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田丸久深
2025年2月16日 23:38
シャワーを終えてベッドルームに戻ると、部屋の照明が暗く設定されていた。 ダブルベッドの掛け布団を畳み、シーツの上に大判のバスタオルが敷かれている。枕元にはアロマディフューザーや小型のスピーカー。待ち合わせの際、すいぶん大荷物を抱えていると思ってはいたが、これらすべてを持ち歩くのはなかなか大変だろう。「お風呂寒くなかった? 照明はもっと暗いほうがいい?」 アキヒロ君はオイルマッサージの
2025年2月11日 20:00
○ 池袋の喫茶店看板前。運営から指定された待ち合わせ場所はそこだった。 東京には何度も訪れているが、池袋に降り立つことは滅多にない。目印の看板を見つけ、私は緊張しながらそこで待機していた。 女性用風俗ーー通称・女風(じょふう)のシステムは、男性でいうデリヘルに近い。固定の店舗は持たず、セラピストがホテルや自宅にお邪魔する派遣型だ。女風の場合はセラピストと待ち合わせしてホテル
2025年2月4日 01:20
草木も眠る丑三つ時。私はビジネスホテルのベッドの上で、バスローブ姿のまま正座をしていた。 34歳、3月。仕事終わりに飛行機に飛び乗り、日付が変わるころに成田空港に到着した。成田市の宿でシャワーを浴び、翌日のチェックアウト時刻から睡眠時間を逆算する。早々に布団に入った方が良いのはわかっているが、眠る前にやってしまわなければならないことがあった。 3月下旬とはいえ、北海道はまだまだ雪の季節。
2025年1月28日 22:32
お酒に呑まれてるなと自分でも思う。 見ず知らずの運営に話す内容でもない。しかし、今日の街コンは精神的な疲れが大きい。このまま帰ろうかと思っていたが、女性に「もうすぐ終わりだから」と励まされてしぶしぶテーブルに座った。「お疲れ様です」 そこには広告代理店Bがいた。彼もグループをはずれ、ひとりでお酒を飲んでいたらしい。手に持つグラスは赤ワイン、同じく強いお酒に突入したようだ。「Bさん
2025年1月27日 01:49
◯ 2月上旬の土曜日。街コンの日は、さっぽろ雪まつりの開催期間でもあった。 コロナ禍の外出自粛が和らいできたとはいえ、婚活の用事がない限り街中を訪れることはない。お見合いはもっぱら札幌駅か大通駅周辺のため、すすきのを訪れたのは久しぶりであり、観光客で賑わう様子に圧倒された。 街コン会場はすすきのにあるパーティールーム。控えめな照明がシックなラウンジ風会場と
2025年1月20日 00:42
34歳、2月。結婚相談所の活動を再開した私は、自分を取り巻く環境が一変していた。 休会手続き前、仕事の繁忙期で忙しくなること、小説の執筆に専念したいことを仲人の桜田さんに説明した。私の意思は固かったが、彼女は『もったいないです!』と何度も引き留めていた。 しかし、私にとって優先すべきは婚活よりも小説の執筆だ。ただでさえ次の刊行が決まらず消えた小説家になりかけているというのに、婚活で執筆の
2025年1月15日 00:44
言葉の意味を咀嚼しきれない。彼もそれに気づいたのか、あらためて言い直した。「今まで好きになった人たちみたいな気持ちを、田丸さんに感じないんだ」 ほう、と、私はまばたきで相槌を打つ。「ちゃんと話し合いをしたつもりなのに、田丸さんが書店に行ったことにもやもやした。買い物じゃなくて、取材とか、作家の仕事をしていることに嫉妬してしまうんだ。小説の話を聞く時のもやもやした気持ちは
2025年1月13日 22:33
谷地頭温泉での朝風呂を終え、私は市立函館博物館に向かう。調べものをしたあと、新刊発売でお世話になった北斗市の書店さんに行き、再び函館に戻り図書館で函館市史を読み耽った。最後に取材のお願いをしているお店を訪問する頃には、日が落ちてあたりも暗くなっていた。 長らくあたためていた物語だが、それを書くためには函館の歴史や文化を学ぶ必要がある。私も海育ちではあるが、地域によって文化風習が異なるため、同
2025年1月13日 02:38
〇 11月、33歳の誕生日当日。夜行バスで函館入りした私は、早朝から谷地頭温泉で疲れた身体を癒していた。 前日の23時半に札幌を出発し、バスの中で微睡みながら5時半に函館駅到着。準備中の多い函館朝市で、5時台から営業している店でイカソーメン定食を朝食にし、市電に乗って終点の谷地頭駅で下車した。 座りっぱなしで浮腫んだ脚を、露天風呂につかりながらマッサージする。今日は函館博物館
2025年1月12日 00:20
いやいや、と反射的に否定の声が出た。「私たち、この一年間なにもしてないじゃないですか」 鎌田さんから紹介を受け、その後一年間交流を続けていたならわかる。しかし、瀧さんとは一度食事をしたきり、連絡を取り合うこともなかったではないか。 一年間何もなかったことに対して、正直、もやもやした気持ちがあった。結果こんなもんかと、紹介という言葉に襟を正していたが故に拍子抜けしていた。今回も甲斐さん
2025年1月6日 01:54
〇 一年後、32歳の8月。長期休暇を利用して、私は再び東京を訪れていた。 新型コロナウイルスの流行はいつかの間にか日常の一部になり、会社も県外移動については事前申告による許可制で落ち着いていた。職場の上長も甲斐さんも『せっかくの休暇なんだから、こっちは気にしないでお出かけしておいで』と快く了承してくれた。 長期休暇の目的は富士山登頂だった。登山ガイドがサポートするツアーを申し
2025年1月1日 22:54
〇『田丸さん、オンライン飲み会やりませんか?』 新型コロナウイルスが流行し、外出自粛を求められる鬱屈した日々が続く中、鎌田さんからそんなメッセージが届いた。『メンバーは三人で、僕と瀧さんっていう男性なんですが、田丸さんご存じですか?』『名前は伺ったことがあります』 SNSで長年繋がっていると、面識はなくても名前を知っている人は多い。瀧さんは直接のやり取りこそしたことは
2024年12月31日 19:57
〇「いま、どこかの出版社で刊行予定はあるの?」「ないですね。原稿を預けたり、プロットを見てくれる出版社はあるけど、具体的な動きはなにもないので。今は新人賞用の原稿をコツコツ書いてます」 パソコンのスピーカーから聞こえる声に、わたしはあっけらかんとそう答えた。「新人賞も、一次選考は通過できるんですけど、手癖がついているのかなかなかそれより上にいけなくて……最終に残ったところ
2024年12月23日 22:39
34歳の誕生日を過ぎた頃、家族で十勝川温泉に泊まった。 我が家の温泉旅行といえば十勝川だ。帯広市の隣にある音更町で、孫の誕生日から祖母の米寿のお祝いまで、十勝川にある温泉旅館を片っ端から泊まり歩いた。今回も親戚で集まる用事があり、せっかくなので皆で十勝川に泊まろうと母親の姉夫婦も一緒だった。 一泊二日の温泉旅行、私は帯広駅で家族と解散し、ひとりで札幌に帰る。家族との別れが寂しい年頃も終わ