【感想文】罪と罰(下巻)/ドストエフスキー
『セヴンスターの香り 味わう如く』
『罪と罰』は一見して状況を把握するのが難しく、作品理解にまで至らぬ者が多いという。
そうならない為にも、一行一行を丁寧に読みこむ事が肝要である。
では、早速やってみよう。
■罪と罰(作詞作曲:椎名林檎)
愛してる独り泣き喚いて 夜道を弄れど虚しい
改札の安蛍光燈は 貴方の影すら落さない
歪んだ無常の遠き日も セヴンスターの香り 味わう如く 季節を呼び起こす
あたしが望んだこと自体 矛盾を優に超えて
一番愛しいあなたの声迄 掠れさせて居たのだろう
静寂を破るドイツ車とパトカー サイレン 爆音
現実界 或る浮遊
▼1行目:愛してる独り泣き喚いて 夜道を弄れど虚しい
⇒ドゥーニャとの決別後、夜のペテルブルグを彷徨うスヴィドリガイロフの様子である(P.399〜P.407)。
▼2行目:改札の安蛍光燈は 貴方の影すら落さない
⇒蛍光燈の光が身体を照らせど地面に「貴方の影すら落さない」とは、死の暗喩である。即ち、スヴィドリガイロフの自殺を意味する(P.422)。
▼3行目:歪んだ無常の遠き日も セヴンスターの香り 味わう如く 季節を呼び起こす
⇒「セヴンスター」とは煙草の銘柄ではなく、愛媛県の地域密着型スーパーマーケット『セブンスター』を意味する。つまり、この歌詞には『スヴィドリガイロフの劇的な半生(=歪んだ無常の遠き日)は、スーパーの鮮魚売り場に陳列されたアジの如く(=味わう如く) 青臭く、それが彼の旬である(=季節を呼び起こす)』という思いが曲に込められている。
▼4行目:あたしが望んだこと自体 矛盾を優に超えて
⇒ソーニャが望んだこと自体、ラスコーリニコフの「殺人⇔善行」という矛盾を優に超えて、
▼5行目:一番愛しいあなたの声迄 掠れさせて居たのだろう
⇒そしてソーニャの導きは、一番愛しいラスコーリニコフに <<殺して、盗んだのです>>P.458 と掠れた声で自供するに至らせる。
▼6行目:静寂を破るドイツ車とパトカー サイレン 爆音
⇒この箇所は、自供後の「逮捕」を連想させる言葉の羅列である。
▼7行目:現実界 或る浮遊
⇒「現実界」という言葉はラカン(Jacques Lacan)の精神分析論におけるR.S.I(現実界/象徴界/想像界)から拝借したのであろう。現実界とは、我々の現実は言葉により虚構化されており各個人の部分的な体験でしかないとし、この捉えられない世界の事をいう。
スヴィドリガイロフは、妻の毒殺およびドゥーニャとの決別を発端として、妻の亡霊、少女の悪夢(P.415〜P.419)といったおよそ幻覚の症状が現れる。ラスコーリニコフも彼同様、意図しないリザヴェータ殺害により、幻聴・幻覚・錯乱(=取り調べ時の気絶)という症状が見られ、この点で両者は共通する。
前述した両者の精神病は、ラカンの著書『The Psychoses 1955-1956』によると「象徴的な次元(※1)において排除されたものが現実界の中に回帰し再現される」とあり、これが症状の経緯だという(※1...象徴界。シニフィアンで構造化された法の世界)。つまり、両者における殺人という衝撃的な経験は、象徴界に機能不全(=父の名の排除)をもたらし、現実界に幻聴・幻覚として繰り返されるのである。
結果、スヴィドリガイロフは経験を受容できず自殺という形でしか解決しえなかった。一方、ラスコーリニコフは自ら罪を認めた上、事件当時の状況も克明に供述しており(P.460)、これは経験の受容(=心的外傷の言語化)、即ち、回復の兆しであり、ここで『罪と罰』は終わる。
「或る浮遊」とは、前途ある彼の浮かれた心地を表している。
といったことを考えながら、『あなたは前回私と交わした約束を守りませんでしたね...ドオオォォ———ン!!』という喪黒福造の幻覚に自分は苦しんでいる。
以上