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自分のパンツは自分で洗え〜4、そうやって選んでるから駄目なんだよ⑧
言葉の意味を咀嚼しきれない。彼もそれに気づいたのか、あらためて言い直した。
「今まで好きになった人たちみたいな気持ちを、田丸さんに感じないんだ」
ほう、と、私はまばたきで相槌を打つ。
「ちゃんと話し合いをしたつもりなのに、田丸さんが書店に行ったことにもやもやした。買い物じゃなくて、取材とか、作家の仕事をしていることに嫉妬してしまうんだ。小説の話を聞く時のもやもやした気持ちは、自分が同じ立場にならないと解決しないと思って」
「私は、瀧さんが新聞記事で文章を書かれていること、とてもすごいと思いますよ」
しかし、彼はそれで納得しないらしい。私の作家活動を身近に見ると、瀧さんの中の、小説家になりたい気持ちやデビュー寸前で流れてしまった悔しさが蘇るのだろう。
私と同じ立場とは、自分が小説家としてデビューすることを指すのだろうが、それは今日明日で簡単にできることではなかった。
「本当は、今日の函館旅行で答えを出すつもりだったんだけど……」
やはり瀧さんも、今回の旅行をひとつの区切りとして考えていたようだ。
「やっぱり、田丸さんに嫉妬してしまう気持ちが抑えられない。もう少し考える時間がほしくて、あと一ヶ月待ってほしい」
「……それ、二股かけた人と言ってること同じじゃないですか」
「いや、違う」
違わない。自分の気持ちを整理できず答えを引き伸ばそうとする行為は、二人同時に好きな人ができて選びきれない優柔不断さと一緒だ。
件の男性は、私と同じ会社の先輩と、どちらも好きで選べないと言った。しかし、それは結局、自分が一番大好きということだ。
瀧さんも、結局自分のことしか考えていないんだろうな。私は残りのお酒を飲みながら、彼の話に耳を傾けた。
「田丸さんは小説や漫画が好きだから、趣味も一緒で話も合うと思ったけど、俺が好きな作品のことを全然知らないし。同人誌即売会にも参加してなくて、自分とは違うんだなと思って」
自分の好きな作品を勧めるのもいいが、相手におすすめされた作品を読み、読書の幅が広がっていくのも読書好きの楽しみじゃないのかな。
瀧さんもゴールデンカムイ読んでないし、チームナックスの話をしても興味なさそうだったけどな。
自分とまったく同じ趣味を持っている人がほしいのかな。
そんな人……いるのかな。
「相手を好きになる気持ちも、今までで一番好きになった人に対しての好きっていう感覚と、田丸さんに対して抱く気持ちが、同じになれないっていうか」
人を好きになる気持ちはそれぞれなんだけどな。
最初から燃え上がる恋もあるし、少しずつ育っていく恋心もあるんだけどな。
まあ、瀧さんは私が婚活や人生に悩む姿を見て、それに憐れんだ気持ちを好意と勘違いしたんだろうな。
自分のほうが年上で、作家業の世界もわかっていて、イニシアチブがとれて満たされると思ってたんだろうな。
でも、私といるとその自尊心が揺らぐんだろうな。
「あと、やっぱり北海道と東京は遠いっていうか……」
今さらそれを言うか~。
最初から考えればわかったことじゃん。
というか、昔付き合っていた彼氏も似たようなことしたな。
私に理想の彼女像を押し付けて、でも、私にも意志があることに気付いて自分の立場が弱くなったと気づくや否や。自分が悪者になりたくないから、都合のいい理由を適当にでっちあげて、向こうから別れたいって言ってきたんだったな。
あの元彼は、私が最初の彼女だったな。
恋愛経験がない人ってみんなこんな感じなのかな。
別にたくさんの人と付き合えっていうわけじゃないけど、恋人との関係だからこそ学べる人間関係ってたくさんあるし。
私もいろんな失敗や経験を積んで、少しずつ成長していったしな。
それをうまく育てたり、見守ってあげたりするのも大事だろうけど……
10代20代ならまだしも、瀧さん39歳なんだよな。今から考え方を変えるのって難しいだろうな〜。
「……以上、です」
話し終えた彼が、無言の私を盗み見る。
お酒を飲み干したグラスをテーブルに置き、私は口を開いた。
「自分から彼氏に立候補したいって言ってきたけど、やっぱり考え直したいから、あと一ヶ月待ってほしいってことですよね?」
気まずそうに、瀧さんがうなずく。
「そっちの都合で近づいてきて、思ってたのと違ったって言われて、さらに考える時間が欲しいと。それで私が待ってくれると思ったんですか?」
「……ごめん」
「待つ必要ないですよね~」
たくさん飲んだはずなのに、私の酔いはすっかり醒めていた。
