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ワクワクリベンジ読書のすすめ~『ヴェニスに死す』トーマス・マン著~

「旅先のヴェニスで出会った、ギリシャ美を象徴するような端麗無比な姿の少年。その少年に心奪われた初老の作家アッシェンバッハは、美に知性を眩惑され、遂には死へ突き進んでゆく」。
書籍表紙の記載があらすじそのものである。
主人公アッシェンバッハはコレラで命を落とす直前まで、美少年タッジオの動きを、ストーカーの如く目で追っている。初老の男性が少年に強い愛情を抱き行動をチェックする。この考え方・行為は狭い世界観しか持たない自分にはなかなか理解できなかった。
 
この作品をどう考えるべきか。この作品から何を読み取ることができるか。
感想というより、そうした作品の背景にしばし頭を悩ませた。
「文学とは何か」「芸術とは何か」「美とは何か」。そんな問いかけがなされているように感じた。
 
ちょうど頭が混乱している時に、Facebookのお笑いコンテンツとして「~生きるとは何か~ それぞれの分野から」という投稿があった。その中で、
文学「もしこう生きられたら」
芸術「これが生きる形だ」
美学「そうやって生きたい」
とあらわしていた。
そもそもこの投稿の落としどころは、役所「生きていることにする」、というところにあるようだが、ここでいう「文学」「芸術」「美学」のコメントは、まさにこの作品を理解できない自分に対するアドバイスであると感じた。
つまり、「作品」とは、願望・欲求・理想をはじめ、普通の人間の生活で経験できないものを疑似体験させてくれるもの。そう考えると腑に落ちる。この作品のすばらしさを理解することができる。
自分の身に当てはめようとするから無理が生じる。頭が混乱するわけだ。
平々凡々な自分の日常を作品にしたところで、なんの面白さもない。
そうではなく、「へぇ~、こういう世界もあるんだ」という楽しみ方、そう映画を見るような感覚で、もっと気軽に作品に触れるべきと改めて認識した。
 
それにしても、トーマス・マンの世界観。「アッシェンバッハ」という名を借りてあらわしたものだろうが、地域共生社会・LGBT・SDGsが叫ばれる今日、『ヴェニスに死す』はその先駆けの作品と考えるべきではないか。今度、じっくりと読み返してみようと思う。

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