『あるときないとき』
大阪出身の人にとって、551の「あるとき」と「ないとき」では気分が全然ちがうらしい。これは何だってそう。本書『文鳥』にしてもそう。
そこで今回は、作中後半の「三重吉スルーのくだり」が「あるとき」と「ないとき」における作品全体の印象をそれぞれ説明する。
▼「三重吉スルーのくだり」とは:
▼スルーがあるとき:
▼スルーがないとき:
このように、「あるとき」と「ないとき」を比較したとき、両方に共通するのは手紙を通じた主人公の自己弁護であるものの、「ないとき」は主人公の性格の悪さがただただ強調されるだけである。一方で「あるとき」は、性格が悪いことには変わりはないが、主人公の複雑な心境が表現されており、この心境は※1の経緯を踏まえると主人公だけでなく作者自身がモラリストであろうと望んでいる様にも思えてくる(実際に漱石がモラリストだったかどうかは不明)。
といったことを考えながら、私が大阪に行った際、551蓬莱でよく注文するのは豚まんではなくチマキです。
以上