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【感想文】椿姫/デュマ・フィス
『心の操理論Ⅱ』
以前、私は『マノン・レスコー』の読書感想文において「心の操理論」なるものを紹介したが、本書『椿姫』ではなんと「心の操理論Ⅱ」が展開されているので合わせて紹介したいと思う。
▼心の操理論Ⅱについて:
その発端は作中後半の第25章のマルグリットの手記から窺うことができる。この手記の中で、アルマンの父が、アルマンと別れるようマルグリットに長々と説得するのだが、父の主張を要約すると、
「マルグリットはアルマンを愛しているからこそ別れた方がええで。世間体とかもあるよってに。」
である。そしてこの説得を受け入れたマルグリットはアルマンと別れて、望まないN伯爵の元へと収まり、これまた望まない死を自ら選択して放蕩の末に死ぬ。
『マノン・レスコー』のマノンはシュヴァリエの深い愛を信じているから別の女をあてがった(=心の操理論Ⅰ)。
一方で『椿姫』のマルグリットは我が罪の代償がアルマンへの愛であるとして彼の元から去った(=心の操理論Ⅱ)。
両者いずれも「愛すればこそ」の逆説的な行為である。
また、マルグリットは自らを犠牲にして神の光明に浴みしようとした点、つまり贖罪の精神があることを考慮すると、心の操理論ⅡはⅠの発展形ともいえ、ⅠとⅡは愛のスケールが明らかに異なっている。
▼余談(涙に濡れた『マノン・レスコー』について):
作中には『マノン・レスコー』に関する描写が度々見られ、第22章では読みかけの『マノン・レスコー』がテーブルの上に置いてあり、ページのところどころが涙に濡れていたとアルマンは語る。また、この場面はマルグリットがアルマンの元から去った直後の出来事である。このマルグリットの涙が何を意味するのか。まあそれはマルグリットが『マノン・レスコー』から何かしら感化された涙であることには違いないのだが、どのページにマルグリットの涙が付いていたのかはアルマンも触れていない。
よって、考えられるとすれば、第一に「マノンの哀れな境遇をマルグリットが自身に重ねた涙」あるいは、「心の操理論Ⅰの場面を読んだマルグリットがその発展形であるⅡを思い立ち、己の生命を投げうつ覚悟を決めた『決意と別れの涙』」という可能性もあるのではないかと思う。
といったことを考えながら、「オマエは『心の操』って言いたいだけちゃうんか」という声がどこかから聞こえてきた。
以上