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たまごまるセレクト5
12月4日。まだ12月だと認めてないのに、12月は既に4日も進んでいるのですね。そろそろ12月と認めないと、いつのまにかクリスマスになってしまいそう。
それでは本日も僕が最近読んで響いた記事を紹介していきます。本日はお二人の記事を読んで考えたことを含めて書いてみました。
まっすぐな道 byうみのちえさん
大人の女子サッカー部は面倒だけど楽しそう by 綾野つづみさん
読むことで考えるきっかけになる。これが読むことの魅力の一つだと思います。
うみのちえさんと綾野つづみさんの記事を読んで、女性や男性、性別について考えました。
自分では変えることのできないこと(性別や生まれた場所、肌の色)で差別されてきた人がいる。今も差別されている人がいる。
性別なんて、そんなの関係ないって口では言っていても、固定概念ってそう簡単には変わらない。
僕はトラックの運転手が女性だったら、あっ珍しい、って思ってしまう。
仮に性別が一つになったとしても、今度は頭の良し悪しとか外見の美しさとかで新たな差別が生まれる。
差別は無くならない。
ある。
その中でじゃあ何が差別を緩和してくれるのかは、お二人の記事にヒントが隠されている気がした。
それでも私は、背筋をピンと伸ばして、遠くの目標を見据えながら、目の前の道をしっかりと歩いていきたい。
差別の多くは視野が狭くなってしまうことで生まれる。背筋を伸ばして視野を広げる。そうすると見えてくるものがきっとある。周りに惑わされずに自分の考えを維持する手助けとなる。そうやって視野を広げた状態で真っ直ぐ進んでいけば、少しは差別緩和されるのではないだろうか。
ただ、そういうしんどさを丸ごとひっくり返してしまうぐらい、自分の身体を自分の望んだ通りに動かして、ボールをポーンッと蹴り上げることは、なにものにも変え難い快感があるらしく、それを味わえるのは堪らなく羨ましい。
人間は考えることができるから、考えてしまう。だけど、頭で考えるよりも体が感じることって沢山ある。一旦小難しいことは考えることをやめて、なにをしている時が一番快感なのかだけを考える。そしたら自分らしさとは何かが見えてくるはず。自分らしさを見つけられたら、他人にもそれぞれの自分らしさがあって、それを侵害することが如何に嫌なことなのか気づけるかもしれない。
ボールを蹴るのが快感な人のボールを奪ってはいけない。認め合うってことに繋がっていく。それが差別を緩和する。
文字では書けても、それでも、差別はなくならない。無くせないもの(戦争や自殺もそうだ)と、どう折り合いをつけていくのか、それが僕らに与えられた永遠の宿題なのかもしれない。
考えるきっかけを与えてくれるうみのちえさんと綾野つづみさんの記事、是非読んでみてほしいです。
◇
ただ自分らしくありたいだけなのに
何かが私たちを拘束する
ただ自分らしくあってほしいだけなのに
私たちは何かで誰かを拘束する
自分らしさを求めようとすると
誰かの自分らしさを奪ってしまう
奪うくらいなら何もしないのか
奪ってでも何かするのか
する or しないの二択じゃない
するとしないの間で葛藤しようと思う
まっすぐに前を向いていこうと思う
身体が思うがままにボールを蹴ろうと思う
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