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シングルマザーで弾き続けてこれたのは愛する娘への想いと祈りを愛にした

このストーリーは、主人公・まいの幼少期から高校卒業までの約15年間にわたる物語です。

まいの4歳頃から18歳までの約15年間の人生が描かれています。この期間中、まいはピアノとの出会い、父親の不在、いじめ、初恋、そして音楽への情熱と挫折など、多くの経験を重ねていきます。

物語は高校卒業時で終わりますが、その後の人生についても示唆されており、音楽の道を進むことが暗示されています。

時系列で見る舞の人生

  1. 4歳頃: ピアノとの出会い

    1. 幼稚園に入園し、先生がピアノを弾く姿を見て、私は母に「ピアノがしたい。」と言った記憶があります。

  2. 5歳:父親の存在を知る

    1. 「お父さん」という存在が周りの子達にいると知ったのは5歳だった。

  3. 小学生時代:いじめの経験

    1. 小学5年生となり、いじめの首謀者とクラスが同じになる。

  4. 14歳(中学2年生) : 自殺を考えるほどの危機

    1. 14歳の夏の夜小学校の非常階段を登る。

  5. 入学: 問題行動と高校への情熱

    1. 高校生になり、Yとは学校が別々になり一年経過。

  6. 17歳: 誕生日の悲劇

    1. 17歳の誕生日その日はバイトをお休みしたYが、ファミレスでお誕生日をお祝いしてくれました。

  7. 18歳: 高校卒業

    1. 卒業式当日、前日まで補習で職員室で過ごしました。



自分自身が背負う運命に抗うものの
音楽の道へ進むことを諦めるしかないという挫折感。

さらには大切に想う人を失った孤独感…。

その生きづらさは、若い自分にとって到底理解できるものではなく、
強い孤独を抱えたまま、抑えきれない感情や心の叫びを
私はただただピアノにぶつけるしかなかった。

自分にとって、「生きる選択をする」とはつまり、
無意識的にピアノを弾くことしかなかったのだ。

そして、どう生きていきたいかを探す人生の旅が
この後の物語である。

私の半生を人に話すと「ドラマのような人生」だとよく言われるが、
これまで書いてきたこともこれから書くこともすべて事実であり、ノンフィクションである。

「生きたい。」
「生きたい。」

その思いは、小学生時代に喘息の発作が酷くなり、
呼吸困難となって集中治療室へ運ばれてから始まる。

自分の身体に向き合い、心を見つめ、
暗いトンネルを彷徨いながら
光を掴もうと必死でもがいていた。

その光を強くしてくれたのは、20代前半で産んだ
2人の愛娘の存在である。
この2人が私を強く支え進み続ける力を引き出してくれた。

これまで自分が女であることを否定し、
「決して自分と同じような思いはさせまい」と誓い、
孤独ながらも戦い続けていた自分自身を、
女性として、母親として受け入れてくれた存在なのだ。

しかし、それまで築かれた価値観を変えるのはそうたやすいものではなく、
出産当初は「自分はいったいどうして女で生まれてしまったのか?」と思うことの連続だった。

女としての自信もない、健康もない、お金もない。
そして、心の安定を保つピアノもない中で子育てをする毎日…。

それでも彼女達は、そんな私についてくれていた。

そんなあるとき、惨めで情けなくて、悔しくて叫びたくて、
どうしようもない苛立ちが積もりに積もり、
私は、天に向かって宣言をし、覚悟をしたのだ。

私がこれまで影響を受けた映画の代表作として『風と共に去りぬ』をよく上げるのだが、
その理由は、主人公のスカーレットオハラが「民を守り生き抜く」と宣言をし、この強く生きる女性の姿があまりにかっこよく私に映ったからだ。

このとき私は、スカーレットの姿が自分に重ね合わせて見えた。

「神様!
私は決して、
これ以上の苦しみも悲しみも、
寂しい思いも辛い思いもさせない!

だからお願いします!
2人を、家族を
幸せにする力を私にください!」

雨の中、暗い夜、河川敷でただただ狂って泣いて叫んで自分に誓う。
これを自分の意識下に落とし込み、覚悟を決めた。

ただ、この誓いをしたことで悩むことも多くあった。

この誓いによってさらに私は
自分が女であることを否定し、
自分自身をも見失ってしまい、
限界を感じずにはいられなくなったのだ。

しかし、限界が見えたからこそ気づいたことがある。

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