目の前にいる39歳の男性が、中学生の男子に見える。どうして男の人って、普段はぐいぐい引っ張りたがるくせに、いざ都合が悪くなると子供に戻るんだろう。
「田丸さんならわかってくれると思って」
それ、歴代の男たちにも言われたな~。
なんでみんな、私ならわかってくれると思うのかな~。
若い頃なら、それを言われた時に、理解できない自分が悪いって思ったけど。私も大人になっちゃったからな~。
なんで男の人ってみんなそうなんだろう~。
「……とりあえず、明日の予定どうするの?」
明日は二人で函館観光の予定だ。この重たい空気を、彼は今後どうするつもりなのだろう。
「一人で考えたいので、函館観光は別々にしたいです
「JRの特急券、予約しちゃってるけどどうするの?」
まさか観光が終わった後に函館駅で再集合し、気まずい空気のまま隣同士の席で札幌まで移動するというのか。
「それも別々の時間にしよう。キャンセル料がかかるなら、俺がちゃんと払うので」
深夜だとJRの予約システムが使えない。朝にならないと決まらないところもあるだろう。
彼の考えは変わらないようだ。人付き合いや仕事の考え方について話す時間を設けたが、瀧さんは私の言葉をシャットアウトしていた。
そもそも、自分中心の思考になっている彼を、考え直すよう説得するのもおかしい。そこまでして瀧さんと一緒にいたいと思えなかった。
気付けば深夜3時を過ぎていた。チェックアウトの時間を考えると、そろそろ寝たほうがいい。
「いったん寝て、あとは明日考えよう。JRの予約も朝になったら確認するから。じゃあ、おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
ツインベッドの布団にそれぞれもぐりこみ、部屋の電気を消した。
まぶたを閉じるが……眠れるわけがない。
結局、瀧さんの都合で振り回されただけだったな。
一応、交際を申し込まれたらお受けようと思ってたんだけどな。
瀧さんのことが好きだったわけではないけれど。お互い婚活してるし、友情結婚みたいな、同志というか仲間というか、そんな関係でいられると思ったんだけどな。
せっかく新しいパンツ買ったのにな。
……ていうか。
私、33歳になったんですけど。
32歳と33歳は大きく違うんですけど。
もっと早くこの結果が出ていたら、32歳のうちに婚活も頑張れたのに。
30代の婚活は年々不利になるっていうのに。
こういうのも『そうやって選んでるから駄目なんだよ』って言われるの?
選ばずに、瀧さんが考え直してくれるのを待っていた方がいいの?
え? 私、ずいぶんひどいことを言われたと思うんだけど。
それでも、選んでるって言われるの?
まんじりともしない私の隣で、瀧さんは大きないびきをかきながら眠っていた。
「……夜、全然眠れなかった」
いや、あなたいびきかきながら寝てましたよ。
眠れずに夜明けを迎えた私は、それを指摘する元気もなかった。
「それで、今日はこれからどうするの?」
「やっぱり、宿なり函館駅なりで解散して、別々に観光したいです」
「わかった。JRは一人分だけキャンセルできたから、あとは自分でチケット取りなおしてね」
敬語とは、相手に対する敬意があるからこそ自然と使えるものだ。私は訛りもせず、瀧さんにため口で話していた。
朝食の時間が決まっているため、二人で食堂に向かう。スタッフに席を指定され、函館や北海道の名物をバイキング形式で選ぶ。目の前で焼いてくれるオムレツも、食材にこだわった美味しい朝ごはんも、無言の空気が重く、ほとんど味がしなかった。
部屋に戻り、スーツケースに荷物をパッキングする。そこで私は、誕生日プレゼントの存在を思い出した。
大きな家電製品。これを持ち歩きながら、ひとりで函館観光するのは骨が折れる。
「このプレゼント、どうする?」
「それは俺の気持ちなので、もらってくれると嬉しいです」
「その気持ちを押し付けられる私は困るんだけど」
「処分するなりなんなり、自由にしてもらっていいので」
「それを私にやらせるの?」
「……俺が持って帰ります」
荷造りを終え、忘れ物がないかを確認した後、私たちは宿をチェックアウトした。
旅館の外に出る。同じ道を歩くのは嫌なので、それぞれ正反対の方向に向かうことにした。
「私は熱帯植物園に行くから、こっちで。それじゃあ、さようなら」
「……あの」
キャリーバッグを引く私を、瀧さんが呼び止める。
「本当に、ごめんね」
それに彼はなんと返してほしいのだろう。一瞬、その考えが私の頭をよぎったが。
「函館観光楽しんでね」
踵を返し、私は歩きだした。
寝不足で空が黄色く見える。凸凹のある歩道に、キャリーバッグを引く音がやたらうるさい。
私はただ、まっすぐに歩いた。
振り返ることはしなかった。
こうして、33歳になった私の函館旅行が終わった。