日本人の精神文化になっているように思う。
例えば「仏教」。著書の中にも指摘があったが、仏教は大陸から輸入された。しかし日本人は、現実に考え得る限りの形で仏教を日本化した。鎌倉時代の親鸞(浄土真宗)や日蓮(日蓮宗)などはその典型である。
そもそも親鸞にしろ日蓮にしろ、ほとんどお釈迦様とは関係がない。司馬氏も「極端に言えばお釈迦さんという世界性がどうであれ、自分一個の安心(あんじん;仏法の功徳によって迷いがなくなった安らぎの境地)が決定(けつじょう;あることが定まって動かないこと。信じて疑わないこと)すればよいというところがある」としている。
そういえば、以前勤めていた会社の経営者の方が「真似て真似て真似し尽くす。そして最後に『うちが本家本元だ』というくらいにすることが、うちの会社の文化だ」と言われていた。
「真似る」という技術は、各方面に影響を与える日本人の大きな精神文化であると改めて感じた。
また、結びの章のおふたりのコメントは実に印象的である。
「日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する」「日本国民というものが残るかぎり、何らかの形で日本的な特徴はあらゆる表現のうちに現れるに違いない」(以上、キーン氏)
「あまり日本的なものとしてがんばりすぎると、いやらしいものになる」(司馬氏)
日本人はカッコつけ過ぎ、力み過ぎていたのかもしれない。
「日本らしさ」に固執することなく、時代とともに変化していく自分自身や環境を常に確認しながら、よいものは受け入れ積極的に活用していくことが求められる。
「ベンチマーク」という考え方こそ、日本人にフィットするものであると強く実感した。