いらっしゃい
先日、家族の夏休み旅行で長崎県の五島列島を訪れた。
小学生の孫が2人いるので、海を思い切り満喫することが目的の一つだったが、迫害、禁教、弾圧の中でキリスト教信仰を守り抜いた人々の足跡を辿ることも大きな目的であった。
五島とキリスト教
16世紀にキリスト教が日本へ伝えられた。暫くは自由に宣教が許されたが、爆発的に信者が増え、しかも大名たちまでも続々と回心したものだから、為政者たちは一転、迫害に転じたことは日本史の中で誰もが聞きかじっていることだろう。
激しい迫害のもと、多くの信者たちは棄教を余儀なくされたか、殉教の死を遂げたが、禁教下で潜伏して信仰を守り抜く者たちも多数いたのだ。特に長崎には200数十年もの間、密かに信仰を守り続けた人々がいた。
幕末に長崎に大浦天主堂が献堂された際、潜伏していた信徒たちが密かにプチジャン神父に近づき、
「ここにおります私たちは、皆あなたさまと同じ心でございます。」
と告白したことから、根絶やしにされたと思われていたキリシタンが発見された。これは全世界に良い意味での衝撃を与えたが、この事により幕府による激しい弾圧がまた始まったのだった。それは時代が明治に移り変わっても同じであった。
長崎の本土から離島の五島に逃れてきたキリシタン達はおよそ3000名に及ぶという。しかし長崎の浦上地区に続き、五島列島でも明治元年(1868年)から「五島崩れ」と呼ばれる大迫害が起こる。
それは残された記録によると、非常に苛烈で筆舌に尽くしがたいものだったことがわかる。
しかし現在も長崎県には約130ものカトリック教会があり、そのうち50あまりが五島列島にある。離島である五島列島には江戸時代の禁教令下にキリシタンが移り住み、信仰を守ってきた歴史があり、現在でも人口の15%ほどがカトリック信徒と言われている。
長年にわたり日本のクリスチャン人口が1%を越えることが出来ない中で、この数字は凄まじい。
世界の歴史を紐解くと、キリスト教信仰はどんなに厳しい弾圧にあっても生き延びている。我が日本でもそうであることを、今回初めて五島を訪れて初めて体感することが出来た。
今回の旅では福江島に2泊という行程で、2日目に上五島の中通島へ遠征したが、50ある教会のうち、2島5教会(貝津教会、井持浦教会、頭ケ島教会、中ノ浦教会、桐教会)を訪れるのが精一杯であった。
現存する教会は禁制が解かれた後に建てられ、建て替えも行われているため、ヨーロッパ各地の教会のように建造物としての歴史があるわけではない。
しかし礼拝堂の中に入ると、座席には使い込まれたカトリック典礼聖歌集、プロテスタント風に言えば週報などが置かれており、今も人々の礼拝の場所、すなわち有機的エクレシアとして息づいているのがわかる。生きた信仰の場所、キリストの体なのだ。ハレルヤ!
井持浦教会で
殆どの教会は風光明媚かつ辺鄙な道をくねくねと進み、果たしてこの先に教会などあるのか?と心配になるような場所に現れてくる。
その中のひとつ、福江島の南西部のはずれにある井持浦教会に行った時のことだ。
私たちを出迎えてくれたのは両手を広げたイエスだった。カトリック教会らしいエントランスである。
近づくと、その像の下に書いてある言葉に目が留まった。
とても大きくはっきりした平仮名で、
いらっしゃい
と書いてあるのだ。
驚いた。ここは土産物屋ではない。ふざけてるのか??
昔「新婚さんいらっしゃい」というテレビ番組で、司会の桂三枝がカップルを呼び入れる時
「いらっしゃーい!」
と言う決まり文句があって、それがすぐに浮かんでしまった💦
(これがわかる人は同世代以上ですね😅)
しかし更に近づいて見ると、横に小さく「マタイ十一:二十八」と書いてあるではないか。
その瞬間、私は不謹慎な自らの発想を恥じた。
そう。「われに來れ」である。
最新の翻訳では「わたしのもとに来なさい」。
「いらっしゃい」だ。
迫害から必死に逃れ、五島に行き着いたキリシタンたちだが、農業に適さない山間の僻地や、漁をするにも不便な辺鄙な入り江、離れ小島など、貧しい土地に住むしかなかった。
それなのに迫害の手が伸びてきて捕縛、拷問、投獄という悲惨な目にあったのだ。何重苦になるのだろう。
そこでこんな歌が生まれたという。
それでも信仰を捨てなかった人たちがいた。それが五島のクリスチャンたちの先祖なのだ。
彼らはその呻きの中に、両手を広げ「いらっしゃい」と優しく微笑むイエスを見ていたのかもしれない。
イエスは罪のない神であるのに十字架の恥辱と痛みをその身に負われた。人の経験する痛みを、いやそれ以上の痛みと苦しみをご自身が経験された。
そしてこの方は約束して下さった。
迫害のもとにない私たち日本人も、それぞれ人生の重荷を負って生きている人が大半ではないか。しかもその重荷を誰かに委ねるなどという発想はなく、自らの努力で頑張って持ち運ぶか、潰されてしまうのか、投げ出してしまうか、ではないだろうか。
しかしイエスは招き続ける。
「いらっしゃい。」
そしてただ招くだけでなく、重荷を下ろさせ休ませて下さり、思いやって下さり、ずっと一緒にいて生きる術と力を与えて下さる方なのだ。
五島の狭隘な土地、入り組んだ海岸、険しい山々、どこまでも透き通った海を体験しながら、イエスの御手に抱かれる思いがした。
同行していた孫たちにもイエスのあたたかい御腕を感じる日が来ることを、この駄文にたまたま目を留めた重荷を負う方がイエスの招きに応えることを願いつつ。