日常ブログ #14クセ
「無くて七癖」ということわざがある。
「特に癖とかないと思っている人でも最低七個くらいは癖があるよね」
と言う意味である。
私はこれまで生きてきて自分自身の癖をはっきり自覚したことがなかったが、
ついに先日、私の七癖の筆頭・第一癖を発見した。
それは、ものに名前をつけがち癖、である。
ついこの間、バイト先の先輩の旦那さんが、ハンドメイドで作っているレザーのパスケースを購入した。
そのパスケースは赤い色をしているので、
手元に届いた時に「あかねちゃん」という名前をつけた。
「あかねちゃん」の使い心地とてもいいです!と、先輩に伝えようとした時、ふと、パスケースを名前で呼ぶ人ってどのくらいいるのだろう?と、疑問に思った。
それが、自分の第一癖を発見した瞬間だった。
他にも、名前をつけているものはたくさんある。
クッションは「ポポちゃん」、豚の貯金箱は「トンさん」、
今このブログを書くために使用しているスペースシルバー色のノートパソコンは「銀河三世」略して「ぎんさん」である。
ちなみに一世と二世はいない。
この名前つけ癖が最も勢いがあった時代といえば、高校時代だった。
私は剣道部に所属していたのだが、自分の持ち物全てに名前をつけていた。
ただでさえ、剣道という競技は装備品が多いのである。
防具もパーツに分けると四つ、大量の竹刀、頭にかぶる面の下に巻く手ぬぐい各種、竹刀入れや防具入れに至るまで全てに名前をつけて呼んでいた。
全てを思い出すことはできないが、たしか胴の防具は「ひかり」、
小手の防具「まちこ」だった。
ここで恐ろしいのは、名前をつけるだけでなく、その名前で呼んでいたことである。
稽古が終わって帰る前に、道場の入り口からまちこ!とか呼んでいたのだ。
とても怖い。
当然ながら、まちこを呼んだところでまちこはこっちに来ない。
来たらもっと怖い。
黒歴史と闇を混ぜて煮込んだような学生時代を送っていたため、
数年前の出来事であるにも関わらず既にだいぶ記憶が遠いのだが、
思い出せる記憶の断片からも周囲の多くの人に迷惑と恐怖を与えてしまっていたことが想像できる。
自分でも何してるんだろうと不思議に思う。
この場を借りて謝罪したい。申し訳ございませんでした。
しかし、特に印象に残っているのは竹刀である。
竹刀は消耗品で、何週間も使っていると竹が割れてしまうので、頻繁に取り替えなければならない。
だが、竹刀一本買うにしても、決して安い買い物ではない。
いちいち買うのが面倒だとか、自分は富豪ではないという人は、
割れてしまった竹のみを交換して、別の竹に入れ替えて、竹刀の改造を行う。
竹刀は四本の竹を組み合わせて束ねることで一つの棒になっているので、
やり方さえ覚えれば解体も改造も容易である。
そのため、私が通っていた学校の剣道部の部室には、常に余った竹が蓄えられていた。
もし、剣道の経験がない人が部室を訪れたら、ここはホームセンターか何かなのか?と勘違いをしただろう。
私が改造していた竹刀には主に四つの家門があり、
「ぶち」「白雪」「鍛錬」「改造加藤EX」があった。
「ぶち」は、竹の全体、もしくは一部に斑模様がある竹が入門できる。
「白雪」は、「ぶち」とは反対に比較的白く綺麗な見た目をした竹が入門できる。
「鍛錬」は、元々『鍛錬』という彫刻が施されていた既製品の竹刀を解体したことから始まった一門である。
「改造加藤EX」は、大きく扱いづらい竹が集められた一門で、重かったり持ち手が太かったりして個性が強いが、トレーニングには最適である。
このように、各家門にもそれぞれ特徴があり、その日の気分によって、
どの竹刀を使うか決めていた。
また、改造した竹刀はほぼ全てが練習用であり、
雑に扱うため寿命が短いものが多かった。
そのため、名前は基本的に襲名制であり、
ぶち一世、ぶち二世、ぶち三世、と続いていく。
なので、使い込んで竹が割れてしまった時は、
「ぶち三世が死んじゃった〜」などと言っていた。
部員の誰にも通じなかった。
怖い。
こうやって名前つけ癖を持っていて良いことは、
ものに愛着を持って接することができる。
お喋り相手も増える。
「ポポちゃん、おはよう。調子どう?」とか、
「ひかり、今日調子いいね。」とか、
朗らかな文句を口から出すことによって私の気分も上がるし、
ぽぽちゃんやひかりの機嫌もよくなるような気がする。
はたから見たら完全におかしい人だが。
ただ不思議なことに、ものに愛着を持って大切に扱うだけで、
何か気持ちが満たされるような気がするのだ。
万物に丁寧に優しく接して生きることも、時には良いものである、ということを知ることができる。
ただし、断捨離が極端に苦手になる。
ものをなかなか捨てられない。
捨てるか残すかは、ときめくかときめかないかで決めましょうとこんまりさんも言っているが、
大体どれもときめいちゃうのである。
彼、彼女らと過ごした時間を思うとやりきれない気持ちになる。
と言っても、ぶちもまちこももう過去の人である。
いや、人ではない、ものである。
今にして思えば、彼、彼女らのおかげで、
黒歴史に闇を混ぜて煮込んだようなくらい青春時代を生き抜いてこれたのかもしれない。
改めて皆に感謝したい。ありがとうございます。私は元気です。
今後も引き続き、私の七癖を発見していこうと思う。