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【感想文】燈籠/太宰治

『大改造!劇的ビフォーオサムー』

▼あらすじ

ある女が水野という男のために窃盗を行いそのことで水野本人から非難されるが最終的に一家団らんして気持ちを切り替える、的な話。

▼読書感想文 〜 太宰治「匠の技」のご紹介 ~

本書『燈籠とうろう』のハイライトは何と言っても「窃盗で捕まった時の女の言い訳」である。おそらく著者はこのくだりを書きたいが為にわざわざ小説を拵えたのではないか、それほどまでに匠の技が光っている。
というわけで、該当のくだりを以下に引用して匠の技を解説する。

――私を牢へいれては、いけません。私は悪くないのです。私は二十四になります。二十四年間、私は親孝行いたしました。父と母に、大事に大事に仕えて来ました。私は、何が悪いのです。私は、ひとさまから、うしろ指ひとつさされたことがございません。水野さんは、立派なかたです。いまに、きっと、お偉くなるおかたなのです。それは、私に、わかって居ります。私は、あのおかたに恥をかかせたくなかったのです。お友達と海へ行く約束があったのです。人並の仕度をさせて、海へやろうと思ったんだ、それがなぜ悪いことなのです。私は、ばかです。ばかなんだけれど、それでも、私は立派に水野さんを仕立したててごらんにいれます。あのおかたは、上品な生れの人なのです。他の人とは、ちがうのです。私は、どうなってもいいんだ、あのひとさえ、立派に世の中へ出られたら、それでもう、私はいいんだ、私には仕事があるのです。私を牢にいれては、いけません、私は二十四になるまで、何ひとつ悪いことをしなかった。弱い両親を一生懸命いたわって来たんじゃないか。いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。二十四年間、努めに努めて、そうしてたった一晩、ふっと間違って手を動かしたからって、それだけのことで、二十四年間、いいえ、私の一生をめちゃめちゃにするのは、いけないことです。まちがっています。私には、不思議でなりません。一生のうち、たったいちど、思わず右手が一尺うごいたからって、それが手癖の悪い証拠になるのでしょうか。あんまりです、あんまりです。たったいちど、ほんの二、三分の事件じゃないか。私は、まだ若いのです。これからの命です。私はいままでと同じようにつらい貧乏ぐらしを辛抱して生きて行くのです。それだけのことなんだ。私は、なんにも変っていやしない。きのうのままの、さき子です。海水着ひとつで、大丸さんに、どんな迷惑がかかるのか。人をだまして千円二千円としぼりとっても、いいえ、一身代つぶしてやって、それで、みんなにほめられている人さえあるじゃございませんか。牢はいったい誰のためにあるのです。お金のない人ばかり牢へいれられています。あの人たちは、きっと他人をだますことの出来ない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから、だんだん追いつめられて、あんなばかげたことをして、二円、三円を強奪して、そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない、はははは、おかしい、おかしい、なんてこった、ああ、ばかばかしいのねえ。

それでは上記の引用を踏まえて匠の技を以下に解説する。

◎匠の技①「恒例!句読点ナンボほど打っとんねん」

まあこれは太宰あるあるなので大抵の方がご存じかと思う。
引用からも分かる通り、文中の句読点がやたら多いのが特徴だが、多いだけでなくそのタイミングが絶妙である。
例えば、引用中に <<私は、何が悪いのです。>> とあり、普通は「私は何が悪いのです。」と読点が無い方が読みやすい。
にも関わらず「私は、」とわざわざ読点を打った。考えられる理由としては、第一に「女が徐々に錯乱していく様子を表すため」が挙げられ、引用を全て読めば分かるのだが、中略部分の女の語りははっきりいって支離滅裂であり、その前段階として「私は、」とした様に思う。つまり、読者に「え?なんかこの女おかしくね?」的な違和感を持たせて支離滅裂のくだりにスムーズに繋げるといった意図があったのではないか。また、この引用を音読すると「私は、何が悪いのです。」が「私は……何が悪いのです。」と非常に大きな間が生じる(自分の場合は)。そのため、この女の切実さを表現するといった狙いがあるように思う。なお、初めから本文を「私は……何が悪いのです。」と書いてしまうと、かえってウソ臭く、わざとらしい文章となるため「私は、何が悪いのです。」を採用したのだろう。

◎匠の技②「奥義!オマエどの視点から語っとんねん」

この技は私の他記事でも既に紹介済みだが、あらためて紹介させて頂くことにする。で、その技が使用されている文章についてだが、上記引用の中略部分における、

<<いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。>>

であり、この <<私は牢へいれられるわけはない。>> という表記がものすんごい良い。この表記だけやけに冷静でありそこに狂気性を感じる。まず、引用前半では匠の技①「句読点ナンボほど打っとんねん」が用いられており、読点多めに打って「切実」を表現し、後半の <<私は牢へいれられるわけはない。>> で狂気へと唐突に切り替わっており、そのスピード感がものすんごい良い。あと、この文章って日本語としては間違ってないんだけど、普通なら「私は牢なんて入らないわ!」だったり「私が牢に入る理由はない……」の方がスムーズに読める。にも関わらず「私は牢へいれられるわけはない。」という、どの視点で語ってるのかが不明瞭で、牢に入らないことが「あらかじめ決定された事実」であるかのような言い回しにこの女の狂気が垣間見える。これは完全に太宰治の知的操作によるものであろう、ノイローゼギャグといったところか。やはり『燈籠』のイカレ具合は絶品なり。

といったことを考えながら、この他にも太宰作品には「開幕一発ギャグ」や「ずっとおんなじこと言ってるだけやん」といった匠の技があるがこれに関しては機会があれば別途紹介させて頂くことにする。

以上

